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大叔母

津和野の玲子おばちゃんこと大叔母が81歳で亡くなってしまった。6月に自宅で倒れ入院、退院後は施設へ入り、最後は誤嚥性肺炎で生涯を閉じてしまった。

島根の津和野を知ってるだろうか。
祖母の実家、玲子おばちゃんちによく遊びに連れていかれ、水路の鯉に餌をやり、太皷谷稲成神社のバチくそ長い階段を上るのが大好きだった。
実家とは別に、なんだかとても思い入れがある場所だ。

親が離婚し父方に引き取られた私は父の実家に預けられていた。だがしかし面倒を見てたのはそこではなく祖母の姉に当たる「バァバ」んちだった。めちゃくちゃ田舎のためだったのか、子どもが好きすぎたのか、はたまた私がかわいすぎたのか、今じゃ考えられないが私の扱いはいい意味で適当に大事にされていた。
みんなが何となく適当に適度に面倒を見てくれていたと思う。
そんな私の祖母とバァバの間に玲子おばちゃんがいた。三姉妹だった。私が10歳の頃祖母が40代で亡くなり、10年以上前にバァバも病気で死んでしまった。

玲子おばちゃんはその当時にしては珍しく結婚せず独り身で和裁や喫茶店のバイトをして生活していたと記憶してる。
津和野に遊びに行く時は必ずおばちゃんちに立ち寄っていた。

高校生の時、夏休みや冬休みに下宿させてもらったことがある。津和野の行きつけの蕎麦屋さんでバイトをするのに、自宅からだとバスと電車で行かなければならず圧倒的に不便だからだ。
(1時間に1本あるかないかのダイヤのため)

大切な時間に、今は思う。
20年前は前のことなので、どうふたりで生活していたかほとんど覚えてないのが残念だが。
ただ、彼女は私が目が悪く、それをどうにもしないことを気にかけて、眼科に連れて行ってもらった事を思い出す。親が入れば私も目が悪いと伝えていたのかもしれない。
メガネは作ってた気もするが、見えづらくほおっておいていたように思う。
コンタクトを処方してもらい、それを自分のバイト代で払った。免許をもっていなかったおばちゃんと、ふたりであの津和野の城下町を歩いて目医者まで行ったよね。
あの帰り道、山の木々がハッキリ見えて感動した私はおばちゃんになんて言ったかな。
あなたとなにを食べて、どう笑ったかな。
どんな話をしたっけな。

あの夏の日に戻って、冬の日に戻って、もう一度あなたと暮らしたいよ。
ありがとう、おばちゃん、大好き。


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