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キャンプ場のトイレで久しぶりに自分の姿を鏡で見た気がする。鏡に映った男の顔は、野暮ったく、しばらく剃ってない無精髭に覆われていた。ワイルドと言われれば聞こえはいいが、顔の見えない誰かに「みっともない」などと言われるのだろう。
20代の頃は自分のヒゲの濃さがどうしても嫌で、嫌々ながら毎日朝のヒゲ剃りは欠かせなかった。誰かから「ヒゲ濃いね」と言われないようにビクビクしていた。自己投資だと思って、ヒゲ脱毛などにも通ってみたが、結局12万円ほどかけても、目に見えてヒゲが減ったようには見えなかった。
コロナ禍でマスクが当たり前になると、これ幸いとマスクの下はヒゲだらけになった。終いには人前でも無精ヒゲをさらすこともあまり抵抗がなくなっていることに気付く。誰のためにヒゲを剃っていたのだろうか。
間違いなく、自分はこれまで他人の視点で生きてきたんだと思う。他人にどう見られるかが判断のさきに立ち、他人から見て恥ずかしくないようにする。自分は周りから見て大体この位置につけていれば、特段引け目を感じることはないのではないか。そんな感じだったと思う。
確かに自分の無精ヒゲを見て、他人からあまりいい印象を受けないのは間違いないが、自分自身の存在が全否定されるおそれなどない。
犯罪とか迷惑行為などで実際に他人に迷惑をかけない程度であれば、十分許容されるし、そもそも他人から自分は注目など浴びていない。
言ってみれば、自意識過剰である。それで離れていく人がいるとすれば、自分も同じようにそのように相手に接するのだろうし。
他人の目を気にしない生き方は心底、居心地がいいに違いない。いったいどんな感じなんだろうと妄想してみるが、家の中で一人でいる時なんて、好きに屁はこくし、テレビ見て笑って独り言を言ったり、まあ大体そんなもんであろう。
そのくらい、いいじゃないか。「ヒゲ濃いね」って言われても、自分の好きに生やしても。誰の目を憚ることなく、誰の目も喜ばせる必要もない。そもそも自分が生きていること自体、犯罪でもないんだし。何でそんなこともできなかったのだろう、これまで。