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250mlの三ツ矢サイダー缶

 三ツ矢サイダーと言えば、250mlのアルミ缶を思い出す。小さい頃に地域の子供会で配られていた、夏日が照らす深緑色が印象的な缶飲料。しかし私は炭酸が嫌いな子供だった。

 シュワシュワと炭酸の気泡が喉で弾ける感触が痛くて我慢ならなかったし、透明なのに甘い味がするところに強烈な違和感があった。
 ビール好きな母は「大人になって苦労すれば美味しいと分かるはずだ」と言ってケタケタ笑っていた。そうか私もいずれ苦労しなくちゃいけないのか……子供ながらにそう感じ取って、落ち込んでしまったことを覚えている。
 炭酸はまだ飲めなかったけど、三ツ矢サイダーの250mlのアルミ缶は昔から好きだ。子供会のあとはそのまま川に行き、アルミ缶に当たった水面の反射光をうっとりと眺めていた。アルミ缶の車みたいな緑色が好きだと母に言うと、それは玉虫色(※公式見解では常盤色だ)と呼ぶのだと教えてくれた。後日、母が玉虫の死骸を拾ってきて私を仰天させたことも、今となっては良い思い出だ。

 川から帰ってきた私はいつも、近所のサトシくんにお願いして、三ツ矢サイダーとバヤリースオレンジを交換してもらった。価格帯が同じだからか、子供会で配られるお菓子袋には、三ツ矢サイダーかバヤリースオレンジのどちらかが入っていたのだ。
 サトシくんの家は自治会に入っていなかった。共働き家庭だから、自治会に参加する時間の余裕がないらしい。秋祭りのお神輿を引かなくていいから気楽だと、夏の終わりになると毎年サトシくんは笑って言っていた。
 それなのになぜか、子供会があった日には必ず、冷蔵庫でキンキンに冷やされたバヤリースオレンジがサトシくんの家にあるのだ。川辺ですっかりぬるくなった三ツ矢サイダーを無邪気に持ってくる私を、彼はどんな気持ちで出迎えたのだろう。

 私は今、26歳の大人だ。
 母の予言通り、大人になった私は炭酸が好きになった。母のように毎晩スーパードライを傾け、仕事で溜まった鬱憤を飲み込んでいる。より強いシュワシュワとアルコール度数を求めて、ウィルキンソンで泡盛を割って飲むような生意気な成長すらも遂げてしまった。
 もし私に子供ができて、そいつも炭酸が嫌いだなんてのたまえば、私も母と同じセリフをお見舞いするだろう。「大人になって苦労すれば美味しいと分かるはずだ」と。
 サトシくんは、大学進学を機に地元から離れたと聞いた。”聞いた”というのは、私もあまり地元に寄り付かなくなったから、又聞きの又聞きで知ったうわさ程度でしかないということだ。
 地元の子供会は、少子化の煽りを受けて存続できなくなったらしい。三ツ矢サイダーを持って通っていた川は、鉄砲水の危険があるからと背の高いフェンスで近寄れなくなった。この調子だともう、玉虫の死骸も落ちていないだろう。私の子供時代を我が子に追体験させることは、もはや不可能だ。果たして私は、三ツ矢サイダーの緑色をどうやって子供に説明するべきなのだろうか。

 本当は、平気な顔をしてぬるい三ツ矢サイダーを飲み干すサトシくんが少し妬ましかった。僕も子供会に行きたい、秋祭りの御神輿を引いてみたいって、私に言えよ。本当はアンタもバヤリースオレンジの方が好きなんだろ。
 一丁前に大人みたいな苦労をしているサトシくん。彼に置いて行かれることが、私は何より怖かった。早く大人にならなきゃと、心の内で焦っていた。反対に、このまま穏やかな日々が続けば良いとも願った。250mlの三ツ矢サイダーを見ると、そんな子供時代のことを思い出す。

 私は炭酸が嫌いな子供だった。でも、川辺でキラキラ光る250mlの三ツ矢サイダー缶がどれだけ美しいかを、私は誰よりも知っている。あの玉虫色の反射光に照らされると「そんなに焦って大人にならなくてもいいよ」と優しく諭された気分になる。
 それぞれのペースで大人になればいい。三ツ矢サイダーは変わらずそこに売ってある。一旦三ツ矢サイダーの炭酸に慣れてしまうと、今度はより強炭酸なウィルキンソンを求めるようになる。炭酸の好みはどこか不可逆的だ。
 炭酸が飲めない私を受け入れて、その時期限定の等身大な私を大切にする。後戻り出来ないものを、時間をかけてじんわり味わい尽くす。そんな生き方もアリなんだと思う。
 今の私は三ツ矢サイダーも、ウィルキンソンも、すなわち炭酸が大好きだ!

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