『素晴らしき哉、先生』というドラマから見た先生の姿
もうこの仕事をこの先何年も、何十年も続けていくは無理かもしれない…と漠然と考えながら、忙しい日々を過ごしていた頃、そのドラマは始まった。
時間外、学校外の業務に、これは本当に先生の仕事なんだろうか。と、先生辞めたいという主人公、担任先生の代わりをやることになったり、保護者会、地域からの苦情、部活、生徒の家庭問題、進路など…。最後はもちろん生徒からの救いがあって、先生に奮闘する姿。
気になって、録画をしていた。もしかしたら、先生になったころの輝きを思い出し、この仕事をこれからも続けていくのは無理かも…と思っている自分に光が差すかも…。少し、期待して。
ドラマ好きな夫。先に見て主人公が学校の違和感を愚痴る姿が「今のママ見てるようだよ、でも、最後まで見て。ちゃんと希望があるから」と一言。
第1話。万引きした生徒が、こんなに自分のために頭を下げ、一生懸命な人はいないと、理不尽な親に立ち向かったり、先生に最後には謝ったり…。
担任をやろうとまた立ち上がる姿。
わかりすぎる部分もあり、見ながらちょっと苦しくなった。生徒の成長やもらう言葉に救われ、頑張ろうと思う気持ちもわかる。
いつかわかってくれれば、とか、たくさんの生徒の中に、一人にでも届けばとか、今日はこの子のために授業しようとか、話をしようとか、活動しようとか…たくさんの種まきをしている。その芽がすぐにでないこともわかりながら、それでもいつか出ることを信じて、種まき、水やりをしているような仕事。
ドラマのようにこんなすぐには、届かない、結果が出ないと思ってしまう自分。
先生という仕事の仕方への提言的なドラマかと少し期待した。
多くの視聴者の感想も見てみたが、演技に関する感想が多く、先生の仕事の仕方や違和感に向き合う感想は少なかった。
休職に入り、テレビはもちろん、学園モノのドラマも見れなくて、しばらく「素晴らしき哉、先生」も見ることがなかった。
もう一度見てみようと思えたのは、休職から、2ヶ月が過ぎた頃。
見ていて、自分と重ねて苦しくなっていた部分も、ドラマとして切り離して見ることができるようになっていた。
とてもとても印象に残ったシーンがある。
第6話で、悩んだ主人公が、小学校の時の担任の大森先生に会いに行くシーン。
「先生だって人間なんだよ」って励ますシーン。
「金田明夫」さん。
今までたくさんのドラマで見てきて、誰でも1度は目にしたことがあるのではないかと思っていますが、今回始めてお名前を知りました。
「先生」に見えるんですよね。
「先生っぽい」と言われると、なんだか最近の私は嬉しくないのですが…。
真面目ってこと?説教っぽい?という感じで。
でも、「金田明夫」さん。「先生」に見えるんです。
生徒へ送る温かい眼差し、立ち居い振る舞い。
何がそう思わせるのか、もう一度録画を再生させますが、そのシーンを見ると自然と涙が出てきます。
手持ち無沙汰な手をテーブルの上に起き、人指し指をトントンと上下に動かす様子。話をするときに、宙に手を置く仕草。
何が先生を思わせるのか、はっきりわからないけれど、生徒思いのいい先生だったのが伝わる演技に心が震えます。
まとめ
「金田明夫」さんの先生に涙がこぼれる理由が知りたい。
私が主人公のように、「先生も人間なんだよ」って傷つくことも、失敗することもすべて受け止めてもらいたかったのか。受け止めてもらった気持ちでいるのか。
生徒を見つめるその温かい眼差しが、できてない自分に絶望しているのか、そうありたかったけど、できない状況を憂いているのか。