70−80年代のバックパッカー、旅話。そして90年代以降のアフリカロケ、取材。

明日、日曜日19時!

”旅”と”取材” 2つのレンズから見えてきた人間と世界 ーPIA/Perhaps I Arrive:僕たちはついにたどり着いたー

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出演者は、『アフリカ紛争・映像ジャーナリスト/大津司郎』と、『ドキュメンタリーディレクター/高木つづみ』です。

SNSやインターネットで情報を取りにいくのが当たり前の時代。
簡単に人々と繋がれる時代。
果たして今、本当に人々は「繋がって」いるのだろうか。
人々は本当に「出会って」いるのでしょうか。
インターネットも何も無い、手探りで旅をしていたあの時代。
紛争・映像ジャーナリスト大津司郎は、70年代80年代に「旅」や「取材」を通して、多くの土地に足を運びました。
2人の行く先には「旅」があり「取材」がありました。
「旅」と「取材」ーー2つのレンズを通して見た人間と世界とは。

出演者の大津司郎さんからイベントに関するメッセージです。

『16日、アフリカ弟子(高木つづみ氏曰く)の高木リサツヅミさんと2人で長いアフリカの旅と現地ロケについてトークします、アジアの旅はたくさん語られて来ましたが、アフリカの1970年代からの旅、そしてテレビアフリカロケについてはほとんど語られてません。

1970年船ではじめて行ったアフリカ。帰りも何故か、船で台湾の台湾の旗基隆→那覇→鹿児島と超小船で帰りました!途中タイのバンコクの飲み屋では、ベトナム戦争から休暇中の米兵と喧嘩したり、あり得ない旅でした。

その後、テレビ番組のコーディネーター、そして90年、解放直後の5月南アヨハネスブルク郊外のSowetoに暮らす、ネルソン・マンデラ氏を自宅に直撃インタビュー→そして飢餓と米軍上陸のソマリア、そのあたりがアフリカ紛争ジャーナリストの入り口です。

おまけ:
当時70〜90〜年代あたり、日本人バックパッカー&旅人たちの集まり場、よりどころにバンコク、楽宮(ラッキュー)ホテルがありました、西のアフリカ、ケニアのナイロビにはイクバルホテルがありました。西のイクバル、東の楽宮といわれ、幸せからドン底の物語がありました。』


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