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愛と感謝の感情

すごくむずかしい。
無視したり、なかったことにできない感情。

いま、二種類あって。
なぜか向き合うしかないところに
自分の無意識で、感じることを追い込んでいくわたしの方法。


ひとつは、絵について。

夢のように語られるとどうしても腹が立ってきて
見積もりもスケジュールも出してますなんて

ものすごい反発が来て、仕事でやってることを強くアピールしちゃう。
あと、出してしまってから少し後悔する。

でも、感情を我慢することは
もう、なるべく少なくしようと思っている。

どうしても出てしまって、その、出た後も

相手にとってどうとかじゃなくて

その感情を出した自分が、その感情を押し出したんだなってのを見て
何かを思い知ることにより、次の感情を知る。

そのきっかけ。すごく大切なきっかけ。


もう一つは、愛みたいなもの。

見守られている時は気づかなかったのに。
見守られているのか見張られているのかを混在させてしまってたことなど。

これも、出てきたので
グーンと向き合ってみた。

結局、自分が他人を信じていない。
だから、義務は感じても、感謝を感じることが、あまりない。

どうしてなのかわからないのだが
自分が絵のことを頼まれた時って、
やりがいもあるし、広がって行く嬉しさもあるのに、

あるのにだよ、

なぜか、「軽んじられた」「取られた」「盗まれた」という
どうしてなのかわからない、
この、被害だ!っていうような感覚が残る。

やばーい。

これに関しては、ずっと、我慢しながら
一人でやっていた期間が長いため?
そして
この設定を書き換える力が自分の中に湧いてこない。
それを持ち続けている。最近、この感情に気づくことができた。

アウトプット、アウトプット!

絵を描いて売りたい。
私が絵を描いて行くことを鑑賞して何か感じてもらえたら。
絵を描くことを広めていきたい
発想や創作の素晴らしさや必要性を世の中に浸透させたい。
人間界の、芸術に対する底上げをしたい

↑これは、考える前に描いて納めてたわたしの本当の根底からの願い
厳島神社の奥の弁天様に納めたもの。

そう、思っているはずの、わたしの根底。

なのに、相反するこの感情は、どんどんくっきりしてきて

最近やっと捕まえることができた。

わたしの生き方にとって、
大きなブロックはどうしても、立ちはだかっていて
最近、それを気づかせるべき出来事がバンバン起こるのだ。
どうしたらいいのか。

今はこの、感謝できない体制が
自分の中に構築されていることに向き合おう。

感謝できないところにたどり着いているというと変だけど
でも、楽しいと思ってないわけじゃない。
むしろ、このことがないと、もっと生きていけない。

この二つの、感情の疑問を、
絵を描きながら
解くとでもなく、向き合って味わってみようと思う8月です。


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