140_Hoobastank「Hoobastank」
「副島。お前、俺に呼ばれた理由はわかるな」
「ええ、まあ。わかってますよ」
大沼は副島を捜査2課の別室に呼んだ。副島はどこかやつれた表情をして、班長の大沼の言葉にもどこか憮然としている。部屋には、大沼、副島の他には入来も入れられた。入来は、大沼に呼ばれた理由は知らない。
「あ、あの、班長、それは私にも関係のある話なのでしょうか」
「もちろん、入来にも大いに関係がある話だ。なあ、副島」
「…。」
話を振られても副島は答えない。いつも大沼の指示に対して、従順な様子であったはずなのに、今日の彼の様子はどこかおかしい。副島のバディである入来は不審に思った。自分がこの部屋に呼ばれた理由もあわせて、部屋の空気をはかりかねている。
「お前の部屋に、外国の女がいたろ、2週間ほど前だ」
(外国?女?)
大沼の発した言葉に、入来は驚きを隠さない。副島は相変わらず黙ったままだった。部屋の中は痛いほどの沈黙だった。入来は訝しむ。副島が外国の女を部屋に住まわせていた、というのか。
少なくとも最近の普段の副島の様子からはそんな事情は一切窺えなかった。そもそもが女っ気のない人だ。そういうのはバディなら大体の察しがつくものだ。特に入来ならば女性の勘というものが働くだろうし(往々にして、入来は友人の女性の男の浮気などもすぐに見破る)。
バディを組んでいれば、捜査任務に従事する1日の大半を一緒に過ごさざるを得ない。そこで、相手がいつもと違うものが感じられれば、何かを違和感として残るはずだ。ここ最近、副島は特段変わった様子は見られなかった。それが副島の特性であると言われればそれまでなのだが。
そう、なんに対しても、淡々とした男。
入来はこれまで副島と組んで捜査に関わってきたが、ここまで仕事のできる人間は警察の中で正直見たことなかった。北海道警の現場の一警察官から警視庁刑事部捜査2課に栄転してきた叩き上げ。入来もこの世界に飛び込んできた身として、決して無能が昇任することはないということはよく承知している。
「それでだ。これを見ろ、空港の入管で撮られた写真だ。その女が第3国に出国したんだ。お前がこの女に渡したうちの捜査情報と一緒にな」
大沼は立ち上がって、何枚かの写真を机に突きつけた。そこには入管で周囲の様子を伺っている外国人の女性が空港の監視カメラに映っていた。驚愕の事実に、入来は声を失った。副島さんが、まさか、そんな。副島は座ったままで両手を前に組んで表情を崩さない。加えて、入来は写真の中のこの外国人女性の着ているシャツについて、少し見覚えがあった。
「なあ、わかるだろ、副島。これは俺のミスでもある。部下の身体検査もできないようじゃな。身内からボロが出るっていうのは、この世界でもよくある話だが、副島、まさかお前はそんなんじゃないだろうって、俺もタカをくくっていたよ」
これに関しては、入来も同様だった。副島の仕事に対するストイックな姿勢を見ていれば、こんなことするのは、月並みな言い方だが、よほどの理由があってのことだと思うだろう。部屋の中にいろんな思惑と感情が交錯する。
隣の部屋ではけたたましく電話のベルが鳴っている。四六時中、この国ではあらゆる事件事故、犯罪が起きているのだ。副島は粘り強く事件の大小に関わらず、その解決に向けて尽力をしてきたはずだ。それが、なぜ。入来は副島に決して裏切られたとは思わない。それ相応の理由があったはずなのだ。入来は自分でそう思いたかった。副島のことを信じたい何かがある。
「あんまり個人的な部分に突っ込むのは、野暮なことだとは十分わかっている。だがな、この一件、すでに外事課からもつつかれている。この後も、色々と話が出回れば、後々厄介なことになる。俺も俺たちも」
副島は顔を上げて、大沼を見た。いつもの淡々とした表情と比べて、少しばかり気色ばんでる表情だった。
彼のこんな表情を見るのは珍しい。入来は副島の一挙手一投足を見つめている。入来の人を見る洞察力というものは彼女持ち前のものであり、捜査においても卓越したものがあった。それでいて、今回の副島の様子の変化というものを全く感じられなかったことについては、彼女にとってなかなか痛いことであった。
「こんな状況で言うのもなんだが、お前だけでなく、俺も、入来も課長も立場の危うくなるぞ。そうなると、正直も俺もいつまでもお前を庇い切れるとは思えない。まずは状況の把握の段階で、正式な処分がなされるのはまだ先の話だ。ただ今お前が理由を言えないなら、言える時まで俺は待つ。わかったか」
「はい」
副島はようやく口を開くと、それだけ言い残して部屋を出た。大沼はため息をついた。
「入来も行っていいぞ、時間を取らせたな」
「いえ」
「副島のことを、いろいろと頼む」
「わかりました」
班長の大沼の「いろいろと」の中には、文字通りいろんなことが含まれているのだろうと察した。副島のサポートやケアという意味合いだけでなく、彼の監視という意味合いにおいても。だから、私もあの部屋に呼ばれたのだ。
捜査2課の事務室から出ると、廊下に副島が相変わらず淡々とした表情で立っていた。入来は彼と一瞬、目を合わせるをたじろいで、視線を逸らした。しかし、思い直して、彼を見て切り出した。
「あの、写真に写っていた女の人の着てたシャツって、確か副島さんの着てたものですよね」
副島は淡々とした表情の中でかすかに驚きを交じらせた。
「ああ、よく気付いたな」
「ていうか、あれですね。男の人って、部屋で女の子に男物のシャツ着せるのって、結構好きなシチュエーションなんですもんね」
入来は笑ってみせる。よくこんな時に副島に対して冗談が言えるものだと、我ながら感心した。副島の表情は変わらない。こういう困難な状況においての向き合い方やタフさというのも、全てこの人の背中から学んだことだ。多くは語らない、ただその行動や姿勢の中に多くのものが含まれている。入来は副島という男をそのように理解している。
「あのお、副島さん」
甲高く素っ頓狂な声が廊下に響く。見ると、廊下の反対側に上下黒の女ともう一人眼鏡で陰気な男が立っている。女は入来と同じかそれより下かくらいの年齢だろうか。何より、入来にとってそののっぺりとしたしゃべり方が耳障りだった。
「ああ。久しぶりですね〜、北海道以来ですよねえ。あの時はお世話になりましたねえ」
「神田か。お前、今、本庁にいるのか」
「違いますよお。今は拳銃も持ってないんですからあ」
入来はこの女に対する不快感の正体がわかった。大学の同級生にいた陰気なゴスロリ女に喋り方や態度がそっくりなのだ。よく見ると彼女の格好も派手ではないが、どこはかとなくゴスロリっぽい要素がある。何より、化粧もあるのだろうが肌が異常なほど白い。色黒の入来としては、同性として一番嫌な部類の女だった。
「今は警察庁付で出向してるんですよお」
「ああ」
「それで、あのですね、副島さんのことで来たんですよ、今日は」
副島と入来は神田をきっとした目つきで見据える。この女は信用できない。入来は直感した。インテリジェンス系の捜査員というのは大体がこういう匂いがする。おそらく非公表の政府の情報機関に所属しているのだろう。
「まさか、こんな形で副島のこと調べることになるだなんて、思いもしなかったですよお。すごいお世話になった先輩なのに」
「キャリアのお前に俺が教えるようなことなかっただろ」
「いえいえ、私も〜、現場が一番大事だっていうのはわかってますんで」
「ふん」
「今日は顔見せだけですう。では、また後々〜」
女はそのまま廊下の向こうに去っていった。隣の男は結局、一言も発さなかった。女がいなくなって、副島はやれやれという表情を見せた。入来も、今は彼になんて声をかけていいかわからなかった。
色々と厄介なことになる。それだけが確かだった。