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大いなる迷いや戸惑いの中に自分がいる時、自分の中に存在する美しいものを見つけ出そうとすることにした。その美しさというのは、誰にも音楽や映像や言葉だけで形容できない複合的で多層的な何かだ。形は変わるし、いつもこうであるという保証はない。ただ、必ずわかる。これは美しい、のだと。

それは朝の木漏れ日の中で鳥の鳴き声に包まれた時に感じる普遍的な安らぎであったり、妻と格別美味しくはないがゆったりと時間を忘れて過ごせるレストランでのリラックスしたひとときだったり、朝の通勤電車の中でふと耳に突き刺さったある歌の歌詞のフレーズだったり。毎日がその美しさを見つけるためのプロセスだ。

その美しさは日々過ごす家の中でも、何十時間も拘束される会社の机と椅子の間にでも、とんでもない情報量で日々更新されるネットワークの中にでも、道行く見知らぬ人たちの顔の中にもあまねく存在していた。それに目を向けること、ただ耳を傾けること、こころ静かに佇むこと、それだけが必要だった。むしろ美しさを目の前にするとそうしないでいることの方が難しい。美しさを求めない時の方が、逆説的に美しさに近づいている。

それだけしか必要にならなかった。誰の言葉でもない言葉にし、うまく聞き取れなかった風の調べを音楽にし、たまたま道で拾った石ころを自分の宝物にしてポケットにしまうことだった。それが美しさを捕まえて、自分のものにする方法だ。やってこなかった何かを形にすることではないし、納得できないことを無理やり思い込ませることではないのだ。

自分の中であっても外であっても、決してそれに引きづられることなく、それととも在るようにすればいい。このままずっとこうしていたいとか、こうでないと美しさを見出せないとか考えなくていいから。あまり力を加えず、軽やかな風が吹く程度に自然にしておいたらいい。美しさをその中にある。

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