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ドラックディーラから世界でも指折りラッパーに。lilbaby
幼少期
1994年ジョージア州アトランタで生まれました。父親はいなく母親と2人の姉と過ごしました。アトランタのlilbabyが育ったsouthsideは貧困で街から抜け出すことは簡単ではありません。
お金がないと大学行くことができず、学歴がないと良い給料の職に就けな
い。家族に借金がありすぐにまとまった額のお金が必要です。
そんな環境の中数少ない選択肢からドラックディーラーに。
ドラックディーラー
lilbabyはお金を稼ぐため高校を退学しドラックディーラーになりました。
10代の頃は、10歳年上のグループとつるみ、ストリート大金を稼ぎ車と月2000ドルのマンションを2部屋借りていました。アトランタのレーベルクオリティーコントロールのスタジオに行きツアー帰りのrichなラッパー達とギャンブルをしていました。
ハードワークと頭の良さで周りからの評判は良くストリートでリスペクトを得ていました。
しかしこんな生活も長く続かず、2014年3度目の逮捕懲役2年。
ラッパーとして生まれ変わる
ストリートでリスペクトを得てラッパーとして申し分ないバックグラウンドも持つlilbabyをアトランタの先輩ラッパー達がHIPHOP界に引きずり込もうとしました。Young Thugはlilbabyに必要なお金渡し金銭的な援助を行いました。
そしてラッパーとして生まれ変わりました。
ラッパー初期
はじめたての頃はgunnaに金を払いリリックを書いてもらっていたそうです。
2017年本格的に活動を始め、1年で4本ものミックステープを発表。
My DawgやFreestyleなどのストリートアンセムをリリース。地元を映しストリートライフを歌いキャッチャーなフロー、一気にメインストリームに駆け上がりました。
翌年2018年には、southsideやDrip Too Hard などがバズりgunna&lilbabyは相性抜群で数々のヒットを飛ばしました。
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My Turn
2020年は俺のターンだ。と意気込ん発表したアルバム「My Turn」は自身初の全米1位を獲得。2020年を代表するアルバムとなりました。
このアルバムはこれまでのキャッチャーなフローだけでなくガツガツラップするようになりました。
おそらくラップができないと言われることにlilbabyはコンプレックスを感じていたのだと思います。
世界屈指のアーティストとなり発表した「The Bigger Picture」では、長年苦しんできた黒人差別や警察からの暴力に対するアンセム。グラミー賞でも素晴らしいパフォーマンスを披露しました。
It`s Only Me
このアルバムでは、さらに洗練されたlilbabyが表現されていてHeyyはラップの上手さがとてつもないと感じます。またFridayyとの楽曲Foreverでは落ちついた曲でさらに進化していると感じます。
現在はサッカーワールドカップに曲を提供したりアマゾンプライムに自身のドキュメンタリー映画を公開。ドラックディーラーからラッパーとなり数年でここまで上り詰めました。
SORRY 4THEWAIT
2024年8月25日自身のインスタグラムにハシュタグSORRY 4THEWAITを添えて「アルバム80%完成」とpostしました。
かなり前からファン達はデルデル詐欺を食らっています。(笑)
発表が待ち遠しいです。個人的には、kendrickやJ,Cole のような地位に上り詰めるアルバムになることを願っています。
lilbabyのキャリアを簡単に紹介しました。持ち前のハードワークと金を稼ぐ執着こそ彼の成功メンタリティーなのかもしれません。