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ノルウェーと日本で暮らす日々。
はじめまして!
私生活の変化から50歳を過ぎてからノルウェーと日本の二拠点生活が始まって5年目に突入します。
二つの国に家族がいることで、抱える問題もダブルに感じていたけど、今はやっとこの往来生活にも慣れ、今まで見えなかった景色が自然に視界に入るようになって、心の余裕がやっぱり視界を広げているとつくづく感じようになりました。
30代40代と家庭の中だけで動き回っていた自分が、50歳から二拠点生活をして、二つの国の今を目にして感じたことや、特に同じ女性としてノルウェーも日本めた抱える問題は同じなんだなぁと感じたことなど発信していこうと思います。誰かの背中をそっとおす、そんな文章になればと願います。
今回はなぜ私がノルウェーと日本の二拠点生活になったかその経緯からお伝えします。
私の祖先はバイキング⁈
と思う程、私の人生はノルウェーに関わることが多い。たまたま友人が受験する予定だった北欧文学科だったが、他の大学と重なるからと私に興味本意で受験を勧めてきたのが始まりでした。
実はそれ以前にも、高校の時のアメリカ留学先でもたまたまノルウェー人の女の子の留学生と一緒のクラスになって、何かと一緒にいることはあったけどそれ以後は殆ど音信不通になっていました。
話は戻って、結局友達の勧めで受けた大学しか受からず、時に思い入れもなく入学することになりましたが、その後卒業する頃にはノルウェーに留学したり、就職先までスカンジナビア一色になっていました。
その後縁あって結婚した人は、日本人とノルウェー人を両親を持つ人で、3人の子供達に恵まれた末、12年の結婚生活に終止符を打ちました。
もうしばらくはノルウェーと関わることもないだろうと、無我夢中でシングルマザーをしていた頃、たまたま募集していた大学での非常勤職員が決まり、未経験でもよく採用してくれたなぁなんて思いで仕事を始めました。
今思うとこの仕事の面接の際、たまたま待ち時間を潰すために座ったベンチの前には、昔使っていたノルウェー式捕鯨砲が…。そしてその後またノルウェーに関わる仕事に携わるとは。しかも再婚相手に出会うことに…。私の祖先はバイキング⁈と思わずにはいられないほど私の人生にはノルウェーがつきものだったのです。
2. コロナ禍でのノルウェー移住
長男はすでに高校生活を謳歌していたので、次男と末娘を連れてノルウェーに移住し、慣れない環境と言葉の壁にぶち当たりながらの生活が始まりました。私はすでに大学でノルウェー語を学んでいたので何とか日常生活はできましたが、子供達はかなり苦労しながら毎日を送っていました。ただノルウェーは様々な国から難民や移民を受け入れているので、学校などはかなり手厚いサポートを受けられる環境が整っているのでその辺りは安心して通学はできました。
移住して2年次男が中学3年にさしかかった頃、やはり日本の高校に通いたいと言って、私はできるだけ次男の思いを尊重したいと思い、夫とも相談して日本に帰ることにしました。ただ末娘はせっかく慣れたノルウェーでの生活を継続したいと言うので、しかたなく兄の受験のためだけに日本に帰ることとなりました。
3. 二拠点生活のはじまり
無事次男は日本の高校に入学。ただ末娘は多感な時期もあり、なかなか日本の中学に馴染めず、学校を休みがちになってしまいました。結局娘はその年の夏休みからノルウェーの学校に通うことになり、ノルウェーでは夫と娘、日本には私、長男そして次男とプラス実母の介護と、生活することに。ここからが私の日本とノルウェーを行ったり来たりする生活が始まりとなりました。
4. 旅はまだまだ続く
二拠点生活をはじめて、かれこれ6年。最近は経済的なことあって、私だけの往復がメインです。そのため日本での仕事は短発なものを選んでいたけど、縁あって今は学校事務員として勤務しています。学校勤務の良いところは、生徒同様に春、夏、冬とお休みが取れること。また職場の上司もとても理解してくれて、私のライフスタイルをかなり尊重していただいてます。本当に感謝しかありません。これからも職場や家族の理解の元、二拠点生活は続きます。
日本時々ノルウェー 私の見たもの聞いたもの、それぞれのライフスタイルや、普遍的なこと発信していこうと思います。
ノルウェー・ルンデ島にて
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