1220_かさぶた
心のできた傷が治りかけて、かさぶたができる。それは、なんとも痛痒い。傷のままで全く触れられないわけでは決してないのだが、ただかさぶたごと、無性に乱暴に掻きむしりたくなる。
もうどうにでもなってしまえ、そんな風に心の中で叫ぶ声がして、頭の中が真っ白になってしまうような。そうしたら、何も我慢しなくても済むから、楽だろうに。
でも、それをしてしまうと、傷は前より深くなるかも知れないし、もはや治る見込みはなくなるのかもしれない。なんのためにこんな苦しんでいるのかすら、もはやわからない。
もがき苦しんで、傷とかさぶたの存在の頭の中から消してしまえたらと思う。やたらめったらワーカホリックしかり働きまくったり、アルコールやファーストフードに走ったり、現実逃避を図りたくなる。逃げ続けても、消えるわけはないのだが。
それもすべて、傷を癒すため、かさぶたを掻きむしらないようにするための、成長痛または筋肉痛のようなものかも知れない。その傷が癒えた頃には必ず前よりも強くなって、傷ができにくくなるはずだ。この痛痒さこそ、生きる実感だと、そう信じるしかない。