転職先で活躍する人は"unlearn"が上手い
私は数度の転職経験があり、そのうちの1社は某コンサルティングファームです(現在はそのファームを離れています)。コンサルティングファームは人材の流動性が非常に高い、つまり人の出入りが(少なくとも日系大手企業の平均値と比較すると)激しい職場でした。毎月何人も入社し、少なからぬ人が去っていくということが日常茶飯事です。
そのファームでは新卒も採用していましたが、中途入社者の比率が高く、あらゆる業界からファームの門を叩いて入社してきました。コンサルティングファームに入社しようとする人は、総じて前職で比較的評価されていた(と少なくとも本人は自認していた)人が多く、実際優秀な人も多く入社していたと思います。
そんな優秀層が多く入社してくる職場ですが、当然ながら全員がファームで活躍できるわけではありません。むしろ、ファームで生き残ってとんとん拍子で昇格(ランクアップ)していく人の方が稀であり、平均すると2-3年、短ければ3-6か月程度で辞めていきます。
この「2-3年」「3-6か月」という数字にもカラクリがあり、大体スタッフ(ちなみにコンサルティングファームは前職の経験を信用しておらず、コンサル経験がない限りはいきなりマネージャーで採用することは極めて限られた例外を除いてありません)は2-3年で次のランクに昇格する必要があるため、昇格が難しい場合にはファームを離れるケースが多く、また多くのプロジェクトは数か月単位の期間で契約されることから、最初の1‐2プロジェクトで評価が低かったり、仕事が合わないと感じたりする人は、早めに見切りをつけることもあるのです。
話を戻すと、優秀な人が多く入社してきても、活躍する人とそうではない人に分かれます。この違いを一言で語ることは難しいのですが、決して無視できない重要な要素ではないかと私が考えているのが、"unlearn"する力を持っているかどうかです。
多くの人は前職の仕事の進め方や経験をベースにして新しい仕事に取り組む
先に結論を述べると、このタイプは活躍できないことが多いと考えています。
新しい職場で(自分にとって)未知の仕事に取り組むときに、多くの人は過去の仕事経験を頼りにします。他に頼るものはないですし、中途入社で即戦力として期待されている点や、前職ではハイパフォーマーだったことから来る自分の能力への自信や自負、そして人材流動性が高く評価が低いと「社内失業」状態に陥る可能性がすぐそこにある危機感など、多くの要因から「パフォーマンスを出さなければ/実績を出さなければ/評価を得なければならない」という意識が強まり、結果として「自分が既に習熟している仕事の進め方や、過去の経験に基づいて新しい仕事に取り組む」ことが最適解だと(ほぼ無意識に)結論づける傾向にあります。
これは、一見すると生存戦略としては正しく見えます。少なくとも、前職で出していたパフォーマンスに近いレベルのものが出せる可能性が高いためです。
一方で、現実には優れた戦略とは言えません。第一に、周囲が期待している仕事の進め方やアウトプットと、中途入社者が前職で身に付けてきたものが一致していない可能性が高いからです。他の業界でも同じような話かもしれませんが、少なくとも私がいたコンサルティング業界においては、短いプロジェクト期間で経営層が満足するようなアウトプットを出す必要があることから、その高いレベルのアウトプットを出すために先人達が試行錯誤しながら残してきた独特の「仕事のプロトコル」のようなものがあり、プロジェクトメンバーは全員がそのプロトコルに沿って仕事をしていることが当然に求められます。他業界出身の中途入社者がこのプロトコルを身につけているケースは、私の観測した限りだとゼロです。故に、前職の仕事の進め方を引きずっているとほぼ間違いなく期待に沿わない、ということになります。
加えて、成長機会を逃しているとも言えます。前職の仕事の進め方を離れずに新しい仕事に取り組むということは、言い換えると前職の仕事の進め方により習熟していっているということでもあります。もちろん、取り組む対象が変わったり、扱うテーマが複雑化したりという点での変化はあるのですが、仕事へのアプローチそのものの構造は変わっていないわけです。
せっかく新しい職場に飛び込んだのに、そこで学べるはずの「仕事のプロトコル」を学ばず、前職のプロトコルを持ち込んでやり過ごすというのは、とても勿体ない話であり、かつ自分の成長ポテンシャルを抑え込んでしまっているということでもあります。
限られた人は、賢明にも”unlearn”することで新たなプロトコルの習得を優先する
このタイプは活躍すると考えています。
このタイプの人は、前職の仕事の仕方や経験を新しい仕事に持ち込まず、妙なプライドも持たずに、いわば新入社員のような心持ちで新しい職場で働き始めます。仕事が変わればプロトコルが変わるだろうということを直感的に理解しており、そのプロトコルを習得することに注力しようとします。つまり、前職の仕事の仕方や経験を”unlearn”するのです。
もちろん、実際にはその人の経験や習得してきた仕事の知見は消えません。ですが、新しい仕事のやり方を習得するまでは、ついつい表に出てきてしまう自分の体に刻まれた「癖」を意識的に抑え込み、新しい型を身につけようとするということです。
新たなプロトコルの習得にフォーカスするので、結果としてプロトコルが早く身につきます。そして、一度プロトコルを身につけてしまうと、逆に今度は前職の経験が生きてくるのです。ソトの経験を、ウチの言語で語り、活かすことができるようになるためです。ソトの経験を、ソトの言語で語っていても、「まずはこっちの言葉を覚えてよ」と言われてしまうのですが、共通言語を介することができるようになれば、ソトの経験を持ち込むことができるようになります。
この"unlearn"という行動は、言うは易く行うは難しです。前述の通り、中途入社者には、中途入社で即戦力として期待されている点や、前職ではハイパフォーマーだったことから来る自分の能力への自信や自負、そして人材流動性が高く評価が低いと「社内失業」状態に陥る可能性がすぐそこにある危機感など、多くの思惑が自分の中に駆け巡ります。そういったものを一度抑え込んで、恥ずかしさや情けなさも全部受け止めて、腹を決めてようやく"unlearn"できるのです。
これがスパッとできる人はなかなかいません。結果的に"unlearn"できた人も、入社して数か月は悶々として、ようやっと腹を決めて取り組めたという人も少なくありません。
人間の脳の「省エネ」機能
全く異なる文脈で、この現象を端的に説明している人がいました。通訳者/エッセイストの米原万里さんです。
少し長いですが、こちらのエッセイで関連する箇所を引用します。
前職の仕事の進め方や経験の延長線上で新しい仕事をするということは、「ラクして、似たものがあれば覚えないでそれで間に合わせよう」と脳が考えているということに他なりません。一方で、"unlearn"するということは、「根源的な基礎のところから習得する」ということに該当します。それ故、最後には新たなプロトコルをしっかり身につけ、そこにソトの経験を持ち込むことができるようになるわけです。ちなみに、米原万里もロシア語圏文化と日本文化の双方を行き来できたことで、通訳やエッセイストとして高い成果を残した方です。
転職時には、勇気をもって"unlearn"すること。これは自分が転職する際にも必ず心に強く留めていることです。
ただし、仕事においてはむしろ「前職の経験を当社に持ち込んでくれ」というパターンもありますので、必ず正解というわけではないと思います。それでも、組織が変われば「村のルール」も変わることは事実としてありますので、"unlearn"のスイッチを自在に押せることが環境適応の重要な要素であるとは言えるかと思います。