君と探した場所、未だ見ぬ翼
第1話 慶一
築40年のレジデンス創英マンション1階、14畳にも満たない場末のスナック「スナック二条」。営業を開始して、もう直ぐ10年を迎える。
16:00 二条のり子は入口から突き当たりまで続く細長いカウンター、カウンターチェア8脚カウンターを丁寧に拭き上げている。アイスキーパー、冷凍食品、フルーツの在庫をチェックし、釣り用の現金を数えてカード払いのソフトを立ち上げていた。
「キャッシュレス決済が多くなって会計楽になったけど、、慶一がやってくれたら経費削減になるのになぁ、、」
「ただいま!」赤黒く重い扉を押し開けて、今年4月に高2になったばかりの慶一が帰って来た。
「慶ちゃん!氷4袋、オレンジ2個、冷凍ポテト1袋買ってきてくれる?」
「え?、、今帰ってきたばっかりじゃんか、、」
物心ついてから、数えきれない程繰り返して来た思考がぐるぐると回り始めた。
俺と母さんと2人だから店も手伝うし、そんな事は当然だし、構わない。店が終わった後、シクシク泣いている母さんを慰めるのも構わないけど、俺は何者だ?母さんは何だ??友達の母さんは、毎日ご飯を作ってくれ、弁当を作って、口煩く叱ってくるらしいが、、俺は叱られた事が無い。欲しい物を買い与えてくれるし、晩御飯の度に金をくれる。優しいだけ?それが母親?世間の母親は?世間の息子は?、、
「慶ちゃん、買い物分とあんたの晩御飯の分で4000円渡しとくね!」
胸のつっかえをそのままにして、東川高校の制服のままで店の奥にあったクーラーボックスを肩にかけ、赤黒く重い扉を再び押し開けて外に出た。
外に出ると、太陽が六条山に沈んでいく頃だった。
真っ赤な夕日が山科の街全体、山々も空をも赤く染めている。見上げる空は、山科盆地を囲う山々と無計画に林立した高層マンションに周囲を覆われて、何とも狭苦しい。迷走した道、無造作なマンション達の黄昏れた街には、夕陽がピッタリ似合い、美しかった。
近くのスーパーに向かって歩きながら、縦断道路の車の波を見ていた。市外方向はいつも渋滞して無数の赤いランプが瞬いて停まりっぱなしだ。中々外に逃げられない。それが今の自分の姿に重なり、しばらく立ち尽くした。
「家に帰っても母さんはいつも店と男の事ばかり考えて、、自分の事は二の次、俺は置いてけぼり、見捨てられてるのも同然じゃないか!」
いつの間にか辺りは暗くなっていた。早く行かなきゃ、、
17歳の慶一はここ山科区で生まれ育った。
山科区は、京都市に属する平安時代から続く歴史ある街だが、京都市中心部「洛中」の連中からすれば「洛外」「外れ」に見られている地域だ。東山高校に通い始めた頃、連中に自分が山科区から通っている事を話すと、微妙に眉を顰める空気に驚いた。同じ京都市と何も違わない、便利で住みやすい街なのに、、。
のり子やスナック二条の凡ゆる客から大人扱いされ、スナックと言う小さな『社会』で育ってきた慶一にとって、稚拙な思い込みと社会の虚飾しか知らない同級生たちは、酷い頓馬にしか思えなかった。
「只今!おつまみも安かったから買っといたよ!」漸く買ってきた業務用柿ピーの小袋分け1kg2つをのり子に差し出した。
「ありがとう!お金足りたの?」随分買い物に時間がかかっていた事に、のり子は気付いていない様だ。
「3870円、お釣り130円だよ。」本当は、弁当代が足りず290円の海苔弁当にした事は告げなかった。
「慶ちゃんさすが!気は効くし、賢いし!潤くんそっくり!はい、お釣り+千円あげちゃう!」
母は欲が無く、正直で素直、少女みたいで母親と思えない時がよくある。息子の俺から見ても可愛らしいところがある。何処かのアイドルに似ているとも言える様な見かけの事ではない。だから、俺も含めておじさん達も皆んな心配してこの店に通ってくる。ひょっとして、策略か?と思える位に人を引きつける。
「そう、あなたの父さんはね、京都市北区で生まれたのよ。私とはまるで違う、由緒ある旧家の出なんだよ。学業優秀でスポーツ万能、カトリック系の洛星高校を卒業して、東京外国語大学に進学したの!そう、それでね、、、東京セラミックに入社して1年後に、スペインに赴任したんだって。私との馴れ初めはね、潤ちゃんがスペインから日本の京都本社に帰って来て、私が勤めてた祇園の「クラブ万」に会社の皆さんと来られた時なのよ。潤ちゃんから私に、可愛いねって声をかけて来てくれてね、ふふふ、、私の事タイプだったみたい。潤ちゃんの方が年下なんだけど、とても落ち着いた雰囲気と声で、最初から両想いだったみたい。私の方を年下と思ってた可愛いかったみたいなの、、」
盛り上がる話、母の満面の笑み、ひたすら相槌を打ち続けるのみの俺。
父の話は母にとって、ただの昔話でない。生きていくのに必要な縋り付く縁に思えた。それは、俺にとっても同じだ。母子の唯一のプライド。誇れる物、だからこそ母は、このマンション1階に構える店を「スナック二条」と命名した。勿論、姓を戻すことはない。
俺にとって、父である二条潤に纏わる記憶は、母と同じく美化されているのかもしれないが、楽しかった事ばかりだ。児童公園でのキャッチボール、琵琶湖のドライブ、山科川の河川敷を走り回った。今思えば、土日休日の度に連れて行ってくれたし、優しくて頼しかった。しかし、、そんな父がある日、忽然と消えたのだ。音もなく、突然にだ。
母の話も、いよいよ同じ場面に来て、泣き崩れ始めた。そう、父が死んだ時の事、、
「こんばんは!慶一くん!、、あ、潤くんの話?」
「ナイスタイミング!!おじさん、選手交代!」
「あ、はいはい。のりちゃんそれで?」
おじさん、こと外村晃。親類では無く、父が勤めていた東京セラミックの半導体部品セラミック材料事業部長で役員も兼務している。父の上司だったらしく、俺が小さい頃から一緒に遊んでくれていた。父の死去後は「スナック二条」のチーフ的に出入りしている。正直、この店が成り立っているのは、母さんには悪いが、このおじさんが無償で手伝ってくれているのと、東京セラミックから社員さんを連れて来てくれるからだ。でも、、何故そこまでしてくれているのか?母さんが好きだから?部下の妻だから?ただ親しいから?
俺には大人の考えが分からない時がある。今も本当はよく分かっていないし、分かりたくないのかもしれない。
時々、父の葬儀の日の出来事を思い出す。いや、今思い出してしまう。
雨の日だった。父の遺体の前で人目を憚らずに泣き崩れていた母の代わりに、このおじさんが全てを取り仕切ってくれた。その夜遅く、寝室で項垂れて泣き明かしている母を、おじさんは抱きしめていた。そして、、また今も母親の肩を寄せている。
何処にも身の置き場がないと感じた慶一は、店の外に置いてあったカワサキ ゼファー400ccに跨り、京都市縦断道路を西へアクセルを噴かして行く。
「母さんにはおじさんが居る。俺には、、」涙で白線の輪郭がぼやけた。
グォオォンーッ、グォーン!グォオォンーーッ!!
エンジン音と振動で寂しさを掻き消し、居場所を求めて夜の街を彷徨っていった。
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