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在るは或る日突然に
大学の友人宅へ遊びに行きました。
手作りの美味しいランチとデザートをご馳走になり、楽しくおしゃべりして、あっという間にお暇する時間。
彼女は 波動調整® について何も知りません。
そういうことに興味がないそうです。
コロナワクチンを何回か打っていて、洗面所に薬用石鹸◯ューズも置いてあるけど、わたしが接種済みなのかどうかについては無頓着。
「猫みたいに気ままに暮らしたい」と嘆きながら地道に会社に勤め、休日は大好きな料理で自分と周りの人たちを幸せにできる、自立した大人の女性です。
入学直後に知り合った時点で、既にそういう子でした。
帰りの電車内、波動調整®セッション会 のとき以上の心地良さを感じている自分に驚き、認めざるを得ませんでした。
まだまだ頑張って “やろう” としていることを。
心底料理を楽しむ彼女の方がずっと等身大で自然体です。
波動調整® を学んでいる人間が
波動調整® を知らない人間から
波動調整® を受けて癒やされる。
あーーーーー!!!!!
こんな文書いて発信してる自分、ださっ!
自己想起!
自己想起!!
って連呼する自分、超絶だっさ!!!
自己想起って通奏低音みたいなものだから、レイヤーの最前面に持ってきても機能しないのにさぁ。
一輪車の話をします。
自転車に乗れたときの記憶はもうないんですが、一輪車に乗れたときのそれはハッキリあって、ずばり
何の前触れもなく
ある日突然乗れるようになった
です。
もちろん練習はたくさんしました。
最初なにが起こったのか分からなくて、少ししてから乗っていることに気付いて、そこでようやく「一輪車に乗れた」という認識がなされたように思います。
波動調整® も同じじゃないでしょうか。
最近、抑圧されていたものが意識に盛んに浮かび上がってくるような日々を過ごしていますが、いかんせん、受容 “しよう” と力んで空回りしています。
過緊張を捕まえに行くんだけど、するりと逃げられて、代わりに思考を掴まされているような感覚がする。
それだけ思考が出しゃばるということは、そもそも「観る」になってないんじゃないか。
じゃぁどうするか?
できるところまで戻れば良い。
受け容れようとしても
受け容れられるようにはならない。
『観る』が極まった先に
『受け容れる』が起こる。
観ようとしても
観えるようにはならない。
『在る』が極まった先に
『観る』が起こる。
『在る』も『観る』も『受け容れる』も、やっていることは同じ 波動調整® です。
包含する度合いが違う。
だから
在る → 観る → 受け容れる
ではなくて
受け容れる(フォント大)
↑
観る(フォント中)
↑
在る(フォント小)
みたいな感じ。
文字が徐々に大きくなると思ってください。
在ろうとしても、決して在れるようにはなりません。
波動調整® を実践することしかできないのです。
実践を重ねた先に、ある日突然「ただ在る自分に気付く」ときが、必ず来ます。
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