宮崎市ティーンズ会議
宮崎市ティーンズ会議だった。中学生と高校生に集まってもらい、3回のワークショップを通して、市長や宮崎市子ども・子育て会議の委員に意見表明をするものである。ファシリテーターを学生スタッフとともに務めた。
中学生や高校生の発表は、問題を自分事としてとらえられていたので、簡潔で過不足のない表現であり、多くの人にとって期待以上のものであった。子どもの意見表明権は、ことばになった意見を伝えることではなく、ものの見方・考え方を聴きとられる権利でもある。彼らのものの見方・考え方をことばに表現していくことに心を砕くとともに、ことばにならないものの見方・考え方をていねいに聴きとってきた。
彼らにとって、意見は相手に伝えればいいと言うものではない。相手のリアクションがあって、はじめて伝わったということになるという。意見は、個のものではなく、対話の中で形成されるものなのだ。意見は、一人で考えて誰かに伝えるものではなく、異質な他者とつくりあげていくものだという。
活動という概念も異なっていた。社会的意義が示されて個々が選択し参加すると、ボランティアになるが、二人以上で一緒に参加できると思い出やイベントになるという。社会的意義が示される前に、秘密を共有するかのような共犯関係がデザインされていることが重要というのだ。
彼らは、児童館の「児童」に中学生や高校生は含まれていないと思っていた。公民館の「公」に自分たちは入っていないと感じていた。だからといって、児童館であっても公民館であっても、中学生や高校生が使えることを知らせたとしても、そういうことではないという。彼らは、目的があって、スペースが必要になるのではなく、まず集える場が欲しいというのだ。集うからこそ目的は創出され、そのときどきの目的に応じたスペースを選択したいという。利用申請に際して、目的が必要となる施設の利用手続きは彼らには馴染まないのである。
こうした意見にある意義や価値を共有しようとしてきたのだが、中学生や高校生は、意義や価値ではなく、具体やイメージを共有しようとする。彼らは、目的や方法を協議して、実行するというプログラム思考ではなく、まずイメージを共有しながらアクションし、ふりかえるというプロジェクト思考なのである。構想-計画-行動という筋道ではなく、テーマの共有-イメージの表現-行動や活動-ふりかえりという様式なのである。
子ども会は、おとなが考え子どもが実行するところだから、子どもが考え子どもが実行する子ども協議会をつくりたいという提案もあったが、「協議」という言葉がおとなのことばなのではないかと気づかされた。彼らの提案は、子どもによる未来創造機構とも言うべきものかもしれない。
刺激的な3日間であった。二列ワークやワールドカフェなどを駆使して、とにかく参加者で話しをし聴き合い、ことばにしていく作業を繰り返した。互いに自己をさらけ出し、集中して話し合ってくれた中学生と高校生、ていねいに話を聴き、「たとえば」「なんで」「どういうこと」と質問を繰り返し、中学生・高校生を支え味方になった大学生に、記して感謝したい。
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