人は選択したからこそ取らなかった選択に憧れる話(日記 9/1)

 最近は久しぶりに配信というものをやっている。基本的にtwitchでやっているのだが、これはわたしがゲーム主体だからということで特にプラットフォームのこだわりはない。気になる人は自分のTwitterから飛んでみて欲しい。
 さて、主題に戻るが自分の人生はこれまで多数の選択をしてその選択の結果として今ここにいる。その選択の中には配信を始めなかったり、あるゲームを続けなかったり、小説を書かなかったり、就職したり、退職したり、様々な選択と共にある。故にあの時こうしていたら、あの時から始めていたらということは多数ある。だが、これは様々な人が同じように感じるものなのだろう。なぜならば配信を行った場合でも同様に配信をしなかった人生を想像し、それに対して夢想するだろうからだ。私の経験則として夢想は限定情報、特に良い情報しか得てないことが多いために過大評価しすぎになる。対称に、自分の送った人生は情報を十分に得ている。良いところも悪いところも見ている。故に良い情報しか送っていなかった人生を夢想するのだ。

 しかし、それでも私は夢想したほうがいいと思う。なぜならば、夢想は様々な行動の原動力となるからだ。他の何にも羨まない人生というものは、何物にも好奇心を示さないということ。つまり、何も新しいことをせず、また想像も行わないかもしれない。故に、私は夢想をすべきだとここに書く。もしかしたら、その夢想が良いことにつながるのかもしれない。だからこれを読むフォロワーの人たちも夢想してほしいと願う。それはあったかもしれない世界の想像で、それを繋げていけば色々な世界を想像できるから。

 また、その夢想を現実化することもできるかもしれない。私は小説も書くし、配信もするし、こうやってnoteも書く。それは夢想したことがきっかけで楽しそうと決断したからだ。

だから、私は様々なことに悩みながらも、選ばなかった過去に後悔しながらも夢想し続けるのだろう。



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