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団塊ジイさん五拾三次旅日記 第7話。

口絵写真。
三島宿から箱根宿に向かう道中で
出あった「六地蔵」。
全部で12体ある。
手前に六体。後に六体。二組の六地蔵のようだ。
(三島市市山新田にて 10月24日9時49分)


この第7話は、
第6話から続く連続した5泊6日の行程。
第6話と同様、毎朝沼津から
当日の出発地点まで出向き、
歩き終われば沼津のホテルに戻った。

さて、第1話でいきなり痛めた足だったが
その後は、軽い痛みを時たま
すねに覚えることがあるだけで、
基本順調。
最大の難所、箱根路に向けて
いよいよ旅もヤマ場に。

箱根宿までたどり着ければ、
あとは一気に日本橋まで行ける。
東京の旧友たちといつ会うか、
スケジュールも立てられる。
それを楽しみに歩こう。

第7話は、沼津宿〜箱根宿間、2泊3日。


鼻が曲がるって、こういうことか。

木々がうっそうと茂る神社があった。
ありがたや。ここで昼の弁当(缶ビールも)を広げよう。
でも、鳥居のしめ縄にぶらさがっている紙垂(しで)を
よくよく見るとプラスチック製だった。
なんだかなあ、と思いながら
鳥居をくぐり境内に入ったが、
犬・ネコの糞尿の匂い(だと思う)が
脳天直撃。
一歩進むごとにどんどん強くなり、
ハナがもげる〜。退散。

神社仏閣は、ぼくら徒歩きの旅人にとって
大事な休憩所であり、昼食会場なのになあ。

雨上がり。プラスチックの紙垂が光を反射している
(駿東郡清水町長沢の八幡神社にて 10月23日13時38分)

この八幡神社は、沼津宿から三島宿への
街道沿いの住宅街の一角にある。
平家討伐の旗揚げをした兄頼朝のもとへ
義経が奥州から駆けつけた。
そのとき兄弟が腰掛けた「対面石」がある
と伝わる由緒正しき神社だ。
それが、この強烈すぎる悪臭とはどうしたことだ。
頼朝・義経兄弟は、対面もそこそこに
鼻をつまんで逃げ出したに違いない。
「お前、臭いぞ」「兄上こそ」。
きっと悪臭が兄弟仲を引き裂いたのだろう。

と、ぶつぶつ言いつつ歩くうち、街道の左右に
一対の一里塚があった。両塚が遺るのは珍しい。

東海道を挟んだ反対側にも一里塚があって
両塚で一対になっている
(駿東郡清水町伏見の玉井寺の一里塚にて 10月23日13時51分)
左が玉井寺の一里塚で、右が宝池寺の一里塚
(駿東郡清水町伏見の一対の一里塚前にて 10月23日13時56分)

歳を重ねたからこそ、の美しさ。

三島宿の中心部に着いた。
創業100年を超える化粧品店「千歳屋」。
イラストが描かれているこの大きな窓は
ギャラリーなんだそう。
この建物、歳を重ねてシミが目立ちますが、
なんだか、重ねたならではの魅力がありますね。

(三島市本町交差点角にて 10月23日14時45分)
このなまこ壁の土蔵は江戸末期の建築だそうです
いまは「丸平」という鰻屋さんになっています
(三島市中央町「食彩あら川丸平」前にて 10月23日14時50分)

天下の険、箱根に挑む。

三島宿を抜けて、いよいよ東海道最大の難所
箱根路に差しかかりました。
三島宿の外れから箱根峠までは、ほぼ登り坂。
歩きながら ♬〜箱根の山は天下の険♪〜という歌が
つい口をつきます。

(三島市川原ヶ谷にて 10月23日15時15分)
ずいぶん歩きやすい石畳もあるもんだ!
(三島市川原ヶ谷にて 10月23日15時20分)
雑草の中にお洒落な道しるべがありました
(三島市三恵台にて 10月23日15時32分)
旧東海道の石畳
右側は国道一号線です
(三島市三恵台にて 10月23日15時36分)

食わずに死ねるか。

箱根路の途中から景色が白くなる激しい雨。
ほどよいところで切り上げ
バスとJRを乗り継いで沼津のホテルに戻りました。

明日はいよいよ箱根の山登り本番。
それに備えて沼津駅近くの寿司屋で
桜えびとシラスをつまみに
英気を養いました。
やはり本場ですな。

(10月23日20時2分)
桜えびで英気を養ったその翌朝です
だんだん登りがきつくなってきたような
(三島市塚原新田にて 10月24日9時45分)
杉並木の中の石畳はやはり風情がある
「石畳」にもいろんな敷き詰め方があるのですね
(三島市山中新田にて 10月24日11時24分)

呑兵衛仲間に、合掌。

箱根路の山中に見つけたのは
「雲助徳利の墓」。 
大酒飲みの松谷久四郎という武士が
酒のせいで雲助に落ちぶれます。
落ちぶれても雲助仲間を守り、
「親分!」と頼られたそうです。

これは、亡き久四郎を慕う雲助仲間が
お金を出しあって建てたお墓なのだとか。
浮き出た徳利が妙になまめかしい。

御神酒が供えられていました
(三島市山中新田にて 10月24日11時37分)

旅人を守りたい。先人の熱い思い。

画面中央、横一列に敷き詰められた
五枚の大きな石は、実は
「一本杉石橋」という石橋なんだとか。
一歩で踏み越えられるほどの長さだから
橋だとは気づきませんが、
この橋の下は画面左から右に水を流す水路でした。
そうやって、道がぬかるんだり
濁流で崩れるのを防ごうとしたんですね。

石畳に架ける橋
(三島市山中新田の「一本杉石橋」にて 10月24日11時49分)
石畳の隙間に生きる小さな命
(三島市山中新田にて 10月24日11時50分)

「東海道中ベストフォト賞」 受賞作品。なんて。

昨日から登ってきた箱根路。
今日ここまで誰ひとり
すれ違いませんでした。
一本の苔むした枝が、巾1メートルあまりの
箱根路を遮っています。
通せんぼして遊んでほしかったのかな。
写真には素人のぼくですが、この一枚は
道中2,000枚近く撮ったなかで、
いちばんのお気に入りです。

(足柄下郡箱根町箱根にて 10月24日13時13分)

次の写真。
石畳と落ち葉が織りなす自然のアートも
ぼく的には、かなり気に入っています。

(足柄下郡箱根町箱根にて 10月24日13時16分)

日本人やーい。

ついに箱根路の登りを踏破し
芦ノ湖畔に着きました。箱根宿です。
雲が山にかかって何やら神秘的ですが・・・

(足柄下郡箱根町箱根にて 10月24日14時00分)

目を転じると、
インバウンドのすごい人波。
元箱根港のバスターミナルは、
新宿や小田原、強羅、三島行きの路線バスを待つ
外国人でいっぱいでした。
日本人は、どこだーっ。

(元箱根港のバスターミナルにて 10月24日14時31分)

以上、第7話は、沼津宿〜箱根宿間、2泊3日の旅でした。

(延べ17泊34日)

(藤沢市鵠沼石上のホテルロビーにて 11月7日9時53分) 

再び問う。ぼくは、なぜ歩くのか。

なぜ歩くのか。京都から
考えながら歩いてきた。
つまるところ、ぼくが昭和24年生まれの、団塊の世代だからだ。
死ぬまで、大人数で限られた席を奪いあう
競争の世代だからだ。

ぼくには、大学受験も、就職も、仕事も、競争だった。
おそらく今後入るだろう老人施設も、
果ては、火葬場も混みあうだろう。

だからぼくは、74才のいままで、
生き残りたいために
毎日目標を立て、生きてきた。
仕事のリタイアが近いこの歳になっても
その癖が染みついて、抜けない。
この性分は、情けなくも嬉しいことに
ゼッタイに死ぬまで治らないのだ。
若い人には理解できないだろうな。

目標がほしい。
目標を立てたからには達成したい。
五拾三次ひとり旅は、毎日どこまで歩くか
目標を定めて、達成する喜びが得られる。
だから歩くのだ。
泳ぐのをやめたら死んじゃうマグロ。

自分を証明するために、歩く。

つまり、ぼくは老いに抗っている。
団塊ジイさんのひとりとして
東海道五拾三次踏破という目標に向かって
新たな高みへと歩いているつもりなのだ。
さあ、もう少しだ。

第8話は、2025年2月15日土曜日公開予定です。
以下、11話まで各話一週間ごとに公開します。


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