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事故の瞬間、零コンマの何秒の差は何?

 以前から気になっていることで、自分勝手に色々考えていることです。

 今回は、事故も何も起こらなかったお話です。

人身事故が起きてもおかしくなかった状況の説明をする事と
何故?と思ったことの話です。
 状況は上記に示した簡単な図面を見てください。

 家に帰る自宅近くで、夜10時過ぎていました。
 交差点辺りは明るいが他は暗い状況で、その上雨が激しく降っていた。
ワイパーを高速にしても視界がいまいち良くない状況でした。
 当時、信号は夜遅くなると、赤の点滅黄色の点滅に変わる信号がありました。
 
 私の車はグリーンで斜線マークしたもので、緑の矢印方向に向かうところです。
 私の車の進行方向は赤の点滅だった、雨も激しいので車を一旦完全停止させた。
 左右確認して車を発進させて1~2m進んだ時、目の前を左から右へスーッと何かが通り抜けたような感じ(瞬きしてたらわからないくらい。)、すぐにブレーキを踏んだ。
 
 普通であれば大声を上げてるところ、この時は言葉も、叫び声も全く何もなしだったというか、ぐうの音も出なかったような状況が正直なところだ。
 通り抜けているのだからブレーキを踏んでも仕方がないのだが、その時は車を止めた。
 別に何もないので再び矢印方向に進むと、私のライトに照らされた自転車(ピンク色で、矢印方向に向かった。)を確認することが出来た。

 冷汗が出た、なぜか? 
 私は全く自転車に気が付いていなかったからだ。過ぎ去った後にようやく気が付いたくらいだから。
 
 その時思ったのは、自転車は猛烈な雨もあり、私の車が完全に止まったので、黄色点滅には気づかず、いつものように私側が赤信号になっていると思ったのかも知れない。
 それとも黄色点滅に気が付いていて、私が停止したから、急いで道路を猛スピードで駆け抜ければ大丈夫だと思って通り過ぎたのかもしれない。

 この「零コンマ何秒」かの違いで、間違いなく事故は発生していた。

 私の方はスピードは出てなかったが、自転車のスピードはかなり出ていたのでぶつかっていたら、跳ね飛ばされてどうなっていたかわからなかったはずである。

 この時間の差「零コンマ何秒」差に私は不思議さを感じる。

 もし私が、雨が激しいから、横断報道の前で軽く止めるだけだったら、自転車は車の脇腹にぶつかっていたかもしれないし、自転車は止めて待っていたら何事も起こらなかったはずである。

 この日の私と自転車の場合は、この瞬間にお互いの偶然の判断が、事故を避けたことになる。

 事故に遭遇してしまうとはどうゆうことなのか?

 お互いのとちらかに、時間のズレがあれば何事もなく済むわけである。それも零コンマ何秒でいいわけである。

 あの日航機の墜落でも、キャンセルした人もいれば、そのキャンセルで乗る人もいたわけである。
 
 今回の埼玉・八潮市の道路陥没事故も、もう少し前に陥没していれば、トラックが気づいて車を停止して、下までは落ちなかったかもしれない。

 私が起こした東名高速道路事故の避難する時でも、4~5分くらいの時間がなかったら、私たちは今この世には存在しないことになる。

 多分このようなことがたくさんあるのだと思う。幸か不幸か遭遇してしまうこともあれば、遭遇しないこともあるようだ。

 これらの事は避けられない運命なのか、何かの力の仕業なのか、偶然起きてしまったことなのか、そのことをいつも考えてしまうのです。

 私の事故は自分の不注意で起きたものだが、そのあとの衝突事故に巻き込まれなかったことは、何だったのだろうと考えてしまう。

  
 話題が少し変わりますが、ここで少し疑問に思うことがあります。

道路陥没のイメージ


 私の記憶だからハッキリは断言できないが、これは全国的に言えることなのですが、日本の公共設備等は1950~1970年代に集中的整備(東京オリンピック前後)されたものである。
インフラは建設から数十年を経て老朽化することは、最初から知られていることである。
(1970年の後半にできたとしても、今年は2025年であるから55年経過してることになる。)
 私が覚えていることで言うと、公共設備等で50年過ぎたら危ないと聞いていたと思う。記憶違いであればごめんなさい。50年過ぎると加速度的に老朽化が進むらしいと言われている。

 老朽化について1990年頃から徐々に注目され始め、2000年代に入ると、老朽化のインフラの管理が社会的に課題であると認識されてきていた。
 この先2030年になると55%が50年以上のものになるらしい。この数字は道路・橋に関したものです。

 こんなことを知っていて言っているのか、知らないつもりで言っているのか、お上の発言はすべて、
 私どもには責任はありませんと言ってるように、私は受け止めてしまいます。

 昨日のニュースで知ったのが、穴が開いてるかどうか検査する、検査トラックは2~3mくらいの地下しか探査できないようです。
 なのに今回の下水道管は10m地下に埋設されているようだ。

 しかし淡々と回復工事に向けて、工事は進めているようだ。

 チョット前に失われた時期、10年、20年、30年とか言われてきたが、目先の事ばかりに投資をしてきたことが、このような結果にもつながったように見える。
 先の投資(成果が出るのに時間が掛かるもの)には、この時期はかなり消極的だったように思われます。

 私の記憶では失われた時期に、基礎研究には資金の提供はしない方針変更されたと思っている。

 いろんな分野での基礎研究は重要だと思う。

 例えばであるが、このような土木工事の研究に投資をしていれば、今回のような時に何か役に立つ研究成果が出てるかもしれません。
 

 一寸先は闇、私も投稿したこともある、上り坂、下り坂、そして「マサカ」がある、人生何があるかわからない、で済ませられことなのだろうか。

私にはわからないことです。
でも私たちに出来ることが、何か必ずあるはずだと思います。

最後まで読んで頂き、感謝申し上げます!

 


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しゅうぼう
パリに向け日々精進してまいります。