STAYHOMEで、自分実験モード
緊急事態宣言は2020年の4月7日からだったけど
実質私は3月終わりから自粛していた。
そしてその緊急事態宣言が解除されて、でも、自粛モードが抜けません。
自粛モードというか、自分だけの世界で自分実験モード?が続いてる。
こんなにも外の世界のことを遮断して
自分にグッと向き合って過ごすというかたち。
心の中がこういう贅沢をしたことがなかった。(なんていうの?逆贅沢?)
自分の中の固定概念や無意識の奥の方まで
掘って掘って、クリーニングして自分に戻してる感じがある。
たとえば、流れで人に会うこともできなくなったし
刺激を与えながら絵を描く旅も、誠に、全部できなくなった。
むしろ、動かなくてもどれだけ自分でいられるかをやるしかないという新しさ。
ノイズも疲れも全部、残らず、自分のそういう心意気に初めて向き合い、掘る掘る。見る見る。洗う〜。
今まで、勢いでしかできないからやってたことが
実は本当に好きだったことで、勢いに任せなくてもできるな、とか
やり忘れてるタスクを思いついても、あえて急いでやらないようにする、とか
そうやって、グッと向き合って、
初めて、改めて、いくつもいくつも、気づきました。
自分がいかに、"世の流れに流されていたかを思い知る部分"もあるが
絵を描くことに関しては"勢いに任せてでも自分がやってたことが本当に自分の人生の中心で生きがいだった"のだと思い知る。
自分の部屋から出なくて、決して何もしない日を過ごしたって
何かに追いていかれてる感じがしないようになってきたし
あ、私は別に動いてなくても、他人に報告してなくても、自分自身がここにあるじゃん!てどんどん発見していく期間。(いいことも悪いことも辛いことも含みます)
そして、そんな期間中に浮かんできたことを
書き留めたりメモしたりしたいと思ってたんだけども
浮かんできたことは、私の知っている誰かが、タイミングで
言葉にしてくれていることが多かった。これも不思議。
意識体はみんな繋がってるって、こういうやつかな。
私の中の意識を言語化しようとする力も
薄まって弱まってきて
これはもう、テレパシーがいけるからなんじゃないかなって
自然と思ってしまうのです。これも不思議。
あ、でも、弱まってるのは言語化能力で、
私自身特有の情熱はたぶん弱まっていなくて。
でも、情熱(熱量)があるからこそ、疲れてしまう雰囲気ってのはあることを知りました。
最近はあんまり決めずに、
なわとびして、けん玉して、スーパーファミコンして過ごして
自分の気分を観察しています。
そうしたら、絵に対する感覚も変わってきました。
↑なぜか、私の筆から、出てきてしまった家康公
↑自分の天才っぷりに自分で驚いて興奮して寝れなくなった絵。
こちら、わたくし、実は、3月30日に岡崎城と大樹寺へ行ったんです。
その時に、他県から来たお客様をご案内したのです。
その時に、今まで気づかなかった家康公の中身に圧倒されたのでした。
それをなんとか私風に絵に残したいと実はずっと思っていて、
出てきちゃいました。
予想とか計画とは全く違う感じで、予期せぬタイミングで出てきた絵です。
家康公は19歳の時、苦し過ぎて自殺したかったのに
大樹寺でお世話になり、色々考えて死ななかった。って書いてありました。
Tomoko Kouda 2020