1164_逃げ道
どうせこんな仕事辞めてやるんだから、と思えば、なんとも気は楽である。逃げ道があるというのが救いである。人間やはり「もうこれしか方法がない」となると、余白というかあそびの部分がなくなって、どうやっても立ち行かなくなる。
だから、「もう我慢できなくなって、嫌になったら、逃げていいんだ」と思えている方が、人間どれだけ気分が楽になるか。
そうすると、圧倒的にまわりを見る視点が変わっていくのを感じる。しかし、逃げ道がある分、それで周囲に寛容になれるとかいうと、それがそう都合よくはいかない。
というのも、精神的に逃げ道がない状態では強制的に「悪いものでも、いいと思わなくていけない」フィルターのようなものを被せられているので、対象が実は歪んで見えていたわけである。
そのフィルターを取っ払って見てしまうと、実はまったく非合理でなんともえらい滑稽極まりないものだったりするわけで。「改めて振り返ってみれば、自分はなんて場所にいたのか」とさえ思う。
いわば歪んだ情緒的なものをクッションにして、実は自分で実像を隠していたんだろうかと気づく。見たいものだけを見て、見たくないものは見ないようにしていたのは、自分なのに。