さぞ努力なさったんでしょうね

絵描き界隈には2種類の人間がいる…
「才能を認めてもらいたい」派と
「努力を認めてもらいたい」派だ。
まあどっちでもいい派とか
努力できるのも才能派とか
そもそも他者の承認などいらぬ派とかもいるとは思うけど、
ともかくだ、時折こういう言説を目にすることがある。

曰く、
「絵がうまいね、才能だね」
「才能があっていいね」等というは誉め言葉に非ず。
私は自身のたゆまぬ努力によって今の実力にたどり着いたのであって、
それをないがしろに生まれ持った才能に胡坐をかいているがごとき言い様は許容できない。的な。

同じようなことは勉強やスポーツでもいえるが、
一生懸命、寝食を忘れ勉強したのに
「頭いいんだね」の一言で片づけられたり、
「お父さんも運動できるもんね」とか言われたのでは
不服に思う人がいるのもわかる。

しかしじゃあそうかといって、
絵を見せられた時にいきなり、
「上手ですね…。さぞかし努力なさったんでしょうね
…というのも何か変な気がしないでもない。
いや言い方によっては感想として違和感ないものにもなろうとは思うが、
個人的にはなんか持って回った言い回しのような、
場合によっては何か他意でもあるのかという気がしてしまいそうな懸念。
ただ聞きなれないからか知らん。
少なくとも私は努力嫌いで努力不足を自覚してるので
初手「さぞかし努力」を食らったら否定する。
一言「才能だよね」民はたくさんいると思うけど、
一言「さぞかし努力」民はあまり見ないのはなぜだろう。
そもそもこれは才能という語を努力に変えただけであって、
根本的には同じ問題を孕んだままであると言える。

思うに、
多かれ少なかれ、好むと好まざるとにかかわらず、
誰の能力にも才能も努力もそれぞれ貢献しており、
その内訳を外から類推することは不可能だし、
どちらか100%ということは多分ないので
それをいきなり「才能だ」「努力だ」とラベリングしようというのが
野暮、不躾、あるいは的を射ていないのだと思う…
仮に「これは圧倒的才能と言う他ない!」と感じたとしても。
それはまあそういう感想があってもいいと私は思うが、
実体と合致しているかはわからない部分ではある。

実際私も以前一度、自分の制作物について
「こういうのがスラスラ出てくるってことは、
この題材は(あなたに)ハマってるんでしょうね」
的なことを言われたことがあるが、
実際はスラスラ出てくるなんてことはなく、常に苦戦している。
けど結果としてうまくいってる場合、
完成した成果物だけをポンと出されれば、
往々にしてハタからはカンタンにやってるように
見えがちなんだろう。
私も漫画とかを読んでるとすぐ
「この人はこんな面白い話がどうしてこうポンポン出てくるのかな」
とか思っちゃうのだが、
作者のあとがきとかエッセイとか見ると大体みんな苦戦している。
自分も制作する者の端くれなのにそう思っちゃうんだから、
制作経験がなかったり若年者だったりすれば
自分にはない魔法のような力で生み出しているんだろうと
思ってしまうのも無理もない事だろうと思う。

それに自分の感想を言うのも結構難しいものだ。
自分の受けた感じを、うまい事言葉にするというのはそう容易くはない。
一言常套句として「才能ですね」ってホメちゃうってのは
すげー簡単だから、やっちゃいがちなんだよ。
すごく大げさに言うと「これは自分にはどうやって生み出したのか想像もできない、自分の様な凡人とは明らかに一線を画している、故にこんな陳腐な言葉しかでてこない」的な意味合いで、
たぶん多くの場合、努力を軽視してるとか、
そんな意図はないのではないか。
しかしその手軽な言葉選びがことさらテキトーっぽくて嫌なのかも。

結論、あてずっぽうで「才能由来」か「努力由来」かゲスする謎のゲームを突如開催しないで、
ちゃんと「ここが好き」とか「かわいい、かっこいい」とか
極論「なんか良い」とかだけでも、
目の前の絵についての感想が言えたらいいのかもしれないですね。
絵については。
今書いてて思ったけど、「わかんないけどなんか良い」が
一番言われて嬉しい説あるなこれ。

似たような議論に
「絵は才能か努力か?」なんて話もよく耳にするが
それこそどっちも、というか絵に限らず全てにおいてどっちもとしか
言いようがないように思うのだが、
どうなんだろう。もっと深い議論があるのだろうか。

以上です。

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