小説『安楽死・自己決定・T4』
安楽死とは何か。人や動物(私はここに植物もいれてもいいと思っている)に対して苦痛を与えずに死を与えること。本来は終末期医療にて治療資源を投入しても苦痛が利益を超える場合にのみ選択される選択肢。
しかし、この時代は、この世界は様々な物事に対して安楽死を認めることになった。理由はたくさんある。精神病も治る見込みがないのだから、PTSDは治る見込みはないのだから、貧困は直ることがないのだから、ストレスからは逃れることができないのだから、と。確かに自分の命をどう扱おうとそれは自己決定権の一部である。私はそれに同意する。しかし、自己決定権は本当に自己によって決定されているのだろうか。読んでいた本をばたりと閉じ、深呼吸する。部屋の中の空気は、私と同じようにひどく淀んでいる。本をベッドに放り投げる。ポンと音を立てて重い本がベッドで跳ねる。私の足も跳ねる。
私は、ぼーっとベランダに椅子を置いて座りながら青い空と、緑の陸地を眺める。訂正。緑の陸地の上にある灰色の城を眺める。十数年前、やっとこの国でも安楽死が認められた。そして、今まで、電車に飛び込むしか、ビルから落ちるしか、ロープで吊るしかなかった自殺は大きく減り、代わりに安楽死の件数が大きく増えた。安楽死を推進していた人々も何人かはそれを行った。毒薬の入った点滴がクリップで止められ、あとは自分でクリップを外すだけ、寝るように死ねるということは今まで自殺の苦しみを知っていた人たちからすると夢のような尊厳死であった。遺体もぶくぶくに腐敗することなく、ばらばらに飛び散ることなく、まして液体になることもなかった。深呼吸する。皆穏やかに過ごしているのを、階下の道路を眺めて知る。
この世界では誰も死にゆく人が自分の選択で逝っているという幻想を抱いて、いやもしくは誰かは気づいているのかもしれないがそれを口に出さずに、過ごしている。実際、自殺に伴って電車が止まったり、落下する人に巻き込まれたり、死刑目的で凶悪犯罪を起こしたり、は消滅した。また、ストレスを極度に抱えて他人にそれを暴発させて集団的ストレスを上昇させるような人も、生まれた時からの障害によって他人にストレスを貯めさせる人もいなくなった。階下の道路先での公園では皆楽しそうに遊んでいる。誰も人の輪に入ろうとしない子供はいない。
公園を眺める。ホームレス除けの凸凹したベンチは無い。市役所の光景を思い出す。安楽死には一枚の用紙を提出し、ハンコをもらえばよい。対照的に生活保護を受けるためには市役所で申請を出し、様々な調査を受け、そして住める場所を探し……と、する必要がある。様々な書類を行ったり来たり、理由を書いたりハンコを押したりしながら、確定しないものにたくさんの労力を費やすことになる。安楽死は?一枚出してそれにハンコをもらい、病院に持っていけばよい。市役所を眺める。市役所から出てくる人は皆嬉しそうに一枚の紙を持って、病院がある方向へと歩き出し、駆け出していく。
病院を眺める。そこは本来の用途とはまた別の入口を用意している。律儀なものだ。死と生を混ぜないようにしている。ケガレの文化の残りだろうか。しかし、死体になろうとする人々は列に並ぶ。ガラガラの生きるための入口とは対照的だ。眺めているとふと顔が目に入る。おっと、と目線を外し、外の空気を肺に取り込み再び室内に入る。
ふとニュースを見る。人口の3%が安楽死しているものの、出生率は上がり、幸福度も上がっているようだ。果たしてこれは良いのかという疑問が話し合われている。
『今の社会は包括とは真逆に、排除に進んでいるではないですか』
『しかし、社会保障に使われる税金が減ったことや公衆での自殺が減ったことによる幸福度の増加は数値として出ていることです。その上、彼らは"自らの選択"で選んでいるのですよ。』
『本当に彼らが自らで選択していると思うのですか!?』
『では、誰が毒を体内に運ぶクリップを外すと?』
激論が繰り広げられているが、結局のところ自己決定権は現在の医療倫理において最重要なところに位置付けられており、それが死を望むなら止められず、ならば自殺より尊厳のある安楽死のほうがよいではないか。また、安楽死があることによって社会がより幸福になっているのは数値的に確かだ。限られた不幸な人間を排除することで、集団として幸福になる。確かに生物の生存戦略の1つとして存在する。例としてハチを挙げよう。彼らは自らが死ぬとわかっていながら天敵に毒針を刺し、集団を生かす。象も老いた象は群れから離れて1人死ぬ。ならば人間がそうしない理由があるのだろうか。社会は、そして集合は、そう私たちに告げる。死を告げる集合は人によって違う。社会だったり、会社だったり、家族だったり、もしかするとクラスメイトだったり。もちろん、直接に伝えるとそれは殺人であるし、最後にカウンセラーとのカウンセリングが存在するため、強制安楽死は名目上無いことになっている。
ぐぅーとお腹が鳴る。ゼリーの食材を喉に流し込み、錠剤を手に取る。これは死ぬためではなく生きるための錠剤。今の時代ではほとんど使う人が少なくなってしまったが、抗うつ薬と呼ばれるこれを胃に入れる。鬱になってしまった人々はみな市役所に並び、病院に並ぶ。私はレアケースだ。その道を選ばずに病院に行き、生きようとする人間を診れてうれしいよという医者と話し、薬をもらって帰る。かつて普通だった行為がレアケースになってしまうことは珍しくない。例えば読書。今では皆スマートフォンで本を読むが、紙の本を昔は読んでいた。例えば電話。今では皆メッセージや通話アプリで済ませるが、昔は電話しかなかった。時代によって主流が移り変わるのは何らおかしいことではない。死への価値観も。
タブレットで家計簿アプリを見る。今日は家の外に出てなく、何も買っていないから0円を書く。今年の医療費の合計はどうやら2万円だそうだ。1割負担でもここまでいくのだなとふふと思いつつ、安楽死に使われる薬剤の値段は1回5000円らしい。さっきニュースでやっていた。自分の医療費は負担されてる9割だと18万円で、安楽死は0.5万円。36倍も違う。これだけで安楽死の賛否を決めている人はいないだろうが、とは思いたい。
ベッドに寝転がろうとして、ガツンと背中をぶつける。さっきベッドに本を投げたんだった。 息を吐きながら机の上に本を放り投げ、スマートフォンをポケットから取り出す。インターネットを見ると過激思想が(私から見た視点ではあるが)跋扈している。
『ニーチェは「病人は社会の寄生虫です。ある状態に置かれた場合には、生き永らえることが無作法です。」と書いていた。俺もそう思う。だから安楽死という選択があることをすべての精神病患者やがん患者、障害者に伝えるべきだ。』
『伝えるだけで死ぬべきだと言っているようなものだ。それは強制と何が違う? T4作戦を繰り返したいのか?』
『伝えるだけで自己判断するのは本人だ。 T4とこちらをナチス呼ばわりはやめてくれ』
どうやら、自己判断をお題目にする過激派の方が優勢なのは安楽死タグで言い争っている人ららしい。彼らは自己判断が本当に自己だけで完結していると思っている。
スマートフォンを持ってウォーキングマシンの上に乗る。これが日課だ。しかし、やる気は出ずにまだyoutubeで適当に動画を漁っている。これは今日の運動に流すBGMを探しているだけだと自己判断しながら。ズンズン。よし、これにしよう。最初は楽しいBGMで歩くテンポが良い感じだったものの、自動再生で気に入らないものが流れるとやはりテンポが落ちてしまう。プレイリストを作るべきだと考えつつ、なかなかやる気は出てこない。そもそも、日によって気に入るBGMは違う。……気に入らないBGMばかりだ、今日は。
疲れた。もうやめよう。1000歩くらい歩いたところでシャワーを浴びに行こうとするが、面倒すぎる。アルコールシートで身体を拭うだけにして、明日入ろう。と思ってアルコールシートで拭くが、まだべたつきは取れない。ああ、シャワーを浴びよう。
ザーッ。シャワーの音を聞きながら、熱を感じながら私は思う。
「……自己決定は所詮その時の環境に左右されるものだな。そんなものを信じるなんて馬鹿らしい。」
シャワーを浴びることにしたのはべたつきが気になったわけだが、その前からべたついていた。歩いたことによるアドレナリンと抗うつ薬が効いてきて、思考に影響を及ぼしたのだと分析する。その前の歩行テンポを思い出す。BGMによって歩くやる気が違い、それがテンポに出ていた。安楽死のニュースを見てゼリー食で決めようとしたのは気分が落ち込んでいたからだ。外から室内に帰ってきたのは視線を合わせる気まずさからだ。外に出ようとしたのは室内の空気が淀んでいたからだ。
ふふっ、と笑う。空気のよどみや身体のべたつき、薬などの物理的影響に自己決定は簡単に左右されてしまう。自己というのはそれほどしか強さがないのだ。皆それを忘れて自己決定を錦の旗として振りまわしている。私は、彼らは、本当に自己決定しているのだろうか。わかるときは永遠に来ない。多分。
参考文献
1."Euthanasia and assisted dying: what is the current position and what are the key arguments informing the debate?",Andreas Fontalis,Efthymia Prousali,Kunal Kulkarni,2024/04/07
2."安楽死が合法の国で起こっていること…「生活保護」より「安楽死」の申請のほうが簡単というカナダの事情","児玉 真美",2024/04/07
https://president.jp/articles/-/77281
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