「子どもが好き」という教員を、子どもが好きとは限らない
保護者は、教員に対して子どもに愛情を持ってほしいと思っている。教師に望まれる資質として「子どもが好きなこと」を挙げる人もいる。しかし、「子どもが好き」と言い古された表現は、「気が合う子どもは好きでも、そうではない子はそれほど好きではないのではないか」という小学校教師の声が、『教師が育つ条件』(今津孝次郎、岩波新書、2012年)で紹介されている。
そうではなくて、「たとえ肌が合わないと感じる子でも、意思疎通をはかって、その子を理解しようと最大限努力する」ことが求められている。聞き分けがない子や肌が合わない子、目立たない子といった教員に無意識に除外されがちな子どもに対して、どう接するのか。教師には、自分のまなざしの範囲や枠組みが問われてくるのである。
たしかに、「あなたは教師に向いている思いますか」という質問に対して、「子どもが好きだから、向いていると思う」と答える、教員養成学部への入学を希望する高校生や教員養成学部に在籍する大学生がいる。「子どもが好だから」という回答を聞くたびに、「あなたが子どもを好きになってくれる保証はどこにあるのか」と、ツッコんでいる大学教員は私のほかにもいると思う。
「教師であること」は、教員からは定義できない。教師は、子どもから定義されることばなのではないだろうか。
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