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なぜ、能登では「復興」が進まないのか?-「エッセンシャルワーカーの切り捨て」と闘う運動の必要性-(荻田航太郎)

筆者 荻田航太郎(おぎたこうたろう)
 新卒で「ブラック企業」に就職。月残業200時間超の長時間労働やパワハラ等を経験し絶望。退職後、NPO法人POSSE代表・今野晴貴氏のYahooニュースを読んだことをきっかけにPOSSEへ労働相談。その後、労働組合「総合サポートユニオン」にて企業との団体交渉や街宣活動等を経験し、全社員の未払い賃金及びパワハラに関する謝罪と賠償を勝ち取る。
 現在は、筑波大学大学院にて労働や移民の研究を行いながら、POSSEにてエッセンシャルワーカーの労働相談を対応している。

1、はじめに―未だに震災直後のような風景が広がる能登半島―

 倒壊した住宅に建物、散乱した瓦礫や土砂崩れにより寸断された道路。段ボールをベッドにして公民館で避難生活をする高齢者や、プライバシーが守られない避難所生活を嫌ってビニールハウスや車中で宿泊する人たち。地震発生直後の様子かと見まごうような光景が、あれから半年以上過ぎた今でも能登半島には広がっている。

 現在も2200人以上が避難生活を送り[1]、倒壊した建物を自治体の負担で解体する「公費解体」についての申請が約2万件超あるにもかかわらず、作業は全体の約4%しか完了していないという[2]。

 こうした状況が続く中、地震が直接的な原因ではなく、避難生活による体調の悪化などが原因とされる災害関連死は増加の一途をたどっている。2024年7月3日時点で災害関連死の申請件数は207件[3](内70件は認定済み[4])にも上り、この社会の災害対応力の弱さが日々人の命を奪っているといえる

 災害大国であるにもかかわらず、なぜ日本社会は災害対応力が乏しく、能登では未だに震災直後のような風景が広がっているのだろうか。

 一般に指摘されているのが、被害想定の甘さや防災意識の低さ、災害対応時の体制の問題などである[5]。しかし、普段から労働運動の現場で介護や保育、教育などさまざまな労働者たちと交流している筆者からすると、日本社会の災害対応の脆弱性を、平時と切り離して特殊な問題として認識している点に強い違和感を覚える。というのも、平時(特に労働の在り方)を問題視せず、そこと切り離して災害対応の脆弱性の原因を求める姿勢は、災害対応に関する法制度や組織体制、ガバナンスの問題に脆弱性の原因が還元されることによって、より本質的な問題を見失うことにつながるように思えるからだ。その問題は、日本社会が平時の段階で既に災害対応に関わる財やサービスを生み出す「力」を奪われているということにある。

 しかも、これは地震などの「自然災害」とは異なり、利益追求に邁進する企業と政府によって生み出されてきた問題である。この課題を直視して解決に取り組まない限り、いくら表面的な災害対応に関わる体制が整ったとしても、日本社会の災害対応に関する脆弱性を根本的に克服することはできないであろう。言い換えれば、災害時の対応力の弱さや「復興」の停滞は、単に災害時だけの問題ではなく、この社会を支える労働が、平時の段階から大企業の利益追求に貢献するように編成され、「ボロボロ」に「切り捨て」られてきた結果、生じているものだ。

 以上の問題意識から、本記事では、社会の再生産にとって必要不可欠な財やサービスを提供する労働者であるエッセンシャルワーカー、その中でも特に災害対応で重要な役割を担う建設労働者と自治体職員の視点から、いかにこれら労働が「切り捨て」られてきたのかという点をみていく。それを通じて、災害時に限らず平時の段階から日本社会が人々の生活を再建し支える「力」が奪われている原因をクリアに捉えることができるであろう。そして、最後にその克服の方向性について論じる。

 そこで、まずは災害対応において労働者たちがどのような役割を担っているのかをみていきたい。


2、 「命の道」を確保する建設労働者たち―「初動の遅れ」が人命を奪う―

 一般的に、地震発生後72時間を超えると被災者の生存率が低下するとされ、初動の対応、特に道路復旧が最も重要だと言われている。警察庁が発表した今回の震災の死因分析によれば「低体温症・凍死」が死者数全体の14%(32人)にも上っており、被災者が救援を待つ間に、寒さによって体力を奪われそのまま死亡した可能性が指摘されている。警察の依頼で現地入りした医師は「道路や救助の状況によっては救えた命だったかもしれない」と語っており、救援隊が駆けつけることのできる道路状況の確保の重要性が浮き彫りとなった[6]。

 道路復旧の中でも特に重要な「道路啓開」とは、道路の本復旧(=安全に車両が通行できるように整備された道路復旧)と区別されるもので、ひとまず緊急車両が通れるように瓦礫や土砂などを脇に寄せ、自衛隊や消防隊が通行できる救援ルートを確保することが第一目的とされる。災害発生時に最も重要とされるのがこの道路啓開であり、この救援ルートは「命の道」と形容されるほどである。

出典:国土交通省ホームページ[7] 

「建設業者は、災害の時はまさに地元を守る要」だ——この言葉は、東日本大震災の際に、道路啓開を指揮した東北地方整備局局長・徳山氏が述べた言葉である[8]。

 災害時の支援・対応といえば行政や自衛隊を思い浮かべるかもしれないが、日本の災害対応の初動の最前線に立っているのは地元の建設業者である。各都道府県の行政は地元の建設業者と災害協定を結んでおり、地震が発生すると建設業者はその協定内容に従って行動することになっている。東日本大震災時の例では、岩手県の建設業者は地震発生後、管内のパトロール・通行止めの対応・被災状況の確認および情報収集を行い、その情報をもとに行政の担当者と共に啓開ルートの作成(どこの道路が寸断されており、どこを優先的に啓開すべきかの検討等)を行った[9]。

 自衛隊も道路啓開作業に携わるが、それは民間建設業者の主導のもとに進められる。というのも、地元の地形を詳しく知り尽くしているのは地元の建設業者であり、重機の扱いも自衛隊員よりも各段に長けているからだ。当時、メディアで自衛隊の活躍が取り上げられることも多かったが、自衛隊の救援物資車両が通るためのルートを確保したのは地元の建設業者であり、彼らなしには救援行為自体が不可能であった。このように、あまり注目されることはないが、初動の災害対応、道路啓開を主導するのは地元の民間建設業者なのだ。

 しかしながら、現在、啓開作業を主導する建設業界は労働条件の劣悪化により人手不足が進んでおり、東日本大震災の際に道路啓開作業を担った岩手県の建設業者は、「はっきり言って震災が起きる前まではもう建設業はみんなつぶれそうな感じで、銀行は誰も金貸してくれるような状況じゃないわけですよ」[10]と、弱体化する地方の建設産業の苦しさを語っている。

 総務省『労働力調査』によれば、建設業就業者数は1997年の685万人から2023年の483万人と約200万人も減少しており、この穴を埋めるために外国人労働者の導入を政策として進めているものの十分な量の労働力を建設産業が調達できているわけではない。また、石川県内でいえば2005年の6万5600人[11]から、2023年の5万900人[12]へと、1万4700人もの担い手が減少している。

3、建設労働の弱体化を招く、ゼネコンによる「中間搾取」の強化

 加速する人手不足の背景として指摘されているのが、労働者から忌避される労働条件の劣悪さである。建設産業は、大企業をトップとする重層下請け支配の構造に現場の労働者が組み込まれる過程で、長時間労働と不安定な就業を特徴とする「一人親方」(フリーランス)が拡大し、フリーランス率が49%と、全ての産業の中で最も高い産業となっている。そして、この「一人親方」の貧困率は4割強にも上る(柴田 2023)。

 なぜ、このような状況になったのだろうか。

 結論から述べれば、それは現場の建設労働を弱体化させることによって実現してきた、ゼネコンによる利益追求の在り方にある。ゼネコンと現場の建設労働との対立・矛盾は、戦後から一貫した構造的な問題ではあるが、その矛盾が激化するのは、日本経済の停滞が本格化する90年代であった。

 そこで、ここではやや時代を遡り、現場の建設労働が、ゼネコンの利益追求に沿う形で編成されてきた歴史、すなわち、ゼネコンをトップとする重層下請け支配の構図が形成・確立された戦後の建設産業の在り方から、この点について考えていく[13]。

 敗戦後の日本には経済復興のために莫大な建設需要が生み出され、建設産業は戦争によって家や財産を失った多くの労働者の雇用の受け皿となった。1950年代後半から1960年代の高度経済成長期へと至る時期には、労働組合による労働者の組織化が拡大し、ゼネコンに対し賃金や労働条件の改善を直接に求め、建設産業の賃金水準をあげる役割を労働組合が果たしてきた。

 このような労働者による抵抗に直面したゼネコンは、1960年頃から使用者責任を回避しつつ安定して労働力を確保する仕組みとして、重層下請け支配の確立を画策し始める。そして、この確立を可能としたのが、戦後日本の莫大な建設需要であった。「土建国家」と呼ばれた戦後の日本は、工業団地や電源開発、高速道路の整備など生産インフラへ巨額の投資を行い、それが日本の高度経済成長を支えた。

 国家による公共事業の継続的拡大、そして、それを一括契約でゼネコンが請け負うことで、ゼネコンには、どの企業にどのような形で工事を分配するのかという工事配分を「恣意的に」実行できる力が与えられた。中小建設業者に対する生殺与奪の権を握ったゼネコンは、①談合②予定価格③指名競争を通じた「恣意的な」工事配分をテコに、労働条件の改善を求めるような戦闘的な建設業者を排除し、従順な建設業者を抱え込むことで、ゼネコンの意向を強く反映できる産業秩序を確立してきた。

 この支配―従属関係を前提に、元請企業が「安い」価格で工事を発注することが可能となり、建設産業の労働条件は、現場の労働環境や労働者の生活事情を顧みないゼネコンの利益追求に資する形で整備されていく。元請のゼネコンは、雨などによって工事ができない場合も工期を延長せず、さらに、下請けへ支払われる請負金額には、雨天で中止した場合に労働者へ支払う原資は含まれないため、多くの下請け企業が日払い制を採用しており、建設現場は不安定で不規則な働き方が当たり前の世界となっていった。

 そして90年代に入ると、激化するグローバル競争がそれまでの日本社会の在り方に変化を求めた。その結果、「国家による公共事業の継続的拡大」という、戦後の建設産業を支えた条件が失われていった。こうした変化の中で、ゼネコンがさらなる利益追求のために取った戦略は、下請けからの「中間搾取」の拡大であった。これは、ゼネコンと現場の建設労働とのよりいっそうの対立・矛盾、すなわち、以前よりもゼネコンが現場の建設労働を顧みなくなることを意味した。

 1994年から1997年にかけて、ゼネコン56社では現場を管理する労働者を8000人も削減し、10億円規模の工事においても元請労働者の配置は2〜3名となり、元請労働者は複数の現場を掛け持ちする状況となった(辻村1998,p.24)。

 また、ゼネコンは以前のように中小建設業を抱え込むことを放棄した。下請け業者との専属性を改め、より安く請け負う下請け業者を市場から選別する方向へと舵を切り、より苛烈な低価格受注競争が起こり、90年代にはゼネコンの採算割れ発注により下請け業者の倒産が相次ぐことになる。

 このような流れの中で、先述したように、長時間労働と不安定な就業を特徴とする「一人親方」と呼ばれるフリーランスが拡大した。フリーランス率が49%と全産業の中で最も高くなり、「一人親方」の貧困率は4割強にも上ることになったのだ(柴田 2023)。

 以上みてきたように、ゼネコンは以前から建設作業を担うエッセンシャルワーカーの労働環境や生活を顧みないことで利益を上げてきたわけだが、90年以降それがより決定的になったのである。

 このように平時の段階でかなり深刻な状況にある建設労働者たちが災害対応にあたるとなれば、どのような状況になるだろうか。

 能登半島地震の被害を大きく受けた能登半島・輪島市にある建設会社では、労働者たちが「自宅が倒壊したり、全焼したりした」状況の中で啓開作業にあたることとなった[14]。また、甚大な被災を免れた奥能登地方以外の石川県内の建設労働者たちは、1班3昼夜の交替制で、寝袋での休息や車中泊をしながら道路啓開の作業を行っていた[15]。平時の段階から人員が潤沢でしっかりとした体制づくりがなされていれば、もっと余裕のある対応ができ、迅速な道路復旧によって救えた命もあったかもしれない。しかし、それを許さないのが今の建設労働者を取り巻く環境なのである。

 さらにいえば、このような状況は建設労働者に限った話ではない。震災発生からの約1か月間の災害対応現場に密着したNHKスペシャル[16]では、自身も被災者でありながら通常業務に加え膨大な量の災害対応に追われ、家にも帰らず睡眠時間を削り、涙を流しながらインタビューに応じる自治体職員が登場する。自治体職員の努力や頑張りで何とかなるような状況でないことは明らかだった。その過酷さの背後には何があるのだろうか。

 それでは次に、災害対応において建設労働者以上に多様な役割を担っている地方自治体職員を取り巻く状況についてみていきたい。

4、「過労死ライン」を超えて働く自治体職員たち

 第2節で触れた道路啓開は通常、建設労働者と自治体職員が連携をとりながら進められる。しかし今回の震災では、その連携がうまく取れていないケースがみられた。

「七尾市内の建設会社は発災後いつでも出動できる状態だったが、いつまで経っても県から発注がこず、勝手に道路を直すわけにもいかないと困惑していた」[17]り、これまで東日本大震災や熊本地震発生直後の出動要請に応じてきた東海地方の建設会社では、「1月2日から出動できる態勢を整えていたが、今日に至るまで要請がないという」[18]のだ。このような状況になった要因はさまざまに考えられるものの、主要な要因の一つに、非常に限られた自治体職員数で災害対応にあたらなければならないという労働環境があるだろう。

 この30年間、日本各地の地方自治体の職員数は削減されつづけてきた。今回の震災で被災した石川県の職員数の増減率をみてみると、中には減少率が30%を超える自治体もあるほどだ。

出典:(岡田 2024)

 その結果、今回の震災対応において、約8割もの職員がいわゆる「過労死ライン」を超えて働かざるを得ない自治体もあり、いつ倒れる者が出てもおかしくない状況となっている[19]。このような状況下では、当然のことながら十分な災害対応を行うことは困難である。被災直後の道路状況の確認や、被災を免れた他の自治体との連絡・調整、外部支援の受け入れに関する連絡・調整など、自治体職員の役割は多岐にわたっている。前述した県からの出動要請がなく待機せざるを得なかった建設会社の事例は、能登地方の各地方自治体の職員による被害状況の把握や確認、県との連絡・調整が遅れた結果として生じたものであると考えられる。

 また今回の震災では、東日本大震災や阪神淡路大震災と比べ、外部からの支援やボランティアの受け入れが進んでいないことが報道されているが、その背景には、支援の受け入れの調整を行う自治体職員の減少があると考えられる。東日本大震災の際にも、被災地域・住民にどのようなニーズがあり、どのような支援が不足しており、外部の支援者やボランティアをどこへ配置するかという調整役である自治体職員の不足が、災害対応の障害となっていたことが指摘されている(仁平 2011)。

 そして、今後も災害に見舞われるであろう日本社会にとって重要なのは、このような状況の変化が能登半島に限ったことではないという点だ。地方自治体の職員数の削減は全国規模で行われてきた。なぜ、この30年で自治体職員の大幅減少という、災害対応力を奪うような政策が国家によって進められてきたのだろうか。

5、切り捨てられていく地方自治体―グローバル企業による財政削減圧力―

 地方自治体を統合・縮小させる地方分権論は、1980年代後半から国家主導で登場したものである。1970年代に先進諸国の経済成長が行き詰りグローバル化競争が激化する中で、日本の財界は、多国籍企業の競争力を削ぐような規制や税負担など、コスト高の日本の社会構造を打開するさまざまな要求を政府へ突きつけた。そして1990年代、構造改革の一環として地方分権論が本格化し、国による地方財政支出を大幅に削減することを目的に進められたのが「三位一体の改革」や「平成の大合併」と呼ばれた市町村合併であった。

 このような改革は、当然のことながら地方を基盤としてきた政治勢力からの反発にあい、賛否両論を巻き起こした。こうした状況下で「自民党をぶっ壊す」のキャッチフレーズを掲げ発足した小泉政権に対して、経済界は徹底して地方への分配の削減を要求した。たとえば日本アイ・ビー・エム株式会社会長であり、経済同友会の代表幹事を務めた北城氏(2004年当時)は、「補助率を引き下げて補助額を調整するだけでは、地方の創意工夫がなされないから、補助金そのものの削減を目指すべきだと思う」[20]と発言した。またトヨタ自動車株式会社会長および日本経済団体連合会会長であった奥田氏(2004年当時)は、「(補助金の削減総額を)2年間で3兆円程度としたのだから、その枠は外さないでもらいたい」[21]と政府に対して釘を刺した。そして、2000年代中頃から地方改革の動きがいっそう進んでいくことになった。

 このように、グローバル企業の利益に沿うように地方が編成されることは、企業側にとっては好都合であったが、この文脈で地方自治体職員の削減が行われることとなった。すなわち、社会のリソースをグローバル企業のために活用する一方で、地方を切り捨てる政策が推進されたのである。

 石川県内でも2000年代中頃に次々と市町村合併が実施され、それまで地域の住民を支えてきた町役場や出張所、保健所などが廃止されてきた。

出典:石川県ホームページ[22]

 一例として石川県白山市の山ろく地域(河内村、吉野谷村、鳥越村、尾口村、白峰村)では、「2004年4月時点で258人いた職員が2014年4月にはわずか42人に大幅減少」(岡田2020 p.346)している。また、同地域の区長に対して2015年に行ったアンケート調査によれば、行政サービスの利用が不便になったり、防災対応が遅くなったりしたという意見が多くを占めている(岡田2020 p.347)。

 以前よりも広域化した地域に対し、より少ない人数で運営せねばならなくなった地方においては、既に平時の段階で住民の生活を支える地方自治体職員を取り巻く環境は悪化している。また、住民サービスの低下は人口流出へと繋がるため、地域社会の脆弱性がよりいっそう加速している。このような状況の中で、被災した地方自治体の職員たちが、災害対応時において被害状況や避難所の様子などを迅速かつ適切に確認することは困難であり、また、被災を免れた周辺自治体職員にも応援に駆けつける余裕がないことは容易に理解できるであろう。そして実際にこうした困難な状況にもかかわらず、心身共に疲弊しながら必死に対応していたのが第4節で触れたNHKスペシャルに登場する自治体職員たちだったのだ。

6、おわりに―エッセンシャルワーカーによる労働・社会運動の必要性― 

 以上論じてきたように、日本の災害対応力の脆弱性は、大企業の利益にかなうように現場の労働を編成したことの矛盾が災害時に顕在化したものである。建設分野ではゼネコンをトップとする重層下請け支配を前提とした「中間搾取」が拡大し、地方自治体においてはグローバル企業による財政削減圧力によって人員が削減されたことにより、本来の機能が弱体化しているのだ。

 このような事情をふまえれば、根本的な原因が単なる「被害想定の甘さ」や「防災意識の低さ」、災害対応時における「法制度」や「ガバナンス」などではないことが明らかであろう。私たちは平常時の段階から、既に災害対応に関わる財やサービスを生み出す「力」を奪われているという点にこそ向き合う必要がある。実際に、能登半島で仮設住宅の建設が進まず、被災者が「ホームレス状態」に置かれていることの背景には、仮設住宅を建てる建設労働者の慢性的な不足がある。また、「公費解体」が進まず、震災直後のような風景が未だに能登半島に広がっている原因として、実際に輪島市の担当者が解体業者の不足を挙げている[23]。

 社会を支える財やサービスを生み出す「力」を鍛え、災害対応力を強化していくためには、エッセンシャルワーカーの労働条件・労働環境の改善が必要不可欠であり、そのためにはエッセンシャルワーカーたちによる労働・社会運動が重要である。大企業が現場を顧みず、社会を支える労働を「弱体化」させることで利益を追求している現状を変えない限り、災害に強い社会というものは実現し得ないだろう。

建設産業に関していえば、戦後挫折した企業横断的労働市場規制を実現するような労働運動の再建が求められるが、それはフリーランス化が広がっている現在の文脈で再検討する必要がある[24]。企業横断的な労働市場規制の実現は、重層下請け支配に組み込まれた建設労働を解放し、労働条件と労働の質を改善させることで、建設労働を量的にも質的にも余裕のあるものへと発展させるための前提となるだろう。

 また、地方自治体職員に関しては、地方自治体職員の待遇改善を国家に求めるのは当然のことながら、自治体同様に、医療や介護、保育、教育現場など人々の生活を支える領域が国家財政の削減対象となっていることに対して声をあげる必要がある。というのも、災害対応に関わるのは自治体職員のみではないからだ。災害発生時に、避難誘導や備蓄食料の配布、自治体や外部支援団体との連絡・調整などの初動対応を行うのは、介護施設であれば介護労働者であり、保育所であれば保育士であり、学校であれば教員である。さらに介護に関していえば、数日間ケアが不十分になるだけで利用者の体調が悪化するおそれもあるため、被災後どれだけ迅速に、そしてどのように介護を再開するのかという点が災害関連死を防ぐために重要となってくる。

 また、このような取り組みは、決して「当事者」である労働者だけが担うべきものではない。私が関わっている労働・社会運動の現場では、社会を支える労働を改善・改革していくために、労働者だけでなく学生や社会人のボランティアも加わり、一緒に議論し、団体交渉や争議行動、社会的なキャンペーンなどに取り組んでいる。こうした運動を通じて声をあげることが、大企業の利益のために編成された労働の在り方の変革に踏み出すことを可能にし、社会を支える財やサービスを生み出すエッセンシャルワーカーの「力」が量・質ともに潤沢な社会、すなわち災害に強い社会の実現に向けた第一歩となるだろう。

■参考文献(五十音順) 

岡田知弘(2020)『地域づくりの経済学入門―地域内再投資力論 (増補改訂版)』自治体研究社

岡田知弘(2024)「『地方分権改革』30年の歩みを振り返る―中央集権化と地方自治との対抗―」自治体問題研究所,2024年3月24日https://www.jichiken.jp/article/0359/(最終閲覧日:2024年7月3日)

木下武男(1998)「労働協約をめざす建設労働組合の課題」『建設現場に労働協約を—建設労働運動の到達点と新しい課題』建設労働協約研究会 編,大月書店

今野晴貴(2014)『断絶の都市センダイ—ブラック国家・日本の縮図』 朝日新聞出版

椎名恒(1998)「なぜ建設産業における労働協約をめざすのか―建設労使関係史の概括を踏まえて―」『建設現場に労働協約を—建設労働運動の到達点と新しい課題』建設労働協約研究会 編,大月書店

柴田徹平(2023)「建設業従事者」『エッセンシャルワーカー—社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』田中洋子 編著,旬報社

菅野拓(2021)『災害対応ガバナンス―被災者支援の混乱を止める』ナカニシヤ出版

辻村定次(1998)「日本の建設産業の構造と最近の変化」『建設現場に労働協約を—建設労働運動の到達点と新しい課題』建設労働協約研究会 編,大月書店

夏山英樹・神田佑亮・藤井 聡(2013)「東日本大震災『くしの歯作戦』についての物語描写研究〜啓開・復興における地元建設業者の役割〜」『土木学会論文集F5(土木技術者実践)』69 巻 1 号 p. 14-26[あ原3] 

仁平典宏(2011)「被災者支援から問い直す『新しい公共』」『雑誌POSSE11号』p.88-96


[1] 「【能登地震半年】避難生活2200人以上 被災建物の解体進まず」テレ朝news,2024年7月1日https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000357411.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[2] 「公費解体完了は4% 申請2万棟超、着手に時間―業者宿泊施設も不足・能登地震」時事ドットコム,2024年7月2日https://www.jiji.com/jc/article?k=2024070100638&g=soc(最終閲覧日:2024年7月3日)

[3] 「能登半島地震 災害関連死18人認定答申 死者300人になる見通し」NHK,2024年6月25日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240625/k10014491901000.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[4] 「能登半島地震の災害関連死18人認定 死者は299人に」NHK,2024年7月3日https://www3.nhk.or.jp/lnews/kanazawa/20240703/3020020814.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[5]  たとえば、復興庁のワーキンググループに参加している大阪公立大学の菅野拓准教授は、脆弱性の原因が災害対応に不慣れ・不得意な行政の役割が大きすぎる点にあると指摘する。そして、菅野氏は、平時においては多様な領域で官民連携が進んでおり機能しているのであるから、災害時においても民間企業やサードセクターなど専門性を持ったさまざまなアクターが災害対応においてこれまで以上の役割を担うべきだと主張し、官民連携の重要性を訴えている。詳しくは、菅野拓(2021)およびNHK『視点・論点』(2024年3月11日放送)を参照のこと。

[6] 「死者14%が低体温症・凍死 道路寸断による救助遅れ影響か 能登地震」毎日新聞,2024年1月31日https://mainichi.jp/articles/20240131/k00/00m/040/352000c(最終閲覧日:2024年7月3日)

[7] 「道路啓開計画」,国土交通省https://www.mlit.go.jp/road/bosai/measures/index4.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[8] 「”命の道をつなぐ” 災害時の『道路啓開』求められることは」NHK,2024年3月13日https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-nddc57bb4fcd6/(最終閲覧日:2024年7月3日)

[9] 詳しくは、夏山英樹・神田佑亮・藤井 聡(2013)を参照のこと。

[10] 同上

[11] 石川県(2006)「石川県労働力調査年報 平成17年」https://toukei.pref.ishikawa.lg.jp/dl/1105/roudou_17_annual_k.pdf(最終閲覧日:2024年7月3日)

[12] 石川県(2024)「石川県労働力調査(速報)」
https://toukei.pref.ishikawa.lg.jp/dl/4838/roudou_2023Q4_zenbun.pdf(最終閲覧日:2024年7月3日)

[13]建設産業における労使関係の歴史については、主に椎名恒(1998)を参考にした。

[14] 「『申し訳ない、やるせない』、被災直後に復旧に関われなかった輪島市建設会社の思い」日経クロステック,2024年2月7日https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/02706/020500065/(最終閲覧日:2024年7月3日)

[15] 「住民や仲間のために会員一丸/石川建協3昼夜態勢で道路啓開」建設通信新聞,2024年2月21日https://www.kensetsunews.com/web-kan/928193(最終閲覧日:2024年7月3日)

[16] NHKスペシャル「能登半島地震1か月 限界の被災地 浮かぶ日本の“脆弱性”」(2024年2月4日放送)

[17] 鹿取茂雄(2024)「〈現地写真〉『半島という立地』『険しい地形』だけが原因じゃない…能登半島地震で“道路復旧”が遅れる“意外な要因”」文春オンライン,2024年1月23日https://bunshun.jp/articles/-/68503(最終閲覧日:2024年7月3日)

[18] 同上

[19] 「輪島市で職員の約8割『過労死ライン』超え 被災自治体の過酷な実態」朝日新聞,2024年3月3日https://www.asahi.com/articles/ASS3266BTS32OIPE006.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[20] 経済同友会(2004)「代表幹事の発言記者会見発言要旨(未定稿)」
https://www.doyukai.or.jp/chairmansmsg/pressconf/2004/041109a.html(最終閲覧日:2024年7月23日)

[21] 日本経済団体連合会(2004)「記者会見における奥田会長発言要旨」https://www.keidanren.or.jp/japanese/speech/kaiken/2004/1122.html(最終閲覧日:2024年7月23日)

[22] 「石川県内の市町村合併」,石川県https://www.pref.ishikawa.lg.jp/sichousien/koiki/index.html(最終閲覧日:2024年7月3日)

[23] 「『公費解体』6000件の申請で完了は2.6パーセント 『地元に業者が少ない』能登半島地震から半年」関西テレビ放送,2024年7月1日https://www.ktv.jp/news/feature/240701-notojishin-kaitai/(最終閲覧日:2024年8月8日)

[24] 建設産業の労働市場規制における労働協約の位置づけおよび運動論については木下武男(1998)を参照のこと。


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