団塊ジイさん五拾三次旅日記 第2話。
水口(みなくち)宿〜庄野宿間、3泊4日。
足の痛みも取れた。
そこで、名古屋に帰って10日ほどたった
6月20日に、前回の水口宿から再出発した。
今回の、土山宿〜亀山宿間は、ほぼ山の中だ。
上の口絵写真は、
水口宿から土山宿への道中。
白鷺みたいな二羽の鳥、
画面左右に見えますか。
(甲賀市土山町大野にて 6月20日12時29分)
「反省すれば後悔せず」。
世間では「反省すれども後悔せず」などというが、
どんどん失敗して、どんどん反省すればいい。
反省して改めれば後悔することもない。
そのほうがシンプルだと思うので、ぼく的には
「反省すれば後悔せず」と言い換えたい。
この旅で、後悔しないために改めたこと三つ。
①歩き方を変えた。スタスタ歩きから、ゆったり歩きに。
②スケジュールも余裕を持たせた。寄り道主義、
とまでは言わないけれど、歩くのはせいぜい1日に20㎞程度までかな。
③街道歩きのアイテムを追加した。
実は、長歩きでお尻の割れ目がすれて痛かった。
追加したのは、湿布薬、絆創膏、メンソレータム。
歩くのは、ふと心にとまる景色に出会うため。
水口宿から土山宿への道すがら、
なんてことない田園風景だけど、美しいと感じた。
むかし、Discover Japanって国鉄のキャンペーンがあったなあ。
柄じゃないが、
目に飛び込んでくる一瞬の光景を大事にしたい。なんてね。
土山宿に向かって少しずつ山間に入っていく。
緑が目に優しいなあ。
田村川に架かる海道橋の上からパチリ。
江戸時代は、この橋を渡るのに三文払ったとか。
土山宿あたりのひなびた街道筋を
歩いていたときだった。
道端に立っていた土地のお婆さんとおぼしき人に、
ふわりと声をかけられた。
「雨が上がってよかったなあ」。
ぼくを街道歩きの旅人と見ての、ねぎらいのひと言だ。
そう、ぼくには思えた。
嬉しくて、でも黙礼を返しただけで通り過ぎた。
「旅人と 我名呼ばれん 初しぐれ」と
芭蕉翁気取りで旅に出たぼくだったが、
傍目にも旅人っぽさが少しは身についたのだ、きっと。
そう思うことにした。
そこで、翁の句をもじって、
「旅人と 我を見なすや 雨上がり」(真事)
「これが江戸時代の国道一号線かよ」。
鈴鹿峠は、さすが箱根に並ぶ東海道の難所だった。
人っ子ひとり通らぬ狭い峠道が、
前日の雨でぬかるむ。
足もとを雨水がザワザワと流れる。
あ、足をとられた!
あぶないっ!
思わず心の中で悪態をつく。
「これが天下の東海道かよ?!」
「お先にお風呂いただきます」なんて、
旅籠に泊まった気分。
鈴鹿峠から坂下宿を抜け、ようやく関宿に着いた。
東海道五拾三の宿場町で唯一、
街並み全体が江戸時代風に統一されている。
「おお、いにしえ気分に浸れるぞ」
町並みを散歩したあと
江戸情緒たっぷりの『旅人宿 石垣屋』に入る。
中庭に面した離れの和室で
定年退職直後のバイカーと相部屋になり、
四方山話。大型バイクにテントを積んで
日本全国を回っているんだそうだ。
「お風呂お先にどうぞ」などと譲りあう。
旅人っぽいねえ。
「市長さん。それでいいのか!?」。
関宿から山道を下り、亀山宿に着いた。
シャープが撤退したからか、
町は思いっきりたそがれていた。
リニア新幹線を誘致する看板が
にわか雨に泣いていた。
リニアの亀山駅がもし誘致できたら
名古屋まで一駅、東京まで一時間で行けるのだとか。
「市長さん、それで衰退が止まるのか!?」
とぼくは問いたい。なんてね。
以上、第2話は、水口宿〜庄野宿間、3泊4日の旅でした。
(延べ6泊8日)
第3話は、2025年1月11日土曜日公開予定です。
以下、11話まで各話一週間ごとに公開します。