バーチャルドラマ『四月一日さん家の』は今んとこイマイチと言わざるを得ない
まだ人類には早すぎたのかもしれん…。
何ってバーチャルドラマ『四月一日さん家の』のことである。
2話目が放送され、今回も楽しみにしていたのだが、やっぱりこれ…前回も言いかけたけど、これ…つまらないかも。
何が悪い?
限られた舞台、限られた演者で楽しませるというのはかなり大変なのは理解できる。
大抵のシチュエーションコメディがそうであるように、このドラマも大した事件は起きない。日常の一コマを切り取ったようなお話だ。
これで人を楽しませるとなると、軽妙な会話しかない。
そこへいくと、このお三方は、すげぇ上手い!とは言えない。台本をしっかり覚えてちゃんとやろうとしてんだろうなぁとは思うんだが…。その辺は『やっぱり猫が好き』と比べてしまうと、ね。
致命的なのは全体に渡る間の悪さ。なんだけど、これは一朝一夕で身につくものじゃないから、すぐにはどうにもならないだろう。
脚本自体を面白くするしかないのかなぁと思う。
Wikiによれば脚本は
脚本 - ふじきみつ彦、じろう(シソンヌ)、土屋亮一、堀雅人、熊本浩武
という面々。
熊本浩武さんて”なかよし”のか!懐かしい。
一番有名なのはじろうさんだと思う。2話の脚本もじろうさんだったらしい。
詳しい筋書きは書けないけど、制約が多いので、どうしても地味な話になってしまう。
地味って悪いことじゃないんだけど、これはやはり、かなり演者の力量を前提とした本じゃないかと思う。
バーチャルでやる意味
そして、このドラマ一番の売りは、その演者がVtuberであること、である。
だが、これこそが一番の問題点じゃないかって思うのだ。
まず気になるのは動きの不自然さ。
髪の毛がやたら揺れていたり、小刻みにプルプル動いていたり、手のひらを妙に開いていたり、こういう細かい不自然なところが一度気になりだすと、気になって気になってしかたがなくなってしまう。
そのへんはまぁ、ささいなことなのだが、一番問題なのは表情だ。
2話目でも、泣くシーンがあるのにちっとも泣いているように見えない。実際に涙が流れるわけじゃない、ということに目を瞑ったとしてもだ。
直後のエンディングノートなるものを読むというシーン。最後の言葉として書いているのに読まれているほうも読んでいるほうも、なんかうっすら笑ってる。ダメだろ、ここで笑っちゃ。
書いてる本人はいたって真剣なのに、内容がおかしい。そういう落差で笑わすところだろうに、笑ってちゃダメなんだって。
実際の人間のような複雑な表情ができないのだ。これはドラマをやるにおいて致命的。
ただ、人間に不可能な表情もできるから可能性はあると思うんだけどね。例えばVの者て
><
みたいな目になったりするじゃない?
ギュって目を瞑っているっていう表現なんだろうけど、これは人間にはできないからね。こういうの、もっと使えそうだけどな。
ケツのロン
バーチャルでやるのは画期的ではある。だが、今の所その意味が薄い。
こういうのってやっぱり舞台演劇から来てると思うんだが、それは予算や空間という問題があって、客側もそれを理解しているから許しているってところもある。
でも舞台でもない実写でもないなら場面を固定する意味って何?ってなっちゃう。
いきなり宇宙に飛んだっていいじゃん、バーチャルなんだし。
背景を作るのが大変?なら写真だけだっていいじゃん。それこそ舞台演劇なんて書き割りでやることもよくあるじゃない。漫才だってサンパチマイクだけだろ。
制約があるなら表現力の高い役者さんでやったほうがいいし、バーチャルなら制約なんてなくして自由にやったほうがいい。
どっちの利点も消しちゃってるわ、これ。
ケツのロンとしては『やっぱり猫が好き』がまた見たい。
あれはやっぱ名作だったわ。うん。