
R32型スカイラインGTS-t TypeM〜1989年日本車頂点の時代、GT-Rの影に隠れた高性能車
時はバブルがはじけて、世間の空気感がすっかり変化した1990年代中期、その頃私が乗っていたクルマは、現行よりも一つ型遅れのR32型スカイラインGTS-t TypeMとEP82型スターレットのジムカーナ仕様だった。
スカイラインの方は、同じR32型でも名車のGT-Rではなく、RB20型エンジンを搭載したFR、上の写真のままワインレッドメタリックの2ドアクーペである。
バブルの勢いで、一度はBMWに乗ってはみたが、とある事情と機会によって、これまたバブル期の頂点に出てきた高性能な日本車にも一度は乗ってみたくてこれを選んだ。
GTS-t TypeMは、今ではすっかりGT-Rの影に隠れて、忘れられている存在だが、スカイラインと言えば「2000GT」という響きが馴染み深いと感じるのは50歳代以上であろう。
GT-Rの復活は大きな話題になりながらも、雲の上の別物の存在であり、やはり主力グレードは5ナンバー枠のGTS-tだったのだ。
R32型スカイライン(GT-R&GTS-t TypeM)がそれまでの日本のスポーティーカーと大きく違うところは、メーカー吊るしの状態で既にチューニングカーのようなクルマだったことである。
今でこそ普通に思えることだが、平成元年当時にこれは凄いことだった。特にGT-Rの280馬力は、むしろ認可を得るためにデチューンした状態であり、カタログスペック280馬力、実測300馬力と規制値を超えているなどという話もあったくらいだ。
GTS-t TypeMの方でも、まずは、最初からしっかりとした硬いダンパーが入っていったことが挙げられる。そもそも設計自体が前後ともマルチリンク式サスであり、スポーツカーとして本格的なものなのだが、ここではそういった専門的なメカニカルな話ではなく、感覚的な話をしたいと思う。
それまでの日本車と言えば「フンワカサスペンション」のクルマばかりであり、ロールが大きくピッチングの揺れが一発で収まらないのが普通であった。
よくもまあ酔ってしまいそうな柔らかいサスペンションを作ってきたものだと思うが、長い間、日本車の目指したものは、欧州ではなく米国であったからそのような基準になったのだろうとは思う。昔の年配者は「クッションが効いている」と喜び硬い足を嫌ったのだ。通りて昔は車酔いする人が多かったわけである。
60偏平タイヤを履く高性能車の足に限っては大分よくなっていたものの、それでもまだ欧州車の足には及ばなかった。それは、BMWに乗ってみれば誰でもすぐにわかることだったと思う。そのため、ストリート系チューニングの第一歩としては、欧州車のようなサスを目指して必ずダンパーを交換し、次いでスプリングの交換を行なったのである。
そういえば、サスペンションの硬さを確かめるために誰もがやることは、フロントフェンダーに体重をかけて押して、ゆっさゆっさと車体の揺れ具合を確かめることだった。押して沈まなければ硬くて高性能と判断し、簡単に揺れるならば柔らかいダメなサスということになっていたのだ。
平成元年当時のスーポーツカーの展示車のボンネットには「押さないでください」という注意書きがよく貼ってあったものだ。その奇妙な光景は振り返れば笑ってしまうが、皆が気にして真剣にやっていたことである。
私など、改造車運転中に停められた白バイの警官にもフェンダーを押されて、彼は「かて〜」と叫んでいた(笑)。
それだけドイツ車のような硬いサスペンションを誰もが望んでいたわけだが、R32はそのようなタイプのものだったと思う。
次にタイヤ&ホイールである。
GTS-tには205/55R16、GT-Rには225/50R16という超偏平タイヤを履いていた。この時代、50&55偏平タイヤは認可された車種以外の装着は許されなかったのである。
その偏平タイヤを履く16インチホイールのデザインは、アフターパーツ品のような5本スポークデザイン。当時の純正ホイールと言えば、どのクルマもディッシュ型で、ほとんどが取ってつけたような良いデザインではなく、クルマ好きであれば、ドレスアップ目的や走りの性能アップでほぼ必須でアフターパーツ品に交換するものであった。その中にあって、スカイラインの純正ホイールは、 RX7など、他のメーカーのクルマへの装着例も多かったくらいのカッコ良さであった。
スポークの隙間から見える、大径ブレーキローターと4ポッドキャリパーがまた格別で、日本車の中では唯一無二、高性能を物語る雰囲気だったのだ。
そして、インテリアはステアリングである。
エアバックの無い当時は、チューニングカーならば、ステアリング交換が必須であった。ノーマルの大きく重くショボいハンドルは、小径のナルディーやモモ製のものに無条件に交換するものだったが、なんとR32には最初からそのようなスポーツステアリングが装着されていた。しかも、ナルディーやモモよりも、純正品の方がずっと出来が良く、デザインもインテリアに馴染んで良かったのだ。
もちろんステアリングの交換はご法度で車検の通らない時代だったが、そのご法度のようなスポーツステアリングが純正なのである。交換する必要はまるでなかった。
上記のように、日本の自動車メーカーがこのような、走り屋が好むようなクルマを殻を破って作ったのは画期的なことだった。
社会的には暴走族問題が残っていて、暴走族と高性能車とモータースポーツが同列であるかのように考えられていた時代なのである。まあ80年代の暴走族は速く走るのではなく、遅く走って道路を塞ぐわけだからピントは外れているのだが、日本では根強くスピードを悪とする国である。その中にあってR32は、警察や旧運輸省などのオカミが嫌がり、頭の固い大人が眉をひそめて、コスト面でも日本の自動車メーカーが避けてきたようなクルマだったからである。
だからこそR32のようなクルマが市販されたことは、日本車史上、意味は大きいと思っている。その影には、バブルの影響だけでなく、日産が世界の頂点を目指した901運動があったことも大きいと言われている。メーカーが真摯に高性能車を作れば、R32のようなクルマが出来上がることが証明されたのだ。
そして、日本車メーカーの作る高性能車がカルト化していくはじめの一歩が、R32型スカイラインだったのではないだろうかと思う。
では実際にGTS-tに乗ってみてどうだったのか。
パワーは215馬力。私は、スペック上200馬力オーバーのクルマに乗るのは初めてだった。平成直前の昭和の終わり頃からは、200馬力に達したクルマが出るたびに業界では大騒ぎだったので、215馬力もあるならばと期待していたのだ。
だが、どこか制御がかかっていたのであろう。アクセルを床まで踏みつけても、それほど炸裂するパワー感でもなかったと記憶している。車両重量は1320kgとあるので、パワーウェイトレシオは6.1kgとなり、確かに数値の表すとおりの加速感ではあった。現代の86/BRZの方が間違いなく速い。
また、これだけのウェイトがあると、日本の狭い峠道を楽しむには重すぎる感があった。車両重量わずか800kgのホンダCR-Xや、同時期に乗っていた710kgのスターレットの廉価グレードで攻め込んだ峠道をスカイラインで走ると、車重500kg以上の差は顕著に表れてくる。
やはり2速レンジを多用する峠道ではAE86やシビック&CR-Xのようなライトウェイトスポーツの方が断然有利なのであった。だから、スカイラインはその名のとおり「GT」なのである。その分、3速から上のレンジが続く箱根ターンパイクのようなステージにはマッチしていたと思う。
普通に街中を走った印象では、ボディー剛性という話になるとやはりE30系BMWの方がガチっとした安心感があった。それはまだまだ日本車に備わっていなかった点である。あくまで印象であり、思い込みであることも否定できないが、後にモデルチェンジしたR34型に試乗した時には、凄くガチガチになっていた印象だったので間違いではないであろう。
このR32については、私はほとんど何もいじらずに最後まで「どノーマル」のまま乗った。外見はノーマルの状態で十分カッコ良く、性能的にもいじるところがどこもないのだから当然である。
唯一積極的にアフターパーツのものに交換したのは、プロジェクトミューのブレーキパッドだけだった。クルマを止める性能だけは何よりも重要だからなのだが、何よりもブレーキフィールが非常に良くなった。
R32型スカイラインは、全体的に素晴らしいクルマではあったが、このクルマのウイークポイントも挙げておきたい。
一つはには、燃費が非常に悪いことであった。リッターあたり5km台である。どんなにエコ運転を心がけてもリッター5km台を上回ることはなかった。GT-Rやロータリーエンジンの RX7はもっと悪かったようだが、当時はターボで高々200馬力を出してこのようなスーパーカー並みの燃費であった。
そして、意外と細かい故障が多かった。私が乗った歴代の外車たちよりもよっぽど壊れた。パワーウィンドウが動かなくなったり、センターコンソールの液晶表示が故障したり、ターボのホースが抜けて路上で止まってしまったり、他にも多くあった。
そう言えば、私が持っていたクルマの中で最も故障が多かったのが、このR32型スカイラインとST140型のトヨタコロナである。イタリア車の方が壊れなかった(笑)。