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年間5000人以上が貧困によって死ぬ社会(後編)−今こそ日本でも「餓死」に正面から向き合うべきだ(鴫原宏一朗)
前編はこちら
4.基準なき社会に、生活の基準を可視化する生計費調査 ―中澤秀一の調査を参考に―
ここからは貧困の可視化を具体的に進めていく。そこで問題になるのは、生存のために必要な所得の基準が日本にないことである。生活保護基準や最低賃金は生存の基準としてはなんら意味を持たない。そのため既存の制度の水準とは別に生存の基準を概算し、その水準からみてどの程度の人が生存ギリギリの状態になっているかを検証し、より社会の実態に迫る必要がある。
その際に参考になるのは、静岡県立大学社会福祉学科准教授の中澤秀一の生計費調査だ。中澤はマーケットバスケット方式という、生活に必要な生活用品やサービスの量をひとつずつ加算していく方法(例:穀類◯kg+シャツ◯枚+理容◯回+電気代+……)によって、最低生計費を計算している。生活実態を詳しくききとり、家電、家事用品、被服費などは数量まで調査している。1000人以上に調査を行い、保有率が7割を超えるものを保有品目とし、消費数量は下から3割の人が保有する数としている。生活に必要な品目、種類が具体的で非常にわかりやすく、説得的である。
中澤の調査は「最低生活費」の捉え方に特徴がある。中澤は最低生活費を、ただ単に家があり食事とライフラインが使える水準には設定していない。旅行などの余暇活動に関わること、結婚式への参加や親しい人へ送るプレゼント費用など人付き合いに関わることまで加算している。また、予備費として想定される消費支出の1割を計上し、個々人の多様性を考慮している。食事やライフラインの使用料は年齢層や体格によって幅があり、また心身の健康状態や障害の有無によっても医療費や介護費なども異なるためだ。そのうえ、調査する側からの一方的な調査・計算だけでなく、調査の協力者たちに「合意形成会議」を実施してもらい、単に食べられる費用だけでなく、「ふつうの生活」が送れる費用を検討し、修正を行っている。中澤は生活に関する基準が存在しない日本において、「人間としての「ふつうの生活」の基準(=西欧の意味での「相対的貧困」)を日本で可視化しようとしているとも言えるだろう。
ちなみに、中澤が行う生計費調査の手法は、イギリスの生計費調査の方法である「ミニマム・インカム・スタンダード(以下MIS法)」にかなり近い手法である。MIS法はマーケット・バスケット方式によって生計費を組み立て、かつその基準の策定過程で市民が参加し、その生計費の妥当性について検討を行い、必要に応じて修正する。調査を担うチームは、MIS法によって作られた最低生活費がかならずしも「貧困線」ではないという立場を取っている。イギリスは相対的貧困の測定のあたり所得中央値の60%を基準にしているが、MIS法で作り出した基準は所得中央値の60%を超えるものと想定されているのだ。つまり、生存ギリギリのラインとしては想定されていない。中澤の調査によって推計される最低生活費に対しても同様の評価を下すことができるだろう。
2016年、宮城県仙台市で中澤らによって行われた調査の結果は衝撃的であった。「ふつうの生活」をするためには一ヶ月で221,091円が必要であることが示されたのだ(表3)。この水準を得るためには、一ヶ月の所定労働時間を150時間とすると時給1474円が必要であり、最大限一ヶ月の所定労働時間を長く見積もり173.8時間としても、時給1272円が必要である。当時の宮城県の最低賃金が772円だったことを考えると、最低賃金でフルタイム働けたとしても「ふつうの生活」は困難であったことが分かる。このように、中澤は「人間としてのふつうの生活」(=相対的貧困)の基準を生計費調査によって明らかにし、その基準と「最低賃金×所定労働時間」の金額の差を問題にし、最低賃金引き上げの要求に力強い根拠を与えているのだ。
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近年、状況はより深刻になっている。物価高騰に賃金の上がり幅が追いついていないためだ。2022年4月から日本で消費者物価の上昇が始まっており、2023年度の2020年度からの上がり幅は3.1%を記録し、1982年以来41年ぶりの水準となった[3]。一方で賃金は微増したものの物価の上がり幅には及ばず、実質賃金は2.9%減と大きく低下した。こうした状況で「ふつうの生活」を送るにはどれだけの費用が必要になっているか。
中澤は2016年度の調査を基礎に、物価変動を加味して2022年版を作成している。表4を見てほしい。
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2022年度は「ふつうの生活」をするためには一ヶ月で260,006円が必要であり、2016年度と比べ、1ヶ月あたり38915円、1年あたり466980円ほど余分に費用がかかることが分かった。いかに物価の高騰が生活に影響を与えているかが分かるだろう。
5.なぜ生存ギリギリの貧困(絶対的貧困)の可視化を試みるのか
中澤の調査・推計は「人間としてのふつうの生活」として「あるべき」必要な費用を算出する目的で行われているため、フードバンク仙台の食料支援に依頼する世帯の生活水準よりも高い生活費が算出される。そのため、中澤の推計値を修正し、生存ギリギリの収入の目安、これ以上を割ったら生存が難しくなる水準、絶対的貧困の水準を推計し、どれだけの人が絶対的貧困の状態にあるのか可視化したい。
なぜ、絶対的貧困の可視化を試みるのか。多くの人が生きていけない状況を可視化することは、日本社会に広がる労働者と生活保護受給者の分断を乗り越えることにつながる可能性があるからだ。
日本社会はありとあらゆる属性の人が分断されている。過酷な労働者間競争にさらされる正社員にとって、生活保護受給者は働かずに生活をする「ずるい」存在と映り、分断が生じる。非正規労働者と生活保護受給者の収入を比較すると、実際に生活保護受給者の収入が多いケースも多いに存在しており、ここにも分断が生じる。新卒正社員が急減するなか、高齢者へのバッシングや世代間の分断が煽られた。正社員、非正規労働者、生活保護受給者、さらには年金受給者が分断され、お互いにいがみ合う状態になっているのだ。
しかし、状況は変わりつつある。たとえフルタイムで働いていても、生活保護を受けていても、年金をもらっていても、見切り品しか買えない、ライフライン料金すら払えないといった、生活していけない「どうしようもなさ」が共通の体験として広がっているように支援現場で感じられるのだ。この「どうしようもなさ」の広がりが日本に広がる労働者と生活保護受給者の間の分断を乗り越える可能性が広がっている状況と捉えることができるのではないか。生きていけない実体験をもとに、労働者と生活保護受給者は対立するのではなく、ともに「生きさせろ」と声をあげられる可能性が潜在的に存在しているのではないか。以上のような可能性を検討するために、中澤の推計を元に生存ギリギリの貧困がどのくらい広まっているかを可視化する。
6.どれだけの人が生きていけない状態にあるか
中澤の推計の修正を進めていこう。変更点は三点だ。
一点目は住居費だ。しかし、これは中澤の推計から水準を下げるのではなく、水準を上げたい。中澤の推計では住居費は30750円だが、宮城県仙台市の一人世帯の住居扶助は37000円、二人世帯だと44000円であるため、今回は最低限の住居費として宮城県の一人世帯の住居扶助37000円を設定したい。宮城県で37000円の住居は劣悪なものが多いことを付記しておく。
二点目は「文化的な生活」の費用についてだ。支援現場での経験から考えると「教養・娯楽費」や「その他」に含まれる「文化的な生活」に関して、ほとんどの人が収入をそういった支出に充てられていない。そのため、中澤が加算しているこれらの費用も削ることとする。
三点目は「予備費」についてだ。予備費は、生計費調査の結果算定された全消費支出の1割分として、生活費に計上されている費用である。この予備費は、個々人の生活の多様性を考慮した部分である。食費、医療費、介護費、電気代などが個々人の属性や特徴によって変動するのは言うまでもない。そういった多様性を考慮した費用だ。今回、生存ができるかどうかギリギリの生活状況の人を想定しているため、「予備費」は0円とする。
以上の修正を行うと、宮城県仙台市において男性単身世帯が社会的・文化的な活動はほぼ不可能であるが、必要なだけ食事をし、屋内に居住できる水準になる。市街地から離れた地域のワンルームで、移動に必要な車こそ保有しているが、映画を見たり、旅行に行ったりすることはできない。病院にも十分に通うことができない。すこしでも収入が途切れることがあれば、ライフライン料金や食費を捻出できなくなってしまう。そのような水準だ。
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推計によると宮城県仙台市で生存ギリギリの生活費は、月収20万3936円、年収244万7232円となる。この値と生活保護の最低生活費、最低賃金でフルタイム働く労働者の収入、非正規雇用労働者の平均賃金を比較してみよう。
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表6を見てほしい。生活保護世帯(2022年度:204万人、164万世帯)、非正規雇用労働者(2022年度:全体の2101万人、全体の36.9%)、最低賃金でフルタイム働く労働者それぞれの収入は、生存ギリギリの目安よりも大幅に低いことがわかる。さらに留意が必要なのは、様々な理由で就労が不可になる世帯、または派遣などで就労が安定しない世帯など、フルタイムで就労できない世帯は数多く存在することだ。そういった世帯はさらに困窮をきわめている。政府が10万円以下の給付金をばらまいたところで、すぐに生活費に消えてしまうことが容易に想像できる。
図3を見てほしい。これは2022年度の所得金額階級別世帯数の分布のグラフである。100万円未満が全体の6.7%、100〜200万円が全体の13.0%、200〜300万円が全体の14.6%であるため、どれだけ少なく見積もっても、全体の25%、全世帯の4分の1は生存ギリギリの目安以下の収入で生活しているのだ。
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多くの世帯は生存するにはこれ以上の節約が難しい状況で、それでも一ヶ月約3〜9万円あまりを節約しなければならない状況に置かれている。
収入の不足は、ここまで見てきた食費の過度な節約や電気代・ガス代・水道代の滞納として現れている。また、借金によって不足分を補っている人もかなり存在する。フードバンク仙台の利用者のうち、学生以外の世帯の11.8%の世帯は生活費を借金でまかなっていると回答している。
そして見逃せないのは、生活がどうにもならなくなった先には死があるということだ。2023年度、年間5181人が「生活・経済問題」で自殺をしたことは冒頭で触れた。2023年度には2300人(厚生労働省人口動態調査)の人が栄養失調で命を落としていることが分かっている[4]。近年問題になっている孤独死の増加の背景にも貧困があるだろう。「孤独死」に関する法律上の定義はないが、監察医務院は「自殺や死因不詳などの異状死のうち自宅で死亡した1人暮らしの人」としている。2024年5月、警察庁が初めて一年を通じての高齢者「孤独死」を6.8万人に上ると推計した[1]。さらには2018年〜2020年の3年間で東京23区で計742人確認され、うち約4割が死亡から発見までに4日以上を要していたことも分かっている[2]。貧困は人の命を奪っているのだ。
7. 今こそ、分断を乗り越える反貧困運動を
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労働者も生活保護受給者も年金受給者も、節約をしても生きていけないという共通の体験が広がっていることを見てきた。生活保護費引き下げを問う「いのちのとりで裁判」、生活保護課の窓口で追い返された人との申請同行、時給1500円を求めるアピール活動や「非正規春闘」など、日本各地で人間の命を守るための取り組みが点在する。これらの取り組みは個々バラバラに見えるが、闘っている人たちは実はかなり近い境遇で生活し、共通の体験をしている。この共通の体験を、反貧困運動は社会問題に押し上げることが必要ではないだろうか。
支援の現場に立っている人間は、様々な制度的な矛盾に直面し、苦しみながら対応をしているだろう。生活保護を受けなければ生きていけないが、生活保護は車の使用を厳しく管理しており、人によっては就労指導もされてしまう。生活保護を受けたとて、生活が苦しいことは変わらない。わたしたちになにができるだろうかと自問する支援者がたくさんいることは想像に難くない、わたしもその一人だ。だからこそ、今わたしたちが支援の現場で直面している困難を「絶対的貧困」をいかになくすかという大きなストーリーのなかに位置づけ、闘うことを試みるのはどうだろうか。被支援者たちの経験が特殊な経験ではないことが可視化され、心からの共感を得る運動が作れるのではないか。そこから、社会を動かす大きなうねりを作ることができるのではないか。
反貧困運動は、生きていけない人の増加する現在の局面を労働者と生活保護受給者の分断を乗り越える契機とできるか。ともに人間の生存をかけた闘いを進めよう。
【参考文献】
阿部彩(2011)『弱者に居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂』講談社現代新書
岩田正美、岩永理恵(2012)「ミニマム・インカム・スタンダード(MIS法)を用いた日本の最低生活費試算 : 他の手法による試算および生活保護基準との比較」
金澤誠一(2009)「東北で働く単身者に保障されるべき最低生計費はいくらか生活実態調査、持ち物財調査、物価調査に基づく、最低生計費試算」
金澤誠一(2017)「現代の貧困の特徴とナショナルミニマム」
木下武男(2018)「最低賃金制とナショナル・ミニマム論」後藤道夫など編『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし』大月書店
志賀信夫(2022)『貧困理論入門』堀之内出版
都留民子「フランスにおける社会的排除論」『POSSEvol21』
中澤秀一(2017)「2015年度静岡県最低生計費試算調査結果報告書−30代・40代・50代世帯類型別の結果−」
中澤秀一(2018)「「ふつうの暮らし」がわかる――生計費調査と最低賃金」、後藤道夫など編『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし』大月書店
中澤秀一(2023)「2016年版宮城県仙台市最低生計費試算調査結果―2022年版改正点と総括」
藤田孝典(2017)『下流老人』朝日新聞出版
[3]「去年の消費者物価指数 前年比で3.1%上昇 41年ぶりの水準」NHK、2024年1月19日(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240119/k10014326661000.html#:~:text=総務省によりますと、去年,年ぶりの水準です。)
[4] 2024年5月14日、日本経済新聞「高齢者「孤独死」年6.8万人 警察庁データで初めて推計」https://www.sankei.com/article/20240721-MZBGQN5G3JMTDJ3BVTQCZ5NHAY/
[5] 2024年7月21日 産経新聞「広がる若者の孤独死 3年間に東京23区で742人確認、発見に死後4日以上が4割超」https://www.sankei.com/article/20240721-MZBGQN5G3JMTDJ3BVTQCZ5NHAY/