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映画「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家・森山大道」監督日記⑥ ~ 目の前に本物の森山大道が

緊張…目の前に本物の森山大道が

「あ。ども。はじめまして、森山です」

これが25年前、僕が初めて聞いた
森山大道さんの肉声でした。
その人は、小さな声でポツリとそう言いました。
少しだけキーが高くて、
どこか恥ずかしそうな不思議なそのトーンに
20代の僕は猛烈に感動していました。
そして緊張のあまり失禁・失神寸前でした。

(うわ~、こ、こ、これが森山大道か~。
ほ、ほ、本物の森山大道が今、目の前にいる…)

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5年目の駆け出しの
テレビディレクターだった僕は、
その瞬間、何かとんでもないことが
始まりそうな予感がしたのです。

テレビは総合芸術だ、万華鏡だ…しかし

僕は大学を卒業し、
東京のテレビ局に入りました。
「テレビは総合芸術だ、表現の万華鏡だ」
そんな夢を膨らませて
テレビの世界に入ってきたものの…
実際に担当を命じられたのは生放送の情報番組。
連日連夜追いかけなくてはならなかったのは
芸能スキャンダルや三面記事の後追いでした。

…こんなはずじゃなかったな。
ちぇっ、何が総合芸術だ、何が万華鏡だ。
経験も実績もないくせに
半人前の僕は壁にぶつかっていました。
そんな僕を見かねたのか…
ある日、制作フロアの片隅で
定年間際のベテランプロデューサーが
話しかけてきました。
1995年秋のことです。

ベテランプロデューサーのひと言

「や~きみ、ずいぶん見事に不貞腐れてるな~。
あはは、オレんとこで何か一本、
長いモノ撮ってみるか?」

そのプロデューサーは「美の世界」という
CMなし、スポンサーなし、視聴率関係なし、
45分間ノンストップ一気見せ…という
今では信じられないような
早朝の美術ドキュメンタリーを担当していました。
それは、岡本太郎から横尾忠則まで
幅広くアーティストを直球で取り上げる
伝統的な番組でした。

こんな機会はそうそうないぞと思った僕は、
これ幸いとばかり無茶を言いました。

「ぜぜぜぜひやらせてください!
どうしても会ってみたい人がいるんです、
その人のドキュメンタリーを作ることが出来たら
もうテレビ局辞めたって構わないんです、
写真家の森山大道さんっていうんです、
知ってますか?知ってますよね、
やらせてください、ぜひぜひ作らせてください」

そう一気にまくしたてた生意気な僕に
プロデューサーは笑いながらこう言いました。

「じゃ、岩間君。
森山大道さんを自分で口説いてきてください。
話はそれからだよ。」

え?口説く?
自分で?
でも考える間もなく、即答していました。

「わ、わ、わ、わかりました!
口説いてきたらいいんですね?
そしたらやらせてくれるんですね?
約束ですよ!」

件のプロデューサーは
わかったわかった、
めんどくさい奴だな、はよ行け、と
手で僕を追い払って
その場を去っていきました。

でも…どうやっって?

僕は自分のデスクに戻って
一人鼻息を荒くしていました。

よーし、やるぞ。やってやるぞ。
ん?やるぞ?
…って、どうやって?
口説くも何も…えーと
それ以前の問題として
そもそもどうやって連絡取ったらいいんだ?
どうやって探したらいいんでしょう。
え…そこから?
大体、森山大道さんって東京にいるのかしらん?
いやそもそも日本在住?
案外、ニューヨークで暮らしてたりして?

だめじゃん、オレ。
何にも知らないじゃん。
やるぞー、じゃないじゃん。

インターネットも
コンピュータ検索もない時代です。
ましてや僕には
写真界にもアート界にも出版界にも
一切コネもつながりもありませんでした。

知り合いなし。手がかりなしです。

途方に暮れる僕の目の前に
「ぴあ」という一冊の情報誌がありました。
(25年前は紙の雑誌だったのです)
そうです、
この「ぴあ」こそが、
僕を森山大道へと導く指南書なるのでした。

ああ、「ぴあ」よ…。

つづく

(映画シーンより 
写真作品©Daido Moriyama Photo Foundation)


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