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当たり前を噛み締めて麺をすする


今日バイト終わりに、仲良いおばちゃんと飯行くことになり、いつも食べてる大好きな新橋にあるラーメン屋に行ったら、長蛇の列が。



そこのラーメン屋は人気で、いっつも密な場所なんだが(今はコロナ対策済)外に長蛇の列が出来るのはあまり見た事がない。


おかしいなと思い、店の前を除くと、「閉店」の文字が。


しかもあと2日。


これは食べなきゃいけないと思い、並んで待つことに。


待っていると聞こえる声。

「あー閉まっちゃうんだあ、大好きだったのに」

「ここのラーメンは美味しいのよ」


会社員やらご夫婦やら、たくさんの人が並び、この店のラーメンを食べる。


閉店だから来たのか、たまたま通りかかって立ち寄るのかは分からない。が、愛されていることは確かだ。

それはお客さんの表情で分かる。最後の最後まで楽しもうと食らいつくお客さん、何かを思い出しながらどこか遠くを見るお客さん。ベロベロに酔いながらも幸せを感じるお客さん。



失って初めて気づくもの。当たり前だと思っていた事が一瞬にして当たり前ではなくなる。


失うことになって初めて気づくもの、というべきか。
閉店することになってから、コロナ関係なく押し寄せる人の波。

いつでもそこにあると思っていたものが無くなる時、人は初めて大切さに気づくのだ。


人も同じだ。いつ死ぬか分からないし、いつ何が起きるか分からない。
のにも関わらず人は当たり前を疎かにする。毎日どこか遠くの幸せを目指し、目の前の有り難さを忘れてしまう。


昔ながらの醤油ベースのラーメンは、何処か懐かしい。


昔、どこかでこういう話を聞いたことがある。
「いつも美味しい、は常に少しづつ味を向上させているからいつも美味しいのだ。現状維持だと味は落ちる」


本当にそうである。常に一歩一歩前に進んでいるから、常に美味しいのだ。


当たり前に歩いて来ているその道がなければ、今も未来もない。



いつもよりしょっぱい昔ながらの醤油ベースのそのラーメンを噛み締めながら麺をすすった。

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