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浮力0

「最近、浮いた話ないの?」

会う度、話と話の隙間が少し生まれれば、友人はこんな言葉でそれを埋めてくる。郵便物の箱の隙間に詰められたクシャクシャの紙のように、人の色恋を雑に扱ってくる。ニヤニヤとまぁ憎たらしい。

勿論本気で怒りはしないが、呆れるくらいは許されるだろう。

逆に周りの浮いた話を聞いた時は、僕の口、あるいは指がオートマチックに「羨ましい」だの「爆発しろ」だのと動いてる。こうした方が場が盛り上がる、までは行かなくとも何となく楽だと体が覚えてしまったらしい。実際のところは、特に何も思っていない。お好きにどうぞ、といったところ。

それはさておき、最初の投げかけに対して僕の返答は(自分ではあまり思っていないが世間的に)悲しいことに、毎度決まって「特に何も。」だ。そうするとこれまた決まって同じ言葉が返ってくる。

「えっ、何で(恋愛しないの)?」

これを聞くたび誰が言ったかも知らない言葉が頭を過ぎる。

“恋とはするものではなく、落ちるものである”

よく言ったものだ。僕もそう思う。まぁそもそも、『恋愛』についての問に対して『恋』で返答するものズレているのだけど。

『恋愛』を辞書で引いたことのある人は少ないかもしれない。『恋愛』とは『特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。』だそうだ。繰り返す。『互いに』だ。

一方通行の『恋』とは似て非なる言葉だと僕は思っている。

ここでも、世間との『言葉』と『意味』のズレを感じているわけだ。

そう言った意味で、僕は「恋愛してます』っていう人とは少し心の距離を置くことが多い。相手の気持ちもあって初めて成立するはずのその言葉には、相手への配慮がかけているように感じるから。二人揃って僕の前で、「僕たち恋愛してます!」って言ってくれたら納得するが。ただ、そんな報告をわざわざしてくる人たちもまためんどくさいので、あまり関わりたくはない。

断っておくが、僕は別に恋愛をしたくないわけではない。しようと思うことがないだけ。先も書いたが恋愛とは相手がいて初めて成り立つ。僕は一緒にする相手もいないのに、キャッチボールをしようと思い立つことはない。

そういう意味で僕は『婚活』とか『恋活』とかがあまり受け入れられないでいる。キャッチボールがしたいといって、公園に行って知らない人に「僕とキャッチボールしませんか?」とわざわざ相手を探しに行こうと思えないから。

話を戻そう。「何で(恋愛しないの)?」の後には「人生の半分損してるよ!」という言葉が隠れていると勝手に思っている。「何で?」の問への答えは、恋すらしていない今、恋愛の優先順位が底辺にあるから。「人生の半分損してるよ!」については、「あなたの価値観は聞いていません」だ。


「他人と関わる上での最低限のルール、分かるか?私はあなたを殺しません、だからあなたも私を殺さないで下さいだ。殺しを何に置き換えてもいい。要は相手の尊厳を脅かさない線引き、互いの実在をなす過程、それがルールだ」


呪術廻戦。大人気ですね。五条先生は言わずもがな、僕は伏黒くんも大好き。厨二な僕は、あぁいうクールキャラに憧れる。そんな彼のセリフ。

僕なりに、殺しを置き換えて最後の言葉とさせてもらおう。

“私はあなたに自分の価値観を押し付けません、だからあなたも私に価値観を押し付けないで下さい。”

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