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1番身近な大人が、一生懸命、楽しんでる?
とても印象に残っている生徒がいる。
今日は、その生徒の話を。
育休復帰1年目。2年生の副担任という形で復帰した。
4月、それぞれの生徒が書いた自己紹介カードが各クラスの廊下の壁に並ぶ。
初めましての生徒たち。4月の初めは、学級開きのHRが多く授業が始まるのは2週目から。
授業が始まる日まで、少しでも生徒の情報を知りたくて、担任のHRの声を聞きながら、自己紹介カードに目を通す。
そん中、「好きな人」の欄に文字がびっしり。思いの丈を書ききれないというほどの文字に足を止めた。
「1年生のときの国語の先生が大好きだった。放課後の先生との話、楽しかった国語の授業…」
「そうか。この子は、1年生の時の国語の先生が大好きで、私の復帰で、転勤してしまった先生のことを考えて、寂しい思いをしているのか。」
と、印象に残る。
授業が始まって、しばらくすると、どの子なのかすぐに検討がつく。
「あ〜あ、前の先生はそうじゃなかったのに」
「前の先生のときはこうだったのにな〜」
と声が響く。
前の先生への思いが、新しく入ってきた先生へぶつける形であらわれた。
寂しさを全身で表現してくる。
若い私だったら、生徒から嫌われたことに大きなダメージを受けていたかもしれない。でも、復帰した私は、すでに中堅。
生徒に嫌われようが、私は私の仕事をするだけ。
そこに向き合うための時間も体力がなかったのも事実かも…。
「前の先生が好きだったんだね。でもさ、誰であってもずっと一緒にいることは出来ないし、いろんな人に出会って、いろんな人のやり方をしって、刺激を受けるのもいいかもね〜」なんて、返すと…
「はーい、もういいです。早く授業してくださーい」と取り付く暇もない。
「じゃあ、始めようか。」とこんな感じ。
1年一緒にいると、その子は決して反抗的な問題児ではなく、むしろリーダーとして常にクラスをまとめているような生徒。ただ、なんでも全力で、体育祭では、自分のせいでうまくいかなかったと、過呼吸になるほど、泣きつくし、次のダンスでは、過呼吸で今にも倒れそうなのに、絶対出るんだと引っ込まない。女性の先生が2人ほど後ろについて、いつ、倒れても受け止められるうに待機しながらやりきった。
本当に全力な子。好きも全力、嫌いも全力。言葉とは反対に、授業でも手をぬくことはなかった。そんな生徒だとわかる。
あなたを嫌いです。で始まった1年間が終わる頃、
「先生、3年生では、担任しますか。私、3年は先生のクラスがいい!先生が担任がいいです。」と会うたびに伝えてくる。
「どうかな〜、担任できるかな、もし、私が担任ならそうなるといいね〜」と声をかけながら、内心はドキドキ。リーダー性もあったので、みんなを率いてクラスを乗っ取る気…⁈と、今までの態度からのこの言葉と、目の前の状況を飲み込むのに時間がかかった。
4月。私は担任をすることはなかったが、持ち上がって3年生の担当。もちろん、その子は、私のクラスになるということは叶わなかったが、授業や休み時間たくさんの話をした。
その子の気持が変わった瞬間は、わからないまま、全力で気持ちを表現してくるので、嫌いが好きに変わったのを素直に受け止めた。
卒業式、今までの感謝が込められた色紙を私に残し、その子は笑顔で卒業した。将来の夢は、学校の先生だと教えてくれた。
今でもずっとその子の言葉が、壁に飾ってある。
まとめ
学生になると、子どもたちと過ごすもっとも身近な大人が先生だ。私がそうであったように、先生の姿勢や向き合い方が、子どもたちに大きな影響を与えることの責任を実感する。今の私は、一生懸命で楽しそうな大人になれているだろうか?