大学教員の見栄
今回は大学教員の見栄についてお話ししたいと思います。
出身大学(学部)の非公表
大学教員の学歴、職歴といった経歴については、基本的にネット上で公開されています。これは、情報公開しなければならない内容の一部ですので、逆に公開されていない大学があれば、そちらのほうが問題となります。
また、研究者の情報を登録している「researchmap」というサイトがあるのですが、多くの大学教員はそちらにも自分の情報を登録しています。
大学の教員情報がresearchmapと連動している大学もありますので、知らずとも公開されている場合もあります。
このように、大学教員の情報は基本的にネット上に転がっていますので、誰でも見ることができるのですが、中には全ての情報を公開していない方もいます。
もちろん、個人情報でもありますので、全てを公開しなければならないという決まりはありません。
ただ、大学教員の場合、非公表とする情報に特徴があり、その代表的な情報として「出身大学(学部)」があります。
なぜ出身大学(学部)を非公表にする必要があるのか、ということなのですが、これは非公表にしている方々に聞かなければわかりません。
しかし、出身大学を全く公表していないわけではなく、大学院以降の出身大学を公表している方が非常に多いのです。
これは私の個人的な見解になりますが「見栄」だと思っています。
(もし、それ以外の理由が考えられる場合は、ぜひ個別に教えてほしいです。純粋に知りたいのです。)
学歴ロンダリング
大学以降の学歴には「ロンダリング(洗濯する)」という言葉が使われることがあります。
これは、学部よりも偏差値の高い大学院に進むことで、自身の学歴を「ロンダリング」するという考えです。
これは、文字通り学部よりも偏差値の高い大学院に行く際に起こることですので、もとから高い偏差値の大学に通っていた方は、学歴ロンダリングを行う必要はありません。
というか、大学院は偏差値で決めるのではなく、専門分野、もっと言えば指導教員で決めることが重要であるため、必ずしも偏差値の高い大学院に行く必要はないのです。
そのため、進学者の絶対数が少ないということもありますが、大学院には偏差値というものが使われません。
しかしながら、大学教員の中には学部の学歴にコンプレックスをもつ教員も多く、情報公開の際には有名大学の大学院から学歴を書き始める教員もいるのです。
これは、繰り返しになりますが、自分を賢いものと見せたい「見栄」が働いていると私は思っています。
(同様の話題として「教授などの肩書」についても見栄を張る教員がいますが、別の機会に書きたいと思います。)
大学教員は賢くありません。
それぞれの専門分野に特化した知識、技能を持っているだけで、その他の分野に関しては全くのド素人です。
そのことを受け入れられず、自分の足跡に蓋をしてしまう教員が大学には存在しているのです。
あまり注目されない部分かもしれませんが、今後、大学教員の経歴を見ることがあったら、確認してみると良いかもしれません。プロフィールというものは、その人の人物像を浮かび上がらせてきます。
そんなところにケチをつけるなと言われるかもしれません。その通りです。ただ、そこ「だけ」を公表しないという公表方法に疑問を持つとともに、学歴を誇示しているように感じてしまうのです。
自分が自分の足跡を否定してしまったら、これまでの自分自身を否定しているようなものです。
学歴にコンプレックスがあるのであれば、このような学歴でもこれだけの研究ができるという、大学教員の仕事で賢さを示すべきであると思います。
ありのままの自分を受け入れ、未来に向けて努力する。
そういう人物で私はありたい。
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