朝、窓を開けた、富士山がない?!
学生時代、いくつかのアルバイトをしていた。そのうちの一つが設計事務所で原宿にあった。
竹下口を出て竹下通り(今とは全く違っていて住宅もあったように思う。)を明治通りに向かい、竹下口交差点で明治通りを渡り、まだ直進する。
キャットストリートまではいかなかったように思うが、ハッキリしないがそのあたりの一軒家に設計事務所(神宮前2~3丁目界隈)があった。
東京都から都市計画の仕事を請け負っていたらしく、都市計画についての仕事が主だった。
アルバイトはすべて学生で女性が5・6人男性が2・3人だったように思う。女性は同じ大学で名門大学であった。挨拶の言葉使いが独特で、初めて直接聞いたのでビックリした。
やっぱりこんな世界が本当にあるのだなと思った。
レクリエーションを兼ねて山中湖の別荘に2泊3日の合宿(仕事あり)に行くことが決まった。
バイト代もよく、悪い人たちではないと思い、合宿に参加することにした。
社長(〇〇さん)とは呼んでいなかったが、いいところの息子さんで、別荘は彼のうちの別荘だったように思っていた。
別荘は山中湖の湖近くではなく、少し山の方へ行ったところにあるようだった。
現地集合なので各自別荘に向かった。
私は小田急バスの山中湖行きのバスに乗り終点で降りた。誰だか覚えていないが車で迎えに来てくれて別荘に向かった。
別荘に着くとほとんど集合していたようだった。
別荘はイメージとは違い、豪華でもなくごく普通の民家のようであり、中に入ってもやはり普通の家庭のような作りだったが、照明だけは少し弱く感じた。
早く来た人たちは、少し仕事をしていたようで、机には東京の地図が広げられていた。
私が到着して全員揃ったようで、乾杯して食事になった。
あとはあまり覚えてなくて、私はそそくさと2階へ上がり寝たように思う。
意外と人見知りだと自分でも思った。
いつも原宿の事務所では、私の場合、仕事は午後からが多くて午後1・2時ぐらいから10時前後まで仕事をして帰っていた。
夕食代はプラスで別途出ていた。
ここの変わったところは、午後8時過ぎは酔わない程度あれば、事務所にあるウィスキーはタダで飲んでもよかった。
お酒がいいと言われても、そうそう飲めるものではなかった。
まだバブル期でもないが、バイト代は全般的によかったと思う。
一日に2箇所掛け持ちすれば1万以上になっていたと思う。
これだけ色々覚えているのに、この事務所の細かい仕事については全く覚えていない。
ただ大きな東京都の拡大地図を広げて、その地図に向かっていたのは覚えている。
翌朝、起きて窓をすぐ開けてみた。
(前もって聞いていたのが、富士山には物凄く近いところだから、山がとてもよく見えるということだった。)
※窓を開けると冒頭の画像のように見えた。※
しかし開けてみても、富士山らしきものが見えなかったが、前方に障害物があるようにみえた。
その障害物を徐々に上の方に目線を動かしていくと、
「突然、富士山が出た~~~。」
自然と出る言葉が「ワォー」である。
とにかくまず大きさに感動である。見上げないと全体を把握できないくらいに大きかった。
青空の青と山のてっぺんの雪の白、その下の方には、森というか森林が広がっているのだが緑色にはチョット見えなかった。青っぽく見えた。
景色の彩色が見事に整っているようだった。
この理由は「大気遠近法」と言って、距離が遠くなるほど色の彩度が下がり、青みがかかる傾向があるので青っぽく見えるらしい。
しかし惚れ惚れするほど綺麗なかたちの山である。
近くで見たのは初めてだったこともあり衝撃的だった。
(皆さん「噓でしょう!!!」と思てるでしょう?)
これは実際見てもらわないと分からないと思う。
思い出したことがあるので書いてしまいたい。
東日本大震災(2011.3.11)の直後、2011年3月15日22時31分に富士山南麓を震源とするマグニチュード6.4の地震が発生した。
さすがに私も、この時には身構えたものだった。
あのような山であの地震のすぐ後に、大きな地震が来れば噴火の可能性が高くなる、素人の私でも想像しやすい。
この地震で死者は出なかったようだが、被害は大きかった。
今でも富士山の監視は続けられているようだ。
いつでも注意しておかないといけないと改めて思うところです。
綺麗な山だけに不気味さも、また感じてしまう。
今日はお昼休みを利用して、全員で湖畔をサイクリングすることになり私も参加することにした。
ここでマズイ事が起こった。
私の財布ではないが、定期入れをサイクリングの途中で落としたらしい。
悪いことに定期入れには、いざという時のために別に2万円を細かく折りたたんで入れて置いたのだった。
財布の方は別に問題なく、いくらかのお金はあったので当座は大丈夫だった。
暗くなるまで探したが、結局見つからなかった。何のためにここまで来たのか、意気消沈してしまった。
浮かれるものじゃないと反省しきりだった。
お金の紛失や、仕事に幾らか場違いなものを感じたので、設計事務所は早々に辞めることにした。
しばらくは節約生活を強いられて、とても苦労したものだった。
最後まで読んで頂き感謝!感謝!