バングラデシュの学生と労働者はなぜハシナ政権を打倒したのか?〜現地労働組合の活動家へのインタビュー〜
インタビュアー:岩本菜々
はじめに
2024年8月5日、約15年にわたって首相の座にあった、バングラデシュのシェイク・ハシナが首相を辞任し、インドへ逃亡した。「民主主義」や「女性の権利」を掲げ、政権の座についたハシナ首相は、年々、強権的な姿をあらわにし、多くの人々が抱いていた期待を裏切った。
政権は、パンデミックやインフレで、貧困が広がっているにもかかわらず、「身内びいき」といえるような政治を続け、そうした政権のあり方に抗議する人々への暴力的な弾圧をおこなってきた。民衆の怒りは、ついに沸点に達した。
すでにメディアで言われているように、今回の政権崩壊の発端となったのは、ハシナ首相が、1971年の独立戦争に関与した退役軍人の家族を、公務員に優先的に採用するという方針を打ち出したことだとされる。若い世代の失業と貧困が拡大するなか、学生たちの政権にたいする怒りが噴出したのだ。最終的には、彼ら彼女らに呼応するかたちで、工場労働者から公務員まで、社会の広範な人々が抗議のために街頭を埋め尽くした。
筆者は今夏、ファストファッションのサプライチェーンの労働問題の調査・規制にとりくむ国際NGO、Clean Clothes Campaignの一員として、アジア各国の労働組合活動家たちが集まる会議に参加し、バングラデシュから来ている労働組合活動家たちから話を聴くことができた。会議は政権崩壊から数日しか経っていない日に開催され、なんとか飛行機が動いて途中から会議に加わったメンバーたちを、私たちは拍手で迎えた。そのうちの一人は私に「今日、私は空港で “労働NGOのスタッフだ”と堂々と言って出国してきた。これまでは、弾圧を免れるためにずっと隠してきたんだ。これが私たちの勝ち取った自由だ」と、熱っぽく政権崩壊後の解放感を語ってくれた。
彼ら、彼女らの言葉から見えてきたのは、今夏の政権崩壊のはるか前から、経済格差の拡大にたいして抗議の声をあげ続けてきた、女性を中心とした縫製産業の労働者たちの姿だった。今回の政権崩壊は一夜にしてなされたのではなく、数十年にもわたる労働者による抗議を背景に、学生といった中間層の若者たちの抗議が相まって政権にとどめを刺したのだといえる。
今回、インタビューに応じてくれたのは、全国縫製労働者連盟(National Garment Workers Federation)の中央委員会・副委員長である、シマ・アクターさんと、アコタ縫製労働者連盟(Akota Garments Workers Federation)のサルマ・アクターさんだ。そしてダッカ国際大学法学部助教のイミティアズ・アフマド・サジャルさんが、背景情報を説明しながらの通訳を引き受けてくれた。
バングラデシュは「世界の縫製工場」と呼ばれ、私たちにも馴染み深い様々なブランドが、バングラデシュを拠点に生産を行っている。近年日本でも、ファストファッションの裏に隠された人権侵害の問題が知られるようになっているが、こうした問題が明るみになっているのは、彼女らのような現場の活動家たちが事実を告発しているからだ。
しかし、工場で起きている悲惨な人権侵害に抵抗する声は、経営者や政府にとっては「耳が痛い」ものだ。それゆえに彼女らのような活動家たちは、腐敗した政権と取り巻きの経営者層、そして彼らに雇われたギャング集団たちによって、監視・監禁され、さらには暗殺されてきた。経営者と政治権力が結びついて、正義を求める人々の声を封殺しようとしてきたのだ。
本記事では、こうした脅しにも屈せず闘いを率いてきた、組合リーダーへのインタビューをもとに、グローバル・サウスでの暴力や腐敗を前提とした、グローバルな経済システムの問題について考えたい。
1、グローバリゼーションと経済格差の拡大、政治の腐敗
経済成長でバングラデシュの人々は本当に豊かになったのか?
すでにメディアでも言われているように、今回のハシナ政権崩壊の背後には、若い世代の貧困の広がりに大きな原因がある。グローバリゼーションと経済成長は、急速な格差の拡大をもたらしてきたからだ。国際労働機関(ILO)の2022年時点の調査によると、とくに若者(15歳から29歳)のあいだでは失業率が9%と高く、就業している若者についても、92.7%が低賃金や劣悪な労働条件に特徴づけられる不安定なインフォーマル雇用に就いていた。
1990年代以降バングラデシュは、アパレル系の外国資本による投資を積極的に誘致することによって、急速に経済成長を推し進めてきた。1980年代以降、ヨーロッパやアメリカ、日本といったグローバル・ノースの国々では、製造業の拡大による高度成長に行き詰まりが見え、多くの企業が低下した利潤率を回復するために、労働力が「安い」かつ環境規制がゆるい、グローバル・サウスの国々に移転する戦略をとった。バングラデシュは、こうした世界的な産業移転の波に乗るかたちで急速に経済成長を実現した。ビジネス界や開発援助の専門家たちは、こうした急速な経済成長をもてはやし、バングラデシュをグローバリゼーションの「勝ち組」と評してきた。
しかし大多数の労働者にとって、経済成長の恩恵を受けているという実感は薄かった。というのも、企業の利潤を最大化するために、労働者の権利が蔑ろにされてきたのだった。今回インタビューした、労働組合活動家のシマ・アクターさんは、バングラデシュが外国資本による投資を誘致するためにとった「輸出加工区」設立の戦略を批判していた。
「輸出加工区(Export Processing Zone, EPZ)」とは、法人税・関税の引き下げと、労働法の制限によって、外国資本によって外国資本による投資を誘致するものだ。1980年代以降、グローバル・サウスの国々の多くでとられた経済成長戦略で、バングラデシュは1983年に初めての輸出加工区を建設した。輸出加工区では、労働組合の結成や団体交渉は、著しく制限されているか、完全に禁止されている。つまり職場で問題があったり、賃金が低くても抗議をすることは法律で固く禁じられているのだ。ビジネス界では、「労働者による抗議」に直面せず、スムーズに企業活動ができることが「売り」だとされてきた。シマ・アクターさんは、これを「1つの国に、まったく異なる2つの法が存在する状況」と表現していた。
くわえて、ビジネスや開発援助の世界では、バングラデシュの潤沢な「安い女性労働力」の「活用」が推進され、多くの女性がグローバル企業の下請けの縫製工場で働くようになった。1990年代には、世界的に有名なファストファッションのブランドの下請け工場が次々と稼働し、バングラデシュの経済は急速に成長しはじめた。ハシナ元首相は、バングラデシュの縫製労働者たちを外貨獲得のために必須な「ゴールデン・ガールズ」と称していた。
こうした経済成長によって生み出されたのは、低賃金かつ劣悪な雇用ばかりだった。バングラデシュの首都ダッカには、「スウェット・ショップ(搾取工場)」が立ち並ぶようになった。スウェット・ショップでは、なるべく安上がりに生産をするために、空調や安全対策もろくにしていないビルに、たくさんの労働者が詰め込まれる。こうした工場で、私たちが普段着るようなH&Mやユニクロといった世界的に有名なファストファッションの服が作られている。
私が所属する国際NGO、Clean Clothes Campaignでは、じっさいにファストファッションの平均的なTシャツ1枚の売上がどこにいくのかを推計したことがある。まず売上の大部分(約59%)が小売業者のもとへ行き、ブランドは約12%を得る。そして材料費や輸送費などが引かれ、最終的にバングラデシュの縫製労働者に支払われるのは全体の売上のたった0.6%にすぎない。4,600円ほどのTシャツを作った縫製労働者には、たったの29円ほどしか支払われないのだ。
専門家の推計によると、2023年時点でバングラデシュで「まともな生活」を送るためには、毎月約25,497タカ(約30,600円)が必要だ。しかし2019年に改定された縫製産業の最低賃金(月額)は、およそ9,570円(8,000タカ)にとどまり、その3分の1にも満たなかった。こうした生きていくのもままならないような「飢餓賃金 poverty wage」がバングラデシュではまん延している。
同時にこうしたバングラデシュへの縫製工場の移転ブームにのっかり、労働者を安く使い成り上がる経営者たちがたくさん生まれた。このような経営者たちは、政治家と強く結びついていて、バングラデシュの社会で強い影響力を行使している。シマ・アクターさんによると、バングラデシュの国会では、全350議席中の少なくとも156議席が縫製工場の経営者やその関係者によって占められているほど、縫製産業と政治の結びつきは強いという。
格差と腐敗を象徴した「ラナ・プラザ」事件
2013年に起きた、「ラナ・プラザ」事件は、ファストファッションの裏側にある搾取と汚職を象徴する事件であった。ラナ・プラザとは、世界的に有名なアパレル企業の下請け工場が多数入っていたビルで、操業中に倒壊し、多くの労働者の命を奪った。ビルの名前は、所有者で政治的にも有力なソヘル・ラナ氏の名前からきている。現地の労働組合と連携した私たちの調査によると、少なくとも29社もの世界的なアパレル企業が、ラナ・プラザに入っている下請け企業と取引をしていたことがわかっている。
事故が起きる前日、ラナ・プラザの労働者たちは、建物の異音に気がついており経営側にも報告していた。しかし経営側は聞く耳を持たなかった。安全対策を取るのには「コスト」がかかるからだ。そして次の日、建物は崩壊した。1,132人の命が奪われ、2,500人以上が怪我を負った。現在も事故の後遺症を負い、経済的に困窮しながら暮らす労働者が数多くいる。救助にあたったボランティアの男性は、その数年後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)と思われる症状に悩まされ、みずから命を絶った。それほど悲惨な光景が現地には広がっていたのだ。
しかしこれだけの惨事を招いたにもかかわらず、ラナ・プラザの所有者であったソヘル・ラナの責任は十分に問われてこなかった。というのも彼は、ハシナ元首相が党首であったアワミ連盟の下部組織で要職を務めていたからだ。シマ・アクターさんは、「今もラナは収監されていますが、実のところ大した刑罰も課されておらず、かなり条件の良い特別な場所に収監されています」と言う。収監は、労働者のあいだで溜まる不満のガス抜きといったものだろう。
バングラデシュの大衆にとって経済成長が意味したものは、低賃金かつ劣悪な雇用の跋扈と、腐敗と格差の拡大だった。
2、声を上げる縫製労働者たち、封殺しようとする権力者たち
女性労働者たちの闘い
だが、縫製労働者たちはこうした状況を黙って受け入れてきたのではない。労働者たちは、労働組合を結成し、職場での権利向上を求めてきた。さらには、「生きていけないレベル」まで低く抑えられた最低賃金を引き上げるために、何度もゼネラル・ストライキや抗議行動を打ってきた。
しかし同時に、政権や取り巻く企業、そして彼らに雇われたギャング集団たちは、幾度となく労働組合のリーダーを監視・監禁し、さらには暗殺さえしてきた。
ハシナ政権(第二次)が成立する直前の2008年、縫製労働者を含むバングラデシュの労働者たちはゼネストを打って、最低賃金の引き上げを求めた。当時の状況をふりかえり、シマ・アクターさんは、多くの女性労働者たちが「ハシナ政権に期待していた」という。サルマ・アクターさんもうなずく。なぜならハシナは、「縫製工場の女性労働者は、バングラデシュにとって重要な存在だ」とし、「縫製工場の女性労働者の権利を向上する」と繰り返し主張したからだ。民主化を進め、女性の権利を拡大すると言う強い女性リーダー像が、バングラデシュ国内だけにとどまらず、「国際社会」に支持された。
だが、すぐにハシナ政権はその強権的な姿勢をあらわにした。ラナ・プラザ事件が起きた2013年には、工場での低待遇にたいして労働者の怒りが広がり、工場の安全と最低賃金の引き上げを求める運動が大きく盛り上がっていた。その時も経営者と政権の側は、暴力的な鎮圧を図ろうとした。抗議行動に参加した労働者4人が殺害され、2,000人以上の労働者が刑事告発され、100人以上が逮捕された。シマ・アクターさんによると、当時の組合リーダーのなかには、いまだに刑事告発の対象とされている者もいるという。
2008年、2013年、2018年とバングラデシュの縫製労働者たちは、最低賃金の引き上げを求めて、大規模なストライキと抗議行動を繰り返してきた。
2023年——最低賃金の引き上げを求める縫製労働者にたいする暴力的な弾圧
2023年10月、ハシナ政権は新しい最低賃金を発表した。だが、物価高騰により困窮が広がっているにもかかわらず、発表された引き上げ額は低い水準にとどまった。
先にも述べたが、バングラデシュでまともな生活を送るために必要な賃金は、2023年の時点では毎月およそ30,600円(25,497タカ)であるにもかかわらず、2019年からの最低賃金はおよそ9,570円(8,000タカ)にとどまっていた。労働組合は、約27,600円(23,000タカ)への大幅な最賃引き上げを求めていたが、政府が発表した改定後の最低賃金は、まともな生活に必要な額の約半額である約15,000円(12,500タカ)だった。これが多くの労働者の反感を買った。すぐさま縫製労働者たちは、最低賃金の引き上げを求めて街頭を埋め尽くした。
ところで、2022年から現在まで、バングラデシュを含むグローバルサウスの国々の多くでは、パンデミック後の急速なインフレとウクライナ戦争による燃料価格高騰、気候変動の影響による洪水と干ばつによる不作が相まって、深刻な食料危機がまん延してきた。バングラデシュ同様、各国で暴動が広がった。
生活必需品の多くを輸入に頼るバングラデシュでも、燃料価格と食糧価格の高騰によりますます多くの人々が困窮した。現地新聞によると、生活必需品として食用油を例に挙げると、2021年5月には、1リットルあたり約161円(135タカ)だったのが、2022年1月には約180円(150タカ)、そして同年の5月には約237(198タカ)と、一気に価格が高騰した。日本でも物価高騰による生活困窮の拡大が問題となっているが、グローバル・サウスではそれに先駆けて、深刻な事態が広がっていたのだった。
最賃発表の直後、首都ダッカでは、怒りを抑えきれない縫製労働者約6,000人がストライキを打ち抗議のために街を埋め尽くした。これにより600以上の縫製工場が操業を停止した。シマ・アクターさんによると2023年の抗議行動は、労働組合による指導により始まったのではなく、末端の縫製労働者の怒りが暴動として噴出することによって始まったという。
抗議行動が盛り上がりをみせると、政権は労働組合にたいして攻撃をしかけてきた。暴動がより明確な狙いをもった運動に発展することを恐れていたからだ。そこで警察はダッカ管区ガズィプル地区にあるシマ・アクターさんの組合本部に押し寄せ、他のリーダーたちを逮捕した。警察の刑事部門と軍隊の諜報部隊の関係者は、活動家や労働者を威圧するために、定期的に各労働組合の本部や支部のある事務所を訪れるのだという。それにより多くの労働者たちが組合の事務所に近づくことができなくなってしまったという。そして当局関係者は、組合活動家にたいして、FacebookなどのSNSに「抗議行動をやめる」や「集会を解散する」といった投稿をし、労働者たちの士気を下げるよう執拗に求めてきたのだ。もちろん、活動家たちはそうした要求には応じない。
当然、縫製労働者の組合運動の中心に立つシマ・アクターさんもこうした弾圧の対象になっている。シマ・アクターさんが集会に参加し、最低賃金の引き上げを求めて演説をしたところ、当局関係者は、彼女が「国家にたいして侮辱をおこなった」とでっちあげたのだった。そのときから、彼女への当局の監視が強化され、拘束されないように隠れながら活動する生活が続いていたという。また、サルマ・アクターさんによると、バングラデシュ縫製・産業労働者連盟の活動家2人が、経営者に雇われた反社会勢力に暗殺されたという。最終的に20,000人の労働者を対象に、43件の刑事告発がなされ、実際に100人以上の労働者が逮捕され、その多くが職を失った。
こうした当局の暴力的な弾圧により、バングラデシュの縫製労働者による抗議行動はいったん収束したようにみえた。
だが、2024年、物価高騰にあえぐ人々をまえに、ハシナ政権はさらなる悪手を打つ。ハシナ政権が打ち出した、1971年の独立戦争に関与した退役軍人の家族を、公務員に優先的に採用するという方針は、すでに就職難と貧困にあえぐ学生を含む中間層の若者の怒りに火をつけた。国際労働機関(ILO)によると2022年には、若者(15歳から29歳)の失業率は9%を超えていただけでなく、若者の92.7%、および若年女性98.5%が、低賃金や劣悪な労働条件に特徴づけられる不安定なインフォーマル雇用に就いていた。
この20〜30年間でバングラデシュでは急速な経済成長により、急速に中間層が形成されていたと言われる。学生はそうした層を象徴する存在だ。だが、大学などの高等教育を受けた若者にいたっては、なんと27.8%に達する高い失業率を記録しており、女性の場合は32.6%にも及んでいた。若い世代の失業と貧困が拡大し、パンデミック後のインフレとウクライナ戦争による燃料・食料価格の高騰、そして気候災害による不作が相まって、学生をはじめとした中間層すら未来がない状態にある。ことし始まった学生によるハシナ政権への抗議行動は、またたく間にこれまで抗議を続けてきた工場労働者へと波及し、さらには公務員といった社会の広範な人々へと広がったのだった。多くの労働者がストライキを打って、街頭を埋め尽くした。
2024年8月5日、約15年にわたって権力の座についていたシェイク・ハシナは首相を辞任し、インドへ逃亡した。希望にあふれる数千人もの民衆が首相公邸を占拠する様子が各国メディアで配信された。
3、さいごに
今回、ハシナ政権が崩壊し、メディアでは軍部から民政への移行、その後いかに「民主主義」が実現されるのかが争点となっている。
だが、バングラデシュの縫製工場の労働者にとっての自由の到来は、まだまだ遠い先の話だといえる。シマ・アクターさんは、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌスが最高顧問を務める暫定政権には、労働組合の関係者の姿が一切ないことを指摘する。
はやくも私が記事を書いている10月現在、工場の労働条件改善を求めて抗議する労働者2人が、警察の手によって殺された。さらには、その事件から1週間もしないうちに、もう1つの事件が起きた。縫製工場の経営者らは、ギャング集団とみられる約150人を動員し、少なくとも20人の労働者を監禁したうえに、暴力をふるって負傷させたのだった。警察は黙って暴行の一部始終を見ていたという。これは、問題のある経営者の辞任を求めていた労働者にたいする「見せしめ」ないし報復行為だとされる。
このような経営者と政治家、ギャング集団の腐敗はこれからも続くだろう。なぜなら、こうした問題を引き起こす理由は、バングラデシュの政治制度だけではなく、グローバルな経済の仕組みにあるからだ。私たちにとって馴染み深い世界的なファストファッションの企業が、現地での警察やギャング集団による、労働者への威圧から利益を得ているのだ。だからこそバングラデシュといった労働力の「安い」グローバル・サウスの国々からの搾取を前提とした、グローバルな経済構造じたいが変わらなければ、本当の意味で自由がもたらされることはない。
また、たとえ選挙が「民主的」におこなわれるようになったとしても、明日の生活のために怯えて、工場で言われるがままにミシンを縫う人々が大勢いる社会は、真の意味で自由な社会とはいえないだろう。
すでに世界では、バングラデシュの縫製労働者とともに、元請けのグローバル企業の責任を問う運動が始まっている。私が所属するClean Clothes Campaignでも、労働者の安全に対し、グローバルブランドに責任をもって対処させるための枠組みを構築してきた。その取り組みの一つが「バングラデシュの火災と建築物の安全に関する協定」だ。これは、ブランドと労働組合の間で交わされる、工場の安全環境を確保するための法的拘束力のある取り決めで、検査プログラムには、労働者と労働組合が関与することになっている。これまで、ブランドは自分の製品を作っている工場で危険があっても「下請け工場の責任だ」と主張し、自分達の責任を回避しようとしてきた。この協定は、こうした状況に対処するために設けられた。
この協定では、もし工場に修繕が必要な箇所が見つかった場合、ブランドは資金を供出すること、労働者が苦情を申し立てるための、苦情処理メカニズム、安全でない作業を拒否する権利の確保などについて定めている。
これまで外部化してきた、労働者の安全を守るための「コスト」を支払いたくないブランドは、当初この枠組みを拒否していた。そこには、GAP、ウォルマートなどの有名ブランドの姿もあった。
しかし、ラナ・プラザ崩壊後、ブランドが本社を置くヨーロッパの国々で協定に加盟しないブランドに対する大規模な抗議運動が広がったこと、グローバルサウスでの粘り強い労働組合運動を受け、200以上のブランドが協定に加盟した。
その後、2000以上の工場が検査され15万を超える安全上の問題が特定。2019年には、ブランドの出資のもと、1120 の工場では90%以上の初期修理が完了した。
バングラデシュに生産拠点を置く日本のメーカーは数多く存在する。また、私たちが毎日着る服のタグを見れば、その多くに"Made in Bangladesh"と記されているはずだ。それなのに、日本ではバングラデシュに拠点を置く日本企業の実態調査も、弾圧と低賃金にあえぐ労働者と連帯し、元請企業に責任ある行動を求める運動も、まだほとんど聞かれない。
日本に暮らす私たちも、現場の労働者とともに告発を進めていきたい。そのような取り組みに関心がある人がいれば、Clean Clothes Campaignの公式アカウントや、Clean Clothes Campaign加盟団体である、NPO法人POSSEに連絡をしてほしい。