人間関係を切る、つまり人を切る

Twitterヘビーユーザーの僕はこれまでネットで様々な人と出会い、別れを繰り返してきた
人と関わることがほぼ不可能な人間としてはただひたすら独り言を投げるだけで自然と会話のキャッチボールが始まるTwitterのあの環境が好きだ
唐突な別れや奇跡的な出会いもあり、目まぐるしく回る人間関係は時に疲れることもあれどとても充実している
最初に知り合ったあいつがTwitterをやめて音信不通になってから6年経つし、特に会話は無くともお互いのつぶやきにハートをつけ合っていたあいつも今じゃどこで何をしているのかすら分からない
そういった人間関係の輪廻に身を投じて渦のようにぐるぐる回っていく

アカウントを変える度に増える僕のハンネはさも僕の気移りしやすい性格を表しているかのようで既に6回ハンネを変えている僕はさしずめ前科6犯と言ったところだろうか

アカウントを変える度に僕は考える
僕が一方的に関わりを切った人達は僕のことを覚えているだろうか
僕が消えたところで気づきもしないんだろうか、少しは心配してくれるのだろうか、それとも何も言わずに切られた人は不快に思うだろうか

僕はたまに怖くなる
僕の勝手な気持ちで急に人間関係を切られた人は僕を恨んでないか
いや、恐らく恨んでいるだろう

何も悪いことをしていないのに何故か関わりを切られる、他人の勝手な気持ちで関係をシャットアウトされる
縁を、信頼を、切られているのだから
心を許し合える仲だと思っていた人が自分を鬱陶しく思っていたのだ
関わりを無くそうとするほどには
何も言われないから分からない、言われれば治してあげたい、と思っていても既に関わりは切られている
さぞ残念で恨めしくて鬱陶しくて悲しいだろう

だが、そのように人を切ってきたのだ、僕は
自分の思いつきや気まぐれで切れてしまう関わりを良しとして僕は無責任にも繋がりの糸を切ってしまう、それがどのような影響を及ぼすかも知らずに

関係を切ることはつまりそこにある信頼や縁、思いを切ること
すなわち人を切ることと同義である
そのような罪を犯してきた僕はまたいつか、
性懲りも無く人を切るだろう

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