神の存在についてChatGPTと問答してみた 2
気晴らしと労働の価値観についての対話
僕:「まあ、一節、序文ではちょっと信仰告白について予定的に明示したんだけれども、とりあえず『パンセ』の感想をちょっと語りたいなと思ってて。まず、パスカルの『気晴らし』について考えたい。」
ChatGPT:「いいね。パスカルの『気晴らし』の話って、人間がじっとしていられないことに不幸の原因があるっていう考え方だったよね。」
僕:「そうそう。人間はじっとしているのが苦手で、つい何かに没頭してしまう。で、それが現代の労働観にも通じるんじゃないかと思ってるんだよね。仕事に打ち込むことが美徳とされるけど、それも一種の気晴らしなんじゃないかな?」
ChatGPT:「確かに、仕事に熱中することで、人生の根本的な問いから目をそらせることができるよね。だから、仕事が生きがいになっている人も多い。でも、それが全員にとって正解とは限らない。」
僕:「そうなんだよ。みんなが『働くのが当たり前』っていう価値観に縛られるのは違う気がするんだ。別に、家にいることが悪いわけじゃないのに、何もしていないと『怠けてる』と思われがちなのがしんどい。」
ChatGPT:「わかるよ。労働を美徳とする社会では、休むことや静かに過ごすことが軽視されがちだよね。でも、それぞれの生き方に価値があるはず。」
僕:「それで思い出したんだけど、『無用の用』っていう言葉があるよね? 一見役に立たないものが、実は重要な価値を持っているっていう考え。」
ChatGPT:「荘子の考えだね。例えば、大きすぎて材木にならない木は、伐採されずに長生きする。その意味で『役に立たないからこそ生き残る』っていう視点がある。」
僕:「それって人間にも当てはまるよね? 社会的に見て『生産性が低い』とされる人も、別の形で価値があるはずなんだ。たとえば、働かなくても、そこにいるだけで家族や友人を癒す存在かもしれない。」
ChatGPT:「その通り。社会の役に立つかどうかだけで人の価値を測るのは狭すぎるよね。みんな違った形で意味を持ってるし、それを尊重するのが大事。」
僕:「結局、大事なのは『どう生きるか』っていう視点だよね。社会の枠組みに縛られずに、自分にとって意味のある生き方を見つけることが、本当の幸福につながるのかもしれない。」
ChatGPT:「うん、パスカルの言う『気晴らし』も、ただの逃避じゃなくて、自分にとって本当に必要なものを見極めることができれば、別の意味を持ってくるかもしれないね。」
僕:「そう考えると、仕事でも趣味でも、『自分にとっての価値』をどう見出すかが大事なんだろうな。」
ChatGPT:「まさに。それがわかれば、他人の価値観に振り回されずに、自分なりの生き方を大切にできるはずだよ。」