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ピンチが来たら超ラッキー/トライティ株式会社/内田康子
若者応援企業を巡るスタディツアー、今回はトライティ株式会社を訪問。社長の内田さんにお話を伺いました。
トライティ株式会社の紹介
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東京都足立区、赤羽駅か西新井駅からバスで20分ほどの所にトライティ株式会社はあります。ダスキン及びアスクルの正規代理店として、マットやモップのレンタル、家庭及び事業所の清掃、害虫駆除など、地域に根ざした多岐にわたるサービスを提供しています。社名の由来は、創業者である宝田敏章(イニシャル「TT」)とTry(挑戦)から3つの「T」を組み合わせた造語。昭和47年の創業から、時代の変化に合わせて様々なチャレンジを続けてきました。
自分がワクワクする選択を
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―幼少期はどんなお子さんだったのですか?
私は4姉妹の長女で、幼いころから妹たちの面倒を見ていました。小学校4年生の頃には電車に乗って子どもだけで遊びに行くときも「康子ちゃんがいれば安心だ」と言われることが多かったんです。子どもながらに人の役に立つって嬉しいなと感じて、自分からも進んで世話役をやってましたね。
―子どもの時から面倒見が良かったのですね!学生時代はいかがでしたか?
子どもと関わることが大好きだったので、それを仕事にしようと幼稚園の先生を目指して専門学校に進学しました。卒業した時は、まさに保育系も就職氷河期で、多くの同級生が就職先を見つけるのに苦労してたんですが、私は幸運にも実習等でご縁あった幼稚園やイギリスの日本人幼稚園など受けた所全てから就職のオファーをいただきました。
それがある種の自信になり、そこで考えたのが、「私、この仕事にすごく向いているかもしれない。だから、今すぐにやらなくても、またいつでも戻れる」そうして、一度は専門学校で学んだ幼稚園教諭の道には進まず、もっと広い世界を経験したいとフリーターの道を選びました。
―いつでも戻れるなら他のことを経験したいと考えたのですね。その後はどうされたのですか?
そこで選んだアルバイトが、ディズニーランドのキャストのお仕事、それと 地元のスーパーの品出しを掛け持ちしていました。ディズニーの仕事が週4日、スーパーが週4日のフル稼働。付き合っていた彼氏ともしっかり遊ぶ。いつ休んでたんだろうと思いますが、当時はとても充実していました。そんな日々が続いていたある日、同僚から「オリエンタルランドで契約社員を募集しているから、内田さんも一緒に受けよう!」と言われ、「え、そうなの?」みたいな感じで受けたら、運営部というディズニーランドの運営に関わる部署で採用に。そこは3,000人受けて6人しか受からないというすごい倍率でしたが、無事にオリエンタルランドの契約社員になりました。
―すごいですね!お仕事で大変だったことはありますか?
ありがとうございます。ディズニーランドでの仕事は素晴らしい経験でしたし、本当に学びが多かったのですが、上司や同僚たちを身近に見ていくうちに、納得できない部分が徐々に増えてきました。特に、仕事に対する姿勢について、自分とは異なる価値観を感じることが多くなりました。それで、もっと自己成長と変革を求めて、25歳で退職する決断をしました。
辞めた後は、新たなスキルを身につけるために職業訓練校に通い、社会保険労務士の勉強を始めました。試験よりは実務が好きなので結局、資格は取りませんでしたが、この時期に学んだことは経営者になった後も大きな支えとなっています。その後、チーズケーキファクトリーに入社し、短期間で店長や新店舗の立ち上げを経験しました。20代の時に、どんなに忙しくても、自分次第で何でもできるということを実感できたのは、非常に大きな学びでしたね。
夢の国から経営の世界へ
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―会社を承継することになった経緯と、その決断に至るまでのプロセスを教えてください。
承継のきっかけは、創業者である父が精神的にバランスを崩してしまったことから始まります。父がダスキンの代理店事業を営んでいた同業の知人に、事業から手を引く相談をしました。事の発端は平成元年、当時親しかったダスキン経営者仲間が、事業譲渡を提案してきたそうです。その方が経営する会社の顧客や土地建物を引き継ぐ話が持ち上がったんです。全てを買い取るとなると、費用は数億近くになるため、最初は土地と建物の所有権はそのままで、父が事業を運営することになりました。ですが、2008年に父がすべてのお金を払い終えたと同時にその方が自己破産してしまったのです。父はお人好しで、土地建物の譲渡契約書は結んでいなかったのです。それが原因で父はノイローゼ状態になりました。
自社としての事業はまだ成り立っていたんですが、父がその状態で今後も継続するのは難しいなと判断し、経営経験はないが長女として事業譲渡の話し合いに立ち会ってくれないか?とお願いされました。その当時、会社には2億円の借入れがあり資産は無い状態、事業を辞めたら家族全員が路頭に迷う状況でした。私はその当時既に結婚しており、夫と相談した結果、「康子ががやりたいのなら、この家で8人で暮らすよりは、事業を継ぐ方がいいかもしれない」と背中を押してくれました。それが2009年、私が30歳の時でした。
革新的な経営理念
―事業を継いでからのお話を聞かせてください。
はい。事業を継ぐ決意をしたのが結婚から3年目くらいの時で、夫と一緒に住んでいた家から会社までは通勤が大変だったのと、親も心配だったので、平日は会社の近くの実家で暮らし、土日は夫の元に帰るという生活を始めました。今でも続けていて16年になります。
―16年もその生活を?!
はい。この生活スタイルを選んだのは、全力で経営に向き合うためです。事業承継してからは組織改革に着手し月に300万あった赤字を3か月で解消しました。しかし、人材の採用や定着という面で課題も見えてきて、一筋縄ではいかない経営の難しさを実感していました。そこで、経営2年目からは東京中小企業家同友会や足立区の経営者向け勉強会など様々なところで勉強を始めることにしました。その中で、経営理念を成分化することで、組織全体が一つの信念を持って進むことの重要性に気づきました。
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そこで新たに経営理念を作成、それが「粋(IKI)」です。『粋』を中心に据え、私たちの組織としての進むべき方向性を明確にしました。
『純粋』みんなを心身ともに笑顔にする
『粋人』人に頼られる努力と知識を持ち、時流経済に乗る
『清粋』相手の「いきかた」を豊かにするために、清らかな心で取り組む
『粋狂』好奇心を持って目的のために新しい事にも取り組む
これらを社員一人ひとりの心構えや行動規範にも反映させています。
トライティにおける若者の成長機会とは?
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―社員の方とはどのように関わっているのですか?
社員との向き合い方については、一人ひとりのプライベートな悩みにも耳を傾けています。一人で解決できるに越したことは無いのですが、弊社は業界未経験の20代前半の方を採用する事が多いのでどうしてもプライベートの負の部分が仕事に影響を与えてしまいます。個別面談の時間も設けていますが、それとは別に夕方現場が終わって会社に帰ってきた社員を出迎えて、今日あったことなどを聴く時間を普段から積極的に作るようにしています。また、社員が働きやすい環境づくりにも力を入れてます。
―なるほど。一人ひとりと向き合うことが大切なんですね?
そうですね。私は、小学校から道徳の授業が大好きで、現在も論語を学んでいます。社会に出る若者には、あるべき姿や思いやりが必要ですが、実際には多くの若者が二次元的な視点で物事を見ていて、社会人としてのスキルを持たずに社会人になるケースが多いと感じています。特に、ダスキンの仕事では、臨機応変な対応力(なんとかする力)が求められます。コロナ禍で育った若者はこの点で特に苦労している印象です。だからこそ、実践的な学びが求められる職場であるトライティは、若者にとって大きな成長の機会となるはずです。
地域への喜びのタネまき
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―ダスキンの理念「喜びのタネまき」を内田さんは大切にしているそうですね?
はい。ダスキンの理念である「喜びのタネまき」は、とても重要だと考えています。この考え方を自社の事業だけでなく、地域社会にも広げています。例えば、足立区の小学校を中心に2016年より掃除の出前授業を行っています。そこでは、小学生に掃除をする理由や掃除用具の正しい使い方を教えています。
また、東日本大震災が発生した際には、個人的に寄付をすることももちろんですが、社長としてできることは何かと考え、足立区の経営者仲間と一緒にプロジェクトを立ち上げ、集めた資金を寄付と被災地支援として石巻等に炊き出しや清掃、仲間の会社から想いと物を預かり物資の支援にも行きました。こちらのフェニックスは47個のハートで構成されており、日本が1つになり復興を支援するという意味が込められています。
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―地域に根差し社会に対して自分達ができる「喜びのタネまき」を実践されているのですね。内田さん、本日はありがとうございました。
今回のスタディツアーの学び
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内田さんの人生のライフラインチャートを見せていただいて特徴的だったのが、これまでの人生でマイナスになった(マイナスと感じた)ことがないこと。理由を聞くと「だって、良くないことは次にいいことが起こる前兆だから、良くないことがあったら超ラッキーと捉えるんです」と笑顔で話していました。
トライティには、社員一人ひとりと向き合う文化と仕事を通じて人間を磨くチャンスがあります。常にポジティブに考えて前に進む内田さん、それを支えるスタッフの皆さんからたくさんのことを学びました。
主催:ボーダレスキャリア株式会社