へきがかんせいよる

いきなり、青島モノラルへの道(壁画)-2

いきなり、青島モノラルへの道(1)の続きです。

わたしが、2月28日に幣立神社の境内で出会った、双子のなっちまんゆっちまんと一緒に、3月1日も来た、青島モノラルへ、もう一度行きたくて、3月7日にまたもや355kmを運転してやって来た。そして食べたかったポテトをラストオーダーで食べ終わったところから、物語は始まったんです。


そもそも、そもそもですよ。


「壁画」というのは、てか、「絵の仕事」というのは、普通は事前の打ち合わせとかイメージ共有とか、いろいろやりとりがあるじゃん。(←まぁ、それさえも思い込みだったのかもしれませんが。)そういうことの全部を、すっ飛ばして制作に入っちゃえるという、膨大な果てしない幸せって、え?なにこれ、どういうことなの?ほんと?
”いつもは湧いてくるだろう全ての心配”をすっ飛ばせるほどの、確実で絶大な信頼感があって、全ての垣根を超えていて、がここにあるだけの今になっていて、それに驚くことさえも忘れてた。ただ強く信じられるこの境地。どうゆうことなの?感激だ。
贅沢に集中しながら、3人で本当に描くことだけをしていて楽しめてたら、午後になっていましたよ。自分に挑戦し続けて素直に生きていると、こういう、奇跡の凝縮みたいなことが起こるんですね。

そして、やっと手を休めてお昼ご飯を食べるひととき。また、ポテト!
ここにいる、周りのみなさんの信頼感と理解力が、もう、半端ない。すごい深さ。エネルギーも、ここにこの人たちといると自然とチャージできるし、やわらかいし、描いてる途中なのにすでに理解されている感覚が大きい。で、なぜなのかわからないけど、絵はいい感じになることしか想像できない。途中段階も私が記録しなくてもKankanさんが写真と動画とドローンで撮影してくれている。それも、ものすごく助かる。

絵を描いていて、こんなことは全く初めてでした。
とにかく、特に、安心して描くことだけに集中して描けちゃえる。感謝だ。

↑こちらがお昼の時の状態↑

しかも、タイミングよく、お昼のときにKankanさんが取材してくれたんです。絵を描くことについて、生きていくことについて、この壁画に挑むこといついて。う、壮大。。。(こちらはもし、動画になったらまたお知らせいたします。)んで、描いてる途中で、まだ完成してない時に撮られる声ってのはほんとに生の臨場感や息遣いや緊張も不安も期待も全て乗っかっていくんだなぁと、この場所にいながらも、自分で自分を見ていても、たくさんの発見や確認がありました。3人とも別々に個人インタビュー受けました。これもすごく経験になりました。

そして夕方になってきました。すごいよ、たぶん全然疲れていない。そしてここからは仕上げていくのですが、もう、全員がそれぞれ、しっかり完成を見据えて細かいところを仕上げてゆく感じに、自然と向いていました。なっちまんが鳳凰の向こう側に宇宙(夜?)を作っているし、ゆっちまんはなっちまんの龍の目をはっきりさせたくって描き込んでいくし、わたしは龍の顎を描いてゆきました。すごい集中力でしかも楽しんでいる私たち!絵を描くってこんなに楽しいのか!嬉しい〜。
最後、描き終わりを決めるのも、とても自然だったんです。月の中にウサギを描いたりで。そして、「明日朝、明るくなったときにもう一度見て、もし、なにか気になったら、少し加筆しよう」って言って、この日は終了しました。

でも、ここで、最後にサインを書いて終了した記憶。

全貌も理解しないまま、この日の宿に帰りました。

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