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大学生活とコミュニティ
私は高校受験に失敗し、命を削る思いで大学受験に挑んだ。第1志望の大学に合格はしたものの、自身の実力には見合わない大学だった。更に自身と周囲の学生を比べて劣等感を感じ、燃え尽き症候群になってしまった。ついには大学に通うのも困難になってしまった。
8時45分、1限が始まる時間。私は布団の中でじっと、なんとか起き上がろうと足掻いていた。結局大学に辿り着くのは昼前。1限と2限の単位は空に消えていった。苦しい受験を乗り越えようやく大学生活が始まったものの、同じ学科の友人すらいない状況だった。
早速学科に馴染めなかった私は、サークルの新歓に足を運んだ。私は中学・高校と吹奏楽部に入っていたので、一応吹奏楽サークルも覗いてみた。どうやら大学の吹奏楽サークルは初心者やブランクがある人も多いようだ。経験者の私は歓迎された。所属欲求が満たされた。当たり前だが先輩は新入生に優しい。新入部員確保のためである。甘い囁きで所属欲求を満たした私は、あまりにもあっさりとサークルのLINEグループに加入した。その数はなんと9つ、つまり同時に9つのサークルに入ったのである。
9つのサークルに入れば休み時間も放課後も大忙し。ぼっち大学生活をギリギリ回避しているように見せかけることができた。しかし、二兎を追う者は一兎をも得ず。どのサークル活動にも中途半端にしか参加できず、居場所を失っていった。居場所を失った私が行ったことは人間関係のリセット。9つ入っていたサークルのうち、吹奏楽サークル以外の8つをやめた。そうすれば居心地の悪さも解決できるし、重荷になっていた活動もスッキリおさらばできる。晴れ晴れとした気持ちで私はインカレサークルの体験に足を運び、また新しいコミュニティに属そうとしていた。
そして私はこれまたあっさりと音楽系のインカレサークルに入った。入ったサークルは他大学の人も多く、自身の大学生活のことを知らない人しかいなかった。サークルに馴染んでいれば大学に馴染んでいなくても問題がない。その点居心地がよく、私は大学の授業そっちのけで楽器の練習に励んでいた。
加えて、私はTwitter(現X)にのめりこんでいた。大学での唯一の居場所はTwitter。ツイ廃は学科に馴染めない人の巣窟っぽい所もあった。学科に居場所はなかったが、他学科のツイ廃と繋がり頻繁にオフ会をしていた。ツイ廃の属性は音楽系サークルでも活かされ、他大学の人にも私のアカウントが知れ渡るようになっていた。
ちょっと名が知れ渡るようになった私は、最初に入った音楽系サークルを引退した後もお手伝いをしてくれないかと人が足りないサークルから声がかかるようになった。これでかなり所属欲求が満たされた。ここでも声をかけられたら必ず承諾してしまい、体を壊すはめになった。何もできず舞台に立つ私は惨めだ。惨めな姿を見せたらもう終わりだ。こうして後を去ったサークルがいくつもあった。結局8つのサークルを一気にやめた時と何ら変わっていなかった。
そして、私の大学生活が一転する出来事があった。1人暮らしだ。片道2時間半の通学から解放され、かなり自由になった。また、研究室への配属と新しいバイトを始めたことも大きな変化だった。
研究室の先生はユーモラスで私の失言も全部笑ってフォローしてくれた。「(研究室)第3希望なんです」って正直に言ってしまった時も、「そういうことは言わなくていいんだよ」って笑って言い返してくれた。人使いが荒いことに定評があったが、ある意味沢山のチャンスをくれた。いい調査先にも恵まれ、学年ワースト3に入る程のGPAから、卒論優秀賞を受賞することができた。
新しいバイト先もある意味ぶっ飛んだ人が多く、私の異質さがネタ程度になったため、居心地が良かった。夢を追いかけて大学に8年在学している先輩、1人称が某国民的キャラクターの先輩、定期的にLINEアカウントが消える先輩など、仕事はきちんとこなすが、どこか社不のにおいが漂っていた。大人になりきれない大人が集まって朝まで飲んだりラウワンオールしたりする日常が、いつまでも終わって欲しくなかったなあと今でもしみじみと感じる。
話は変わるが、私は卒論追い込みの時期にマッチングアプリを始めるといった奇行に走り、無事卒論優秀賞と初彼氏をゲットした。そして修論追い込みの時期は発達障害の診断をもらうために奔走していた。そして無事に発達障害の診断と発達障害コミュニティに属することができた。人間は追い込まれると本領を発揮するのだと思った。
初めての発達障害コミュニティはオープンチャットだった。ツイ廃コミュニティにADHDがわんさかいたので嘘にはなるが、つまり自身が発達障害だと認め診断に至って初めて出会った発達障害の方がオープンチャットの方だった。学生時代の大半はADHDを疑っていたもののやっぱり診断は下らない、甘えなのではないかと思い病院への受診には至らなかったが、就活が上手くいかず流石にこの困り具合は何かあるだろうと思い診断に至った。
オープンチャットでは初めて自身の症状に共感してくれる人がいたり、自身の困り事を親身に聞いてくれる人がいて、やっと自身の苦しみや社会からの疎外感を1人で背負わなくていいのだと感じた。この解放感はこれからも忘れたくない。
その後Twitterの闘病アカウントを作成、日々情報収集をする中で現在も利用している発達障害支援センターや当事者会に出会い、今に至る。
以上、大学生活をメインに身バレギリギリを攻めて自身の所属コミュニティを書いてみた。サークル、Twitter、研究室、バイト、オープンチャット等どのコミュニティにも助けられて今の私がいると思う。出会えた方には感謝しかないし、過ごした時間は人生の宝物だ。それに対し、所属欲求と下方比較の塊である私は最悪な人間である。更にその2点が崩れれば人間関係のリセットをしてしまっていた。そんな自分を戒めるためにも、現在の私は人間関係の継続や対等な人間関係の構築を目標に掲げているのかもしれない。