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ロータス・エラン(2代目)〜ロータス唯一のFFモデル

ロータス社のEV化は、まるで別ブランドにでもなっかかのうような大胆な方向転換に思えたが、他の欧州メーカーと同様に完全電動化を撤回。
ただ今のところは、完全EV化が先延ばしになっただけであって、それでも基本的な方向性は変わらなさそうに見える。

そんなロータスブランドをイメージさせる代表的なクルマは、今でもライトウェイトスポーツであるエリーゼやエキシージなのではないだろうか。
セブンやエラン、そして主にミッドシップのヨーロッパを彷彿させ、本来の軽量小型スポーツカーブランドとしてのロータスらしい車種である。

だが、ロータスは歴史的にみて、必ずしもライトウェイトスポーツだけを作ってきたわけではない。
かつての高級GTスポーツであるエスプリがそうであり、これはヨーロッパの後継として開発された。新型のエミーラも同じ流れであると言える。
また、エリート、エクラ、エクセルというFR4シーターの高級スポーツサルーンまであったのだ。
さすがにEVのエレトレはSUVで、これをスポーツカーと言ってしまうには抵抗があるが、ランボルギーニもフェラーリもSUVを作る時代であり、しかもこれを平然とスポーツカー言ってしまっているところが、今の時代である。

こうして見ると、ロータス社は、時代や傘下の親会社によっても、随分とタイプの違うクルマを作ってきたメーカーである。
ただ一貫して言えることは、ロータスらしさとは、そのハンドリングの味付けとされている。

その中にあって、ロータスの歴史の中では忘れ去られてしまうかもしれない異色の一台がある。
最もマイナーなロータス車の一つであろう。
それは、同社がGM傘下の時代に、1990年にデビューした2代目のエランである。
車重は1トンを切る。当時としては少し重いかもしれないが、ライトウェイトスポーツの部類である。

異色なのは、ロータス史上唯一のFFだったということである。

当時を振り返れば、スポーツカーメーカーであるロータスの前輪駆動は、それだけで悪評だったのだ。
FFのライトウェイトスポーツ車が多く出てきた時代であったが、老舗のスポーツカーメーカーがFFを作るなど言語道断だったのである。

だが、それは先入観に過ぎず、既に当時のタイヤの性能を含めた技術を考えれば、駆動輪に関係なく、コーナリング性能に優れたクルマを作ることはできていた。ロータスもそれを選択したのである。

少し話はそれるが、GM傘下当時、いすゞのジェミニに「ハンドリング・バイ・ロータス」仕様というものが存在した。
ロータスが足回りチューンを行った小型のFFスポーティーセダンである。

幸にして友人が持っていたので、私は運転させてもらったことがある。
国産のチューンドカーやBMW M3のように、さぞかしガチッとした足回りかと思ったら、そうではなかった。

コーナーではけっこうロールする感じだが、タイヤを路面にしっかりグリップさせるような大人の乗り味であった・・・と言えば聞こえは良いが、あくまでこれはノーマルのロードカーであり、峠仕様のチューンドカーに慣れた当時の私にはピンと来なかったのが正直なところである。

おそらくFFのエランも、オープンカーという性格上、同じような味付けだったのではないかと思っているが、エランのボディー剛性はかなり高かったようだ。

そんなFFエランだったが、当時は、私の最も欲しいクルマの一台であった。
駆動方式については多少は気になったものの、それよりもデザインのカッコ良さが優先されたのだ。

2代目エランのデザインは、スーパーカーブームの頃から、私の大好きなエスプリを踏襲している。
私には「ベビーエスプリ」に見えた。

時代はユーノスロードスター(マツダロードスター)がデビューした頃である。
ロードスターは運転していて本当に面白いクルマだったのだが、その時代は猫も杓子も、通っていた大学の女子学生までもがロードスターに熱狂していたものである。
しかも、同じ2シーターオープンとして比べれば、ロータスのものよりも、マツダの方がよっぽど旧エランを思わせるデザインである。

少々天邪鬼気質の私は、ユーノスロードスターには手を出さなかった。
だからこそ、余計に2代目ロータスエランは、個性的に見えたのだった。

問題はその値段であった。1ドル160円くらいの時代で、なんと700万円である。
当時のBMW M3やマセラティー222とほとんど同じ値段である。
エランのエンジンがいすゞ製であったことや、スペックを考えると、かなりの割高感であり、それは売れないわけである。

私もエランを買うことはできなかったが、ただそれでも私の好きなクルマであることには変わりはなかった。

その後のエランの運命は、ロータスの生産終了後に、韓国のキア自動車がビガートの名前でライセンス生産を始めた。

この時の値段はロータス時の700万円に対して、同じクルマが新車で300万円を切っていたから驚きである。

一瞬いいなとは思ったが、人間不思議なもので、ロータスのエンブレムが外されてしまうと、魅力が半減しあまり欲しくないのである。
やはりブランド力とは絶大なのであった。
もちろんロータスブランドは、金持ち御用達のステイタスシンボルではない。
ロータスのスポーツカーブランドとしてのヒストリーとストーリーを買っているのだ。

もう一つ、ある自動車ジャーナリストの方から直接聞いた話。
ロータスエランに比べて、キア・ビガートのボディー剛性を含めたクオリティーは低いということだった。
設計が同じでも、生産技術や工程が違うだけで、自動車のクオリティーは大きく変わってしまうようである。
ロータスは200km/h出せたが、当時のキアは怖くてとても無理だったという話である。

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