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歳をとると、本当にリラックスして他人と話ができるのは難しいと感じる。自分と相手の立場をまず考える。
「お互いいろいろあるよな」
最初に来るのはまずその言葉。みんながみんな同じってわけじゃないんだ。それぞれに事情があるのは理解する、そりゃもう、大人なんだから、余計に。わかってるよ。
だから、発言なんかがどう相手にとられるかも慮らないといけない。コンプライアンス、ハラスメント。いろんな見えないルールやアノマリーに縛られて、飲み会の帰りの電車の中で自分の今日の発言内容をスクリーニングしてしまう。すり合わせするのはまず、自分の立ち位置とスタンス。だから、基本的に楽しくなんかない。
「俺の話を聞け」
そう言いたい気持ちはわからないことはない。現に誰も話を聞いてくれないんだろう。みんながみんな自分の話を聞いてもらいたい。「ねえねえ、聞いて」とねだる言葉を覚えたての子どもにも似ている。「偉いねえ」と褒めてもらいたい。
周りを見渡しても「なんかちょっとでも、口を出したい」とかいう厄介な大人がそこらじゅうにいる。若者相手に「俺の若い頃は」と、マウンティングしている様子を見ると、自分はああはなるまいと思ってしまう。
家族や妻にだってそう。そもそも余計な心配をさせるわけにもいかない。仕事の愚痴っても誰も喜ばないし、誰かに褒めて欲しくても、家では飼い犬の方が自分よりよく褒められてる。
若い頃は、友達とならファミレスやコンビニの前でだべって話してるだけで楽しかった。親や大人たちから隠れてつるんで、自分たちの時間は特別だと思うことができた。
その分、お互いに思うがままに突っ込んだことも言ったし、今から考えれば言い過ぎだったなとか、感情的すぎたんじゃないかと思うこともある。今は、そう思うよりも前に発言の内容をきちんと考えてしまう。
言わなくて良いは言わなくて良いんじゃないか、と思ってしまう。たとえ、自分がそう思っても。「誰もハッピーにならない」ようなことは口にしない。「いい大人なんだから」不文律に縛られて、本音を言えない、言わない、言ったってどうなるってわけじゃない。
どうでもいいことを忖度して、あまり詮索はしない。それで何か生まれるのだろうか。何かしらでも、前に進むのだろうか。自分の伝えたいことはなんだったのだろうか。そう考えるとまた何も喋れなくなる。だから、今夜も家で一人飲んでいる方が性に合う。