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液状化現象・地震保険の研究・検討:始まる 1964.6.16.13:01 新潟地震

 昨日の宮崎の震度5弱について思うこと。
 私は幸いに、経験した大きいものでいうと新潟地震で震度5、東日本大震災で震度5、のふたつだけです。
 あと東京で30代の頃の夜中に、震度3~4くらいのものが、頻繁に揺れたこと(短い間隔で)を聞いたことがあるくらいの経験です。私は気づいていなかった。

 経験した新潟地震の時のハッキリと残る映像は、小学校の昼休みの時間、中庭の池の脇にある渡り廊下で5~6人で「馬跳び」遊びをしていてた。
 何かの拍子で皆の列が崩れた時に、私は強くスノコの床板に頭をぶつけた。「痛いー」と私が声を出しと同時に、聞いたことのない
 「ゴウォーーー」という音が鳴り始めた。(この音は不気味で恐怖感じるものだった。)
 それと同時に、私は頭をぶつけて「クラクラ」している思っていたが、酷く建物が揺れ始めて、悲鳴も聞こえたりしてすぐに地震と思った。

 その時、池の水は地震で左右に大きく揺れるので、水が池の周りにまき散らされるように溢れ出していた。
 ここはなぜか思い出せないのだが、2階の教室に戻った記憶がある。
 教室に戻ると、何人かの生徒がいて外に逃げようとしていたところだった。
 そのうちにひとりの男の子が、机の角に足が引っかかって出れないんだ、と叫んいたので、そこへ行って足を引っ張ってあげるとすぐに抜けた。
 急いで残っている子たちと逃げた。
 その時階段を下りる感じが、揺れのせいかミギ・ヒダリと反復横跳びをしているような感覚だったように記憶している。(嘘っぽく思うが、実感として残っている。)

 校門辺りに生徒たちが集まり始めていた。
 いったん揺れが収まったのか、続いていたのかは覚えていないが、小学校の前にある、確か、厚生会館(コンクリート製で大きな建物)とそのそばにあった、変圧器付きの電柱が、ユッサ、ユッサ、ユッサと揺れているのがハッキリわかった。
 電柱の方が激しく揺れたけど、折れるようなことはなかった。
 厚生会館の建物は、火事ではないのに、薄いグレー色の煙が上がっているのが見えた。そのうちに建物の端っこにあるコンクリートの部分が、剥がれて崩れていくのが見えた。
 それは幅50センチくらいで、人の高さくらいの長さのものが落ちていた。

 何分間の映像になるかわからないが、妙にしっかりと頭に刻まれている。

 東日本大震災の時は世田谷区の多摩川に近いようなところに住んでいた。
この時期ぐらいから一人暮らしで、狭いワンルームのマンションだった。
 この時も、ものすごく揺れたけど割と冷静だった。

 これ以上揺れたら、机の下に潜ろうと思った瞬間に揺れが小さくなっていった。さすがその時は、これで助かったと心底思った。
 収まった後に、すぐに子供3人に連絡を取ったが、最初に掛けた子供はすぐに連絡は取れたが、後の子たちは直ぐに連絡が取れず夕方過ぎに、二人とも連絡がきて無事の確認は取れた。
(この地震の1年か3年前かハッキリしないが、夢の中での話だが、カラーの夢でトイレのようで、全ての壁が白い部屋で私が真ん中に座っている。すると激しい揺れがきた、すぐに私は両手を真横に出して揺れに備えようとすると、壁がそんなに近くには無いはずなのに、両手で壁を抑えられて揺れに耐えることが出来たという夢を見た。変な夢と思っていた。)

 それにしても地震はいつでも、全く突然に来るものだから、まずは自分の命を守しかない。
 体験された人の話とか、映像などを見ても、本震の揺れの時は何もできないようだ。
 そのあとの行動が、命を左右すると私は思っています。

 昨日の地震で昔の新潟地震を思い出し、自然と自分の体験が蘇えった。
それでいつも思っていることを書いてみた。

 私は地震で非難した経験は幸いありません。
 しかし最近こそ放送されなくなったが、下図のイラストにあるような劣悪な暮らしを、色々な避難所の映像で見る機会が数多くありました。
 

「私たちの潜在意識の中にある景色を当たり前と思っている。」
今はダンボール製のパーティションとかベッドもあるところもあるが、
断念ながら、基本このような日々である。
昔とそれほど変わらない。

 新潟地震からもう60年以上も過ぎている。
 この地震を契機に液状化現象の研究が始まり、地震保険もまたこの地震を契機に始まったようです。(冒頭の画像が新潟地震の液状化現象がよくわかるものです。)

 私の記憶だからいい加減かもしれないが、
 この当時、地震は予見できるという方針で研究(この時の研究費用は多かったと思う。)されていたと思う。
 しかし今は予見は出来ないというのを、念頭に置いて研究しているように思う。
 だから地震の起きた後のことを考えるようになっている、にも関わらず避難所はそれほど変わってはなく劣悪のままである。
 
 新潟地震いやその前にも大きな地震はあったが、色々な契機になった新潟地震からの教訓は何だったんのか、南海トラフ巨大地震も近づいてきているわけだか、もう少し避難所の件は考えてほしいところです。明日は我が身ですから。
 お上は地震で被災したら、あのような避難所に住むことを、基本方針であると考えているようだ。(地震は何十年一度か何百年に一度と考えがあるからだろうと察するが。)
 よくないと思っているならば、もっともっと改善してきたと思う。

 いま民間の方たちが色々な工夫をされているが、これはあくまでも民間だから資金が豊富にあるわけでもない。

 率先して日本が、いざという時の避難所関係の専門性のある仕事が、構築できれば世界中いつでもどこでも地震は起きているし、必ず起こることなので需要はたくさん存在すると思う。

 地震は地球の構造上、悲しいことですが間違いなく起こる。

 私が思うには、日本人の奥ゆかしさが避難所の改善に、少なからず影響しているかはわからないですが、施設内での希望を、実際避難所で生活されている方々か、経験された方々から話をして頂けるとありがたいと思う。
 我がままということではなく、将来同じように体験するであろう私たちのためでもあります。

「地震のメカニズム」
こんにゃくの実験でやるとよくわかるのですが、
右にある海洋プレートと左にある大陸プレートがこんにゃくに置き換えて考える、矢印の方向に押していく、限界に達すると大陸プレート跳ね上がります。
それが地震です。
しかし海洋プレート沈み続けるので、どうしてもまた大陸プレート跳ね上げるわけです。
その間隔が何時かということが問題になっています。

大小はありますが、地震は必ず突然起きる、そして永遠に起きる。
それをいつも頭に置いておこうと思っているところです。

気を付けましょう!忘れたころに必ずやってくる。

今日もまた読んで頂き、感謝、感謝です。

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しゅうぼう
パリに向け日々精進してまいります。