Living like a human
「人間らしく生きるとは何か」とふと思い、少し考えてみた。でも、そもそも問いが間違っている気がしてきて、「人間らしく」と考えること自体が、主観的で人間の枠内になるので、人間はどう生きるべきか?に変えて考えてみようと思う。
と思ったけど、テーマが壮大すぎて、、、
でも、今の時代で活躍している方々の共通点でみてみると、、、
人間がどう生きるべきかとは、自律的に行動し、人と共感することに幸福を感じ、自然と発展的な共存を推進しながら生きることだと思う。
自律的な行動は、特に昨今のような不確実で複雑な時代では求められている。そのためには、自分で決めていく必要があり、自由の裁量が大きいほどその度合いも大きい。すなわち、自律性の高い人間は自由度の高い仕事を与えられ、(他責にせず)自責で物事を進めていくことで活躍の領域を広げている。その上で、周囲の人間との共感を追求することで幸福感を得ることができている。
自然と共存については、企業活動においては各々の目標が掲げられ取り組んできているところも多いが、これからますます大事なテーマになってくると思う。そのためには継続的に取り組むことはもちろんのこと、人間が増加傾向を続ける限りにおいては、さらに発展的な共存関係に進化していかないと追いつかないと思う。そもそも人間は、晴れの日は、太陽の恵を受け、雨の日は、天からの水の恵を受けながら生きていたはずなのに、サプライチェーンの発達のおかげで多くの人はその影響外で生きている。それでも、心のどこかでは天気に左右される生き方に憧れる部分もある。無意識の部分ではそうしたいけど、生存システムが発達した時代に生まれてきたら、合理的に考えて便利な方に従って生きる人が多くなる。日々の生活において自然と遠ざかることによって、休日の癒しのオプションにしかならず、人間が主役のような生き方になってしまっている。
時間の概念も、地球の自転は必ずしも同じスピードではないので、1972年からUTC(世界標準時)が設定され、UT1(地球の自転に基づく時間)との差は、うるう秒として調整されており、これまで27回の調整が入っている。いずれも1秒を追加している。近年では、世界中のコンピュータの数も膨大に増えてきており、調整リスクも高いから、うるう秒をやめようという議論もある。実際に起きている時点という現象よりも時間という概念を優先しようとする議論である。
哲学者のショーペン・ハウワーは、人間の欲望には際限がない、富は海水に似ており、飲めば飲むほど喉が渇くと表現している。お金を求めている人は心の拠り所を探しているが、見つからないから、お金を求め続ける。すなわち、それが生への盲目的な意思となり、世界経済が動いてきた。
釈迦は、「自分より愛しいものが見つかるのか世界を旅したが見つからなかった」というエピソードを残している。
人間は自己中心的で身勝手な生き物だということは、みんなが証明してくれている。
とはいえ、人間一人一人が、自然に生かされているという意識を少し増やし、自然を大切にするために少し行動するだけで、もっと本来の人間らしく生きられるのではないか。とはいえ、意識を変えようと行動しても、人口が増え続ける限り、周りの自然を支配して生きるので、それだけ破壊が進むかもしれない。また、格差が広がり世界の権力構造を変えようとする力が働いていると、犠牲を顧みないで行動するので、人間同士の争いに終始してしまうかもしれない。まとまりがなくない感じになってきたけど、私たちは、地球環境によって生かされているということを、強く心に留めて生きていきたい。