カードゲームから運を排除することの是非
僕は長い間シャドウバース(アプリ版)に競技的に取り組んでいて、それの半サ終をきっかけに2ヶ月ほど前からワンピースとドラゴンボールに移行しました。紙のカードゲームに移行して一番感じたのは雑魚でもイキれるゲームだなということです。Twitterを見るととても元気な方々がいっぱいいます。しかしシャドウバースというゲームにおいて雑魚は全くもってイキれない世界でした。その理由はRatings for Shadowverseというアプリの存在です。
カードゲームと運
カードゲームには当然運の要素が存在します。それがカードゲームの良いところであり悪いところでもあり、一発勝負の大会においては皆がその運に一喜一憂します。しかしその運の要素を完全に取り除いてしまったのがRatings for Shadowverseです。このアプリはbo3を100〜200戦ほど行いその勝率で競い合うゲームなのですが(正確な定義は異なるがそこは割愛)、つまりbo1単位に換算すると500戦近くすることになります。当然ながらそこに運の要素は全く介入しません。一発勝負の大会であれば運良く勝てる人でも、レートを500戦もしたら勝率4割なんてことはザラにありました。シャドウバースを競技的に取り組む上でRatingsは必須です。つまり、自分が雑魚であると常に突きつけられながら日々シャドウバースに取り組むことになります。Twitterでイキろうとするものならすぐさま「で、お前レートいくつ?」というセリフが飛んできます(無論実際に飛んでくるわけではなく、界隈全体の空気感という話)。せっかく運で強い相手にも勝つことができるゲームなのに、Ratingsの存在があるせいでそれがただの運であると突きつけられてしまう悲しい状態になっていました。
その一方、ワンピースなどの紙のカードゲームにはRatingsというコンテンツは存在しません。つまり運が良いだけで大会で勝った人がそれを自分の実力であると過信できるのです。これが界隈のTwitterを賑やかにしている要因で、毎日のようにTwitterはnoteで溢れ返っています。シャドバで弱い人間がnoteを書こうものならすぐさま袋叩きにされる(そもそも見向きもされない)状態でした。
カードゲームから運を排除するべきなのか?
ここまで聞くと僕の主張は「紙のカードは雑魚でもイキれるゲームでおもんない」という風に見えるかもしれません。しかし実際はむしろその真逆です。雑魚でもイキれるゲームだからこそユーザーは減ることなく界隈が活発化していると考えています。一時は一世を風靡したシャドウバースですが、日を追うごとにユーザーは減り続け、遂には半サ終のような状態になってしまいました。自分が雑魚であると日々突きつけられながら毎日ゲームをするなんてあまりにも辛すぎるしただの修行僧です。そんなものに耐えられなくてシャドバを引退していったユーザーは周りでも多く見ました。運で実力差を捲れるのがカードゲームの良いところであり、その良さを潰したRatingsは間違いなくシャドバの衰退の要因の一つだと考えています。
さいごに
運の要素を徹底的に排除したRatingsの存在はシャドウバースの競技シーンの発展に寄与した一方、シャドウバースというコンテンツの衰退の一因にもなりました。僕自身Ratingsというアプリは大好きだしこれがなかったらシャドバにここまでハマることは絶対ありませんでした。Ratingsは間違いなく悪であると僕は断言しますが、Ratingsには本当に感謝しています
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