1032_重心
歳を取ると、自分の荷物とその荷を支える重心の取り方が変わっていく。重き荷を背負いて、人生という長き道を歩むのに、いつまでも歩き方が同じというのはありえない。
荷を担ぐといっても、どんな荷物を背負い込むのか、どこに重きを置くのか。この荷物と重心というのは、文字通り、どの部分に自分という存在や人生が支えられているのか、何で成り立っているのか、ということを表している。
若い時には、なんにも成し遂げられていないし、何も手に入れられていない。欠乏感でいっぱいだし自信がない。ある意味、荷物も少ないのだが、むしろ、親とか学校とか会社だとか、庇護してくれる存在、所属している存在に自分の存在を規定する部分がとても大きい。そういう時期は安全とか保証とかを求めがちだ。
100%、自分の足で立っているわけではないから、どうしても自分以外の誰かの視点というものを意識する。だから、自分が何をしているか、どんな人間なのかよりも、人からどう見られるかにどうしても基準が寄ってしまう。
それがだんだんと人生の経験を積んだり、これまで得られなかったものが得られるようになると、他人から与えられた背負いこまされた荷物より、これまで自分が手にした荷物や、今自分がどう在りたいか何を持ちたいのか、荷物の優先順位と重心が変わっていく。
生きていく過程で、ある意味それは当然のことだといえる。子どもが欲しいものややりたいこと、大人が欲しいものとやりたいこと、年寄りが欲しいものとやりたいことは、それぞれ違う。どこかにマルを付けて、どこかにバツを付けて、線を引っ張って、自分の荷物と重心の取り方のあたりを付けているようだ。