はじめまして
この記事をご覧頂いております読者様へ
はじめまして、つくば住宅工房株式会社の橋本と申します。
ご覧いただき誠にありがとうございます。
1番最初の記事では、私の自己紹介をさせていただきたいと思います。つまらない文章にならないよう心がけましたので、是非最後までお読みくださると嬉しいです。
簡単に経歴をお話させていただきますと、1992年12月に福島県郡山市の小さな助産院で産声を上げたそうです。私は3人男兄弟の次男坊で、1番手が掛からなかったと後から聞きました。
小学生の頃、学校前で分譲住宅を建てていて、そこで初めて『家』というものを意識しました。あとは、多くの方がご覧になったことがあるのではないかと思いますが、『劇的ビフォーアフター』というテレビ番組が今の仕事を選んだことに大きく影響を与えていると思います。
『匠』と呼ばれる建築家が、今在るものを活かし、その場所で日々刻まれた思い出の数々を形や見せ方を変えて、未来へ継承させる、その過程に心躍らせられました。
中学生になった頃には、将来なりたい職業を調べて発表するといった授業の時に『建築家になりたい』という希望を描いておりました。
そして高校は、福島県立の建築科に合格し、晴れて建築家への第一歩を踏み出したわけであります。
建築の授業は、毎日が楽しく、日に日に建築という分野が好きになっていきました。
特に設計製図の授業は、建築家になったような気持ちでステッドラーのシャーペンを走らせていたのを思い出します。
そんな楽しい日々がいつまでも続くわけはなく、卒業という節目を迎えました。昔から人と接することが得意ではなく、面接が嫌で嫌で仕方なかったので、その最たる就職活動は、本当に辛かったな記憶しています。最終的に就職した先では、新築戸建の現場監督という職業に就くことになったのです。設計事務所じゃないの?と思われましたよね。これは、当時の先生が『設計の仕事に就きたいのならまずは、現場を知れ』と言われ、それに従い現場監督の道に進みました。言われるがままに選んでしまいましたが、今思えば当時の先生に心より感謝申し上げたいです。
今の私を作り上げたのは、間違いなく現場監督という職業でした。人と接することが苦手な私にとって、年も経験も遥かに上の職人さんに指示を出すということは、テニス界で言うジョコビッチとフェデラー2人を相手に1人で挑むが如く、困難を極めました。
何度も試合を重ねていくうちに相手の癖や得意なことが見えてくる様になると、どこにどのように打てば、どう返ってくるのかが分かってくるようになり、ラリーを楽しめるようになりました。
テニスの話になってしまいましたが、職人さんといい関係性で現場を管理監督出来るようになっていきました。
当時は、全国に展示場を展開しているログハウスメーカーに就職しております。高校の授業では、さらっとでしか出てこなかった丸太組工法という、在来工法とは全く別物の仕組みで家づくりをしている住宅メーカーでした。
ログハウスという住宅は80%が木材を使用するため、木材への知識も深まった時期でもありました。
就職して3年目に、今の共に事業をはじめたスタッフと出会うことになります。この話は、また別の機会にお話したいと思います。
福島にある本社から水戸市、つくば市と転属で南下してまいりました。この頃から思っていたことが今日の会社設立に繋がっているのです。
新築事業にアフターサービスやリフォーム工事は、必然的に発生し、お引渡後はオーナーさんを守っていくことでより安心できる暮らしにつながり、しいては地域貢献に繋がると思っているのですが、どうもアフターサポートやリフォームは、新築工事と比較すると工数と費用のバランスが合わない等で受けられないことが多く、申し訳ないなと感じておりました。
引渡したら終わりでは、本来皆様が求めていたものとはかけ離れてしまっているのではと私は思います。
当時は、そういうものなんだろう、仕方ないのだろうと諦めていたことも事実です。
話は少し変わり、建築家を夢見て、また、建築に携わるものとして建築士免許取得に向け、勉強を開始しました。貯金のほとんどを注ぎ、スタッフにも協力頂き、何とか合格を果たしました。難しかったかと言われると今振り返ればそうでもなかったと感じますが、当時は寝る間を削って勉強していたのを思い出します。
それから1年後に日頃のハードワークが原因で、体調を崩し、一時休職する事になりました。復調せずやむなく退職を選びました。社会人1年目の会社で、新卒採用1人目ということもあり、とても目に掛けていただいており、体調を崩した際もいろいろとサポートしてくださいました。当時、私を心から支えてくれていたスタッフと(今の事業を共にしているスタッフなのですが)一緒に会社を退職し、転職活動を行いました。以外とスムーズに転職先が決まったのですが、そこでのお仕事や人と出会いが、今の私たちの骨格になっていると言っても過言ではないと思います。
千葉エリアで同じログハウス展示場を展開していた住宅会社からお声掛け頂き、入社することとなったのですが、なんと別の新築事業を展開するため事業立ち上げからお願いしたいという内容でした。その事業こそが『建築家住宅』でした。今でも思い出しますが、胸踊る毎日でした。
幼少期から想い描いていた建築家と仕事が出来る。スタッフは、私を含め3人と少数精鋭の部署でしたので、とにかく全ての業務に携わることができたと思います。チラシ作成、HP制作、SNS発信、ポスティング、イベント開催、あとは、今までと同じく現場管理に加え、専属の職人さんを集め、施工方法について指導したり、図面を作成したり、積算をしたり、ありとあらゆることをここで経験させていただいたと思います。そして、建築家の方や起業を後押ししてくださった多くの恩人の方との出会いがありました。その出会いの中で、主に確認申請や構造計算等の設計業務を一挙に引き受けてくださり、この度の起業の際にも快く協業いただくことにご快諾いただきました常総市にありますアトリエ建築夢空間マツダさんに当時よりお世話になりっぱなしです。
話は戻り、開業から4か月で3棟の受注と順風満帆かと思った矢先に、親会社の経営不振により、1年たらずで撤退することとなりました。
モデルハウスがなかった私たちに、快くお貸しいただいておりました会社の社長さんから、うち来で続けようとお声がけ頂き、これまたスムーズにお客様と共に移ることになりました。
起業することの難しさや楽しさ、起業してからのことなど、会社設立にあたりあらゆるリスクヘッジと後押しをしてくださった恩人です。
この場をお借りして心よりお礼申し上げます。
当時の職場で私は、初めて営業職を経験することとなりました。
人と話すことが本当に苦手な私に失礼のない応対ができるのかと不安しかありませんでした。想像通り、はじめはお客様との会話が全く続かず、ただ覚えたセリフを再生するだけの営業とはとても言えない応対で、なかなかご成約いただくには至れない日々でした。
入社から2か月目の1月3日、モデルハウス前でお客様へお声がけをしていました。
1組のご夫婦がご来場され対応させていただ来ました。気さくなお客様で終始リラックスして対応させていただけておりました。
結果的にこのスタイルがよかったんですね。
今までは、研修などで覚えたセリフをそのまま再生しておりましたが、その時は、普段の会話で使うような言葉で会話できたのだと思います。
するとあろうことかお客様が私の目を見て、うなずきながら話を聞いてくださいました。
私の言いたいこと、思っていることが、何か伝わっている、そんな感覚になった事を今でも覚えています。
そこから話が弾み、とんとん拍子で私たちとの住まいづくりをご希望頂くこととなりました。
人生初のお申込みでした。とてもうれしかったので、今でも胸が高鳴ります。
最後の決め手がなんだったのかをお申し込み後に伺ったのですが、おどろくことに、お手洗いの紙巻き器でした。
標準仕様と呼ばわれているものが住宅会社にはあり、これは会社ごとに異なるのですが、会社の色が出るところだと私は思います。
選んでいる商品ひとつひとつに思いが込めらており、またきちんとした理由もあります。『そんなところまでこだわって家づくりをしている住宅会社なんて他にはなかった。』『そこまで真剣に考えて家づくりをしているあなたの会社にお願いしたいと思った。』とおっしゃっていただきました。
きっと他の会社さんも選んだ理由や、こだわりを持って仕様を決めているのだと思いますが、きちんとお伝えできて、初めて価値あるもの選びなのだと私は思っております。
いろいろな考え方があると思いますが、「無から有がうまれることはない」という考え方に私は強く共感しております。
お客様とお話させていただく際にも「なぜそのキッチンにしたいのか、そのキッチンがいいなと思った理由は?」という確認から本当の理想や悩み事などを聞き出すことができると思っております。そうすることでご提案の幅も広がり、もしかするとコストを抑え、ご要望をかなえることができるかもしれないし、+αの要素を同じコストでかなえることができるかもしれないという、お客様にとってメリットとなるご提案につながるわけです。
紙巻き器が決め手で選んでいただいたお客様もとても満足しているよと伺いました。
その後、3人で初めて建築家住宅をやっていた時のスタッフから「また一緒に仕事しようよ」と声をかけていただき再び共に建築家住宅第二弾がはじまります。
新築営業、当初は、モデルハウスの申請や新店舗立ち上げ、そしてリフォーム・リノベーションを6年間勤めさせていただきました。
自身の営業スタイルの確立や住宅ローン、不動産等の知識を身に着ける事ができました。また、リフォーム・リノベーションの知識や経験を養うことができました。
リフォーム(修繕)=劣化により元々の性能が失われた部分を元の性能に戻すこと。
リノベーション(改修)=更なる価値を付加して、これからの暮らしに合わせること。
勿体無いだけで終わらせない。
家族の想いを継承する。
全てが新鮮でした。
新築より、出来ることが限られていると思われている方が多いのではないかと思います。
実は全くそんなことはありません。
技術と知識そして経験があれば、まるで新築様に、そしてなつかしさのあるの家づくりが可能です。
リノベーションには、まだまだ可能性があると思います。この話は、またのちほど。
当時の会社にも変わりリノベーションのお問い合わせ以外に、リフォームのお問い合わせもございます。
また、新築後のちょっとした補修等のご依頼もございましたが、建築家リノベーションのみ受付けていたので、お受けすることができず、大変もどかしい日々でもあり、お受けできずお断りしなければならず申し訳ない気持ちでいっぱいでした。お断りしておりましたリフォームをご検討されている方が増えてまいり、受けてしまえばいいのでは?と思い、今みでのキャリアやブレーンもいる、自分たちでお受けしよう、と決断致しました。
今まで得てきた経験や知識を、相続や保険のブレーンと協力しあい、新しくも懐かしい、新たなリフォーム・リノベーションをご提供できる様尽力してまいります。
こんなことで問い合わせしていいの?と悩むよりぜひお気軽にお問い合わせください。
長くなってしまいましたので、今回は、この辺りとさせて頂きます。
最後までお読み頂き、誠にありがとうございます。