見出し画像

五方良し経営で社員と共に描く未来/株式会社小泉機器ホールディングス/小泉勇人

若者応援企業を巡るスタディツアー、今回は株式会社小泉機器ホールディングスを訪問。代表の小泉さんにお話を伺いました。


小泉機器ホールディングス株式会社の紹介

東京都府中市の分倍河原駅から10分ほど歩くと、白を基調にした小泉機器ホールディングスの本社があります。令和4年にホールディングス化して本社機能と営業所が入る新しい社屋を建設しました。エントランスには、コーポレートカラーである青色の壁が天井にかけて緩やかにカーブしていて、まるで波の中にいるような感覚になります。小泉機器は、住宅設備機器全般と管工機材を扱う商社、その歴史を辿ると、昭和21年の小泉合名会社の設立までさかのぼります。まだインフラが整っておらず、水道代わりの手押しポンプが主力商品といった時代でした。時代の発展にあわせ取扱商品も多岐にわたり、会社の規模も拡大。半世紀以上を経た今でも、創立時のモットーである“生きがいを追求する幸せの共同体”を大切にしています。

末っ子長男の野球少年時代

ーこんにちは!まずは、小泉さんのご自身の事についてお話を伺えますか?

こんにちは、今日はよろしくお願いします。今の会社は私の祖父とその弟、そして祖父の義理の兄の三人で創業しました。私の父も小泉機器で会長をしていて、私がこの会社に入ったのは28歳の時、その2年後に社長になりました。それまでにはいろんなことがあったのですが、それはこの後お話しますね。

ー学生時代はどんなお子さんでしたか?

私、末っ子長男なんですよ。姉が二人いるんですけど、年齢は離れていて12歳と13歳上です。父と母にとっては、私が待望の男の子で両親ともに野球が好きだったんで、野球やれといった雰囲気があり小学生から野球を始めました。チームは結構強くて、関東大会とかも出場してたし、かなり頑張ってましたね。母親が長嶋茂雄のファンなんですけど、6年生の時は長嶋と同じ4番サードだったんですよ。母親の期待に応えられたのは子どもながらに嬉しかったですね。中学でもシニアリーグで野球を続けました。だけど、私は体が大きくなかったのでだんだんと体格差による限界を感じるようになって、野球は中学までで終わりにしました。

これまでほとんど勉強してこなかったので、高校では勉強を頑張ろうと思い部活には入りませんでした。自分でも親に甘やかされてるなという自覚があって、それが嫌で嫌で、大学は推薦で進学できるという話があったんですけど、ここは楽せずに苦しい道を選んでみようと思い、あえて推薦は蹴って受験するという選択をしました。ずっと楽な道を生きてたら自分がダメになる、だから、ここは頑張りどころだなと。結果は、第一志望の明治大学には受かりませんでした。悔しかったですけど浪人する気もなかったので、受かった専修大学に進みました。でも、やっぱり受験して良かったと思ってます。

会計事務所で学んだ仕事への向き合い方

その後は、税理士を目指そうと決めて、税理士試験の勉強を始めました。ただ、やっぱりそう簡単にうまくはいかず、大学院まで行って勉強を続けたんですが、税理士試験5科目の内の2科目しか取れませんでした。就職は運よく横浜にある会計事務所に決まりました。50人ぐらいいる割と大きめの事務所、だけど新卒を採用したのは、私が10年ぶりだったんです。会計事務所って新卒ではなく中途採用が多いので、まあ普通と言えば普通なのですが、そんな中に一人新卒が飛び込んだのでめちゃくちゃ大変でした。とにかく求められるレベルが高い。周りはできる人ばかりなので、「お前は何やってきたんだ?こんなことも分からないのか?」っていつも怒られてました。社長と上司は厳しい人で、仕事に対しての向き合い方だったり、意識を高く持つ事を教わりました。今となっては、めちゃくちゃ感謝してます。

ーかなり厳しい環境だったんですね?辞めようとは思わなかったんですか?

これは自分の強みでもあるんですが、私粘り強いんですよ。周りはいつ辞めるかと思ってたらしいですが、私は全くそのつもりはなかった。それで3年目には自分のお客様を持って仕事をやらせてもらってました。 ただ、仕事しながら税理士の勉強をするのは、かなり厳しかったですね。思ってた以上に難しくて。 それで税理士にならずに会計事務所にずっといるのは違うなと思い、だったら父の会社を手伝った方がいいだろうと小泉機器に入ることにしました。

30歳、急転直下の社長就任

小泉機器には経理として入社しました。そこで最初に感じたのが「なんて甘い会社なんだろう」ということです。前の会計事務所がかなり厳しい環境でバリバリやってたので、あんまり自社の事をいうのもあれですが、「この会社大丈夫か?」と思ってました。

ーそこからどのような経緯で社長になったのですか?

私は創業家の人間なんですが、社長になる予定は元々なかったんです。祖父が亡くなった後に会社の体制が変わって、営業部門出身者が社長に就くという流れがありました。当時の社長は、営業のプロパーから役員になった70代の方で、その他の役員も70代が多かった。そんなタイミングで創業家出身の従兄弟から相談があったんです。
その相談というのが、会社を変えていきたい、その為に今の役員の方たちには辞めてもらおうというものでした。「そんなことして大丈夫なの?」って思ったんですけど、ずっと70代の役員だけで会社を続けていくのも確かにまずいというのも分かる。そして臨時株主総会が開かれることになり、結果役員を全員解任することになりました。それで、その後は誰が社長やるのって聞いたら小泉さんだよと言われて、こちらとしては「いやいや、会社を変えていく事には賛成したけど、社長やるのはちょっと待って、だってまだ会社に入って2年半だし…」と思ったんですけど、他にいないし時間もないしで、社長になる事を引き受けました。それが70周年を迎える少し前のことです。

ー社長に就任した後はどうでしたか?

そこからは、無我夢中でした。今じゃ、どういう風に乗り切ったのかあんまり覚えてないです。 だって私、ずっと経理だったので、主だった商品は分かるんですが、細かいバルブだとか、この商品はどこに使うんだとかって分からなくて、 そんな中で急に社長となりお客様やメーカーさんとの付き合いを始めたので、商品知識やお客様一人ひとりのことを覚えたりと、まあ大変でしたね。

ー社長として意識したことや取り組んだことはありますか?

前職の会計事務所の社長が盛和塾に入っていたこともあり、稲盛和夫さんの本は読んでいて「こんな考え方や行動をできるのはすごいな」と思ってたんです。その後、色々な本を読む中で経営学者の坂本光司先生の書かれた「日本でいちばん大切にしたい会社」という本に出会い、それを読んだ時に「自社もこういう会社を目指そう」と思いました。坂本先生には大きな影響を受けて、会長を務める人を大切にする経営学会にも参加するようになり、昨年は坂本先生が主催する経営人財塾というビジネスクールにも参加しました。
 

人を大切にする「五方良し経営」の実践

坂本先生は、「企業経営の目的は業績を高めることではなく、関係する人々を大切にし、幸せにすることである」と言われています。そのための経営のあり方として「五方良し」という考え方を提唱しています。五方良しとは、近江商人で有名な、「3方良し」(売り手良し・買い手良し・世間良し)に代わる考え方として、会社が幸せを追求するべき対象として
(1)社員とその家族
(2)社外社員とその家族
(3)現在顧客と未来顧客
(4)地域住民とりわけ障がい者等社会的弱者
(5)株主・支援機関
この5方が大切だと。そして、この5方には優先順位があり、経営者はまず(1)社員とその家族から優先的に心をはせるべきである、と坂本先生は語っています。この考え方に私もすごい共感して、そこからは人財塾で学びながら五方良し経営を少しづつ進めていきました。

ー小泉さんが社長になられてからはどんなことに取り組んだのですか?

うちの社員は真面目な方が多いんですよ。だから社長が突然代わったとなると不安に感じるだろうなと思い、最初は社員と関わる機会を多く持つようにしました。各営業所を回って社員と話をする、よく飲みにも行きましたね。それと休みを増やして、さらに給料も増やした。その後も社員とその家族を一番に考えて自分なりに取り組んできたつもりですが、当初はあまり伝わってなかったのかもしれないですね。「お前なんかが社長できるの?」と思ってた方もいたんじゃないですかね。私はもう無我夢中だったので、そういったことは気にせず走り続けました。それで5年ぐらい経って、やっと私が言ってることを理解して行動しようという人が出てきて、それが1人、2人と徐々に増えていった感じですね。今は9年目なんですけど、9年やり続けるとだいぶ浸透してきて、やっと会社が変わってきたなと感じてます。

ーやっぱり、粘り強く続けるって大事ですね。

そうですね。それが私の強みですから。

社員と共に描く未来像

ー今後の事業展開についてもお聞かせいただけますか?

はい。我々のメイン事業は住宅設備機器の商社、いわゆる問屋さんです。例えば、皆さんが日頃使っているキッチン、トイレ、バス、洗面などといった水回りの製品を取り扱っています。あとは水道工事を行う職人さんが使う資材ですね。パイプだとかバルブなど。これまでは、水回りが中心だったんですが、お客様からは住宅に関わること全部をやってほしいという声もあり、現在はエアコンや給湯器、床材やドアなども取り扱うようになりました。あとは、太陽光発電ですね。専門性の高い社員がいたので、新しい事業部を立ち上げて太陽光パネルと蓄電池の販売もしています。

もちろんこの商社としての事業も伸ばしていくのですが、さらに成長していくために、会社自体の体制を見直しました。関連会社をホールディングス化して、全体の管理を小泉機器ホールディングスが行う体制にしました。採用や労務管理、会計管理などは全て小泉機器ホールディングスが担うことで、各事業所や営業所が本来の業務に集中できるようにしました。
それと、五方良し経営という点では、一番大事な社員の成長と幸せの実現のためにさらに力を入れていきます。お客様や取引先と直接関わるのは社員なので、その社員が成長すれば、自ずと会社も成長する。そのために社員一人ひとりが主体的に働ける環境作りをしており、少しずつ結果も出てきております。これからも社員と共に成長し、お客様や社会に貢献できる会社であり続けたいです。

スタディツアーでの学び

会社を訪問して社員の皆さんがいきいきとした表情で働かれているのが印象的でした。できるだけ社員と同じ目線に立って、フラットな組織をつくろうとしている小泉さん、社長就任から9年、その努力は着実に実を結んでいっているのだと感じました。小泉さんという若き経営者のもと、小泉機器の歴史に新たなページが刻まれようとしています。小泉さんの挑戦はまだ始まったばかり。これからの発展が楽しみです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?