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小さくなってるとき

自分のことが小さく小さく見えてしまう時がある。
それが辛いとか嫌だとかではなくて、そういう日にその気分の狭さだけで過ごしたいのであります。
小さくしていたい時。(むしろ大きく見せようとしたことなんてほとんどないと思ってるけれど)。傷とか疲れとかを見てる。辛いというか、痛いというか、生きてることしかできない、傷ついてうずくまってる気持ちに包まれている日。

そんな時、そのまま小さく存在していたくてゆっくり、丸くなって、1ミリも動かず毛布の心地いいところを探して、とても小さくなったまま固まって動かずにいたいをずーっとやる。

わたしの癖に気づいた。
難しいなぁと思ったのは、体当たりしてくる違う自分の存在。小さくうずくまって治りかけの柔らかい傷を見ていたいときに、枕元に置いてある携帯から、絵を褒められたり、個展の300字コメントくださいなどの業務が入ったり、または取材を決めないといけないとか、その、画家として表に立ってるわたし宛にくる連絡のコントラストに、完全に気持ちを持っていかれる。

そうだ、ずっと小さいわけではない・・・

こちらも、嫌だというわけではないんだけど、その時に半端ないプレッシャーを感じる。気持ちが疲れて引きこもってる時にいちばんオンな自分に瞬間に持っていかれ、メールの返信したり企画をノートに書いたりすると、違う自分が作ったんじゃないかというスケジュール感やリズム感になること。後でびっくり。自分のチャンネルが全然違うんだ。そして、気づくと両方乗りこなしている。

落ち込んでる自分と違う、少し前にプチ成功してる姿の大きな自分が、小さくなって動けないくらい落ち込んでる自分に体当たりしてくる感じ。

このコントラストを自分が理解してない頃は、心が引きちぎれそうになったり、逃げる穴を探したり、休憩なのに忙しいモードに包まれたりして、混乱してた。傷を癒している時間というのは、何もない日とか、他の片付いてないことを出来る日ではないし、ましてや作品作りできるスケジュールでもないのであった😱
そして、「そうか、小さくなりたいをかき消せばいいのか」と、瞬間大きいほうに戻ったわたしが、小さくなっていたい自分を大切にできなかった。(よくある)

自分の軸がずれてもいいけど、ずれてることに気づかず運転してると、現在地も目的地もずれてしまうということが起こる〜( °◊° )

小さいわたしの小さい辛さを誰かに相談したいのだけど、この世でのわたしのキャラクターのせいで(?)、相談してる途中で自分が膨らんできてしまい、なんと、小さくなくなってしまうのです。これは?これでいいのか?

ちがーう、小さい自分を
もっとくまなくやりたい時間なの!
(行ったり来たり)

奥に、何か自分だけの世界があるような気がして、今日はここまで書けました。小さい方の自分を捕まえるのが難しい。

ちょっと文章も整頓されてないし、ばらばらしてるし読みにくい気がするけど、これをこのままここに焼き付けたいなぁと思うのも、小さい自分の小さいけど頑固な衝動で、大切な感情でした。

小さくうずくまっているをやる時間はわたししか、わたしに対して作ってあげられない時間だという結論はあります今回つかみました。はぁ〜(ため息)

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