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自分にできること、自分がすべきこと。

責任を引き受ける対価とは何か?

のっけから飛ばしている感じがある。
病み上がりだからかもしれない。
さて、兼ねてから私は「同情するなら金をくれ」よろしく、「私を使うなら金をくれ」ぐらいに思っている節がある。
同情したら優しくしていただければよい。

元々プロパー入社で国家資格が必要な職種に就いたこともあり、何となく経済活動するうえでのプロ意識的なものがそこで形成されたように思う。
格好いい言い方をしてしまったが、宅建業です。

宅建業、そう不動産屋さん。
特に若い頃は、知人が引越しをする際に「あなたの会社に頼んだら安くなる?」と言われる職業ランキングベスト3に入るような気がするくらい、カジュアルに値引きをされる。
私はそれが腹立たしくて仕方なかった。
学生時代に頑張って資格を取り、法律に商慣習、あらゆる知識を使って契約書を作る。自分の名前と資格者番号をがっつり記載して、法廷の説明を行う。
+物件情報の入手。スピーディーにいい物件の情報を仕入れるため、目を皿のようにしてサイトを見たり現地に足を運んだり。
それを「前から知ってる人だから」という理由だけで手数料半額にしろとか無料にしろとか。んなアホな!
それなら全然、知らないけど私の仕事を尊重してくれる人から満額もらいますわ。
という気持ちで仕事をしていた。
まぁ、私は個人物件の営業やったことがないので、あまりそんなシーンもなかったが。(なんだそりゃ。)

そんなわけで、プロとして満足させるので、対価をお支払いください。
そのために、恥ずかしくない仕事をするし、ミスしたら責任を引き受けるのが当然。
というのが私のスタンスだ。

社会の一員として提供できるものは、金銭でしか価値を測れないのか?

矛盾しているが、そんなこともない、とちゃんと思っている。
先日、デザインの学校に通っていると記事で触れたが、実は卒業してすぐにボランティア団体さんから声をかけていただいた。
「デザインの練習がてら、職業体験で児童園の子供たちが考えた商品キャッチコピーを使ってPOPを作ってくれないか?」という内容だった。

期日は、そこまで長くない。
件数は、とても多い。(20件弱)
仕事は、めっちゃ忙しい。

でも、これは私が今やるべきことだと思った。
すぐに「やらせてください」と返事をした。

デザインの練習になるということよりも、「今までできなかった技術を使って誰かの役に立つ」という経験は、卒業したての私にとって何にも代えがたいものだった。成長実感し放題ではないか。

同期たちが共感してくれ、世界はずっと広がる

更にうれしいことに、一緒にデザインを学んだ同期たちがこのボランティア団体さんの想いに共感してくれ、作業を協力してくれた。
作業量が減るのも助かったが、自分が媒介になって想いや活動の輪が広がっていくことが、とてもうれしかった。

もちろん、実利を考えれば、そこでもきっと良い影響が出ている。
手を動かした分だけスキルは上がったし、数をこなした分だけインプット量も飛躍的に上がった。バリエーションが増えたことは財産になった。

一部をご紹介。うん、伸びしろしかないぜ。

キャッチコピーを作ること自体が初めての、子供たちの作品。
セオリー無視のテキストボリュームだったり、逆に「それだけ!?」と突っ込みたくなるような一言タイプも。表現力も語彙力も、プロの作るそれとは歴然の差がある。
そんな「規格外」の言葉は、見れば見るほど味があり、唯一無二の魅力を感じる。
そして、そんな言葉たちを輝かせようと、学んだ技術を何度も失敗しながら実践し、配色の本とにらめっこし、素敵なチラシを集めて作った、私たちのまだまだ未熟なPOPたち。

これはこれで、今しかできない「一生懸命の化学反応」な気がする。

自分じゃなくてもできることは世の中にたくさんあるから。

お金を稼ぐことは、私にとってかなり優先度の高いことだが、お金のためにしか動けない人間にはなってはいけない。
この世の中には、ものすごいスキルを持った人も、尋常じゃないカリスマ性を持った人も、半端じゃない愛され力を持った人も、五万といる。
私がやらなくても、私以上に完璧にリクエストに応えられる人がいることを、私は知っている。
だからこそ、自分がすべきことは丁寧に選り分けて、真摯に向き合っていきたい。
ショウヘイオオタニにしかできないことは彼に任せて、今日も私を求めてくれている人のためにがんばろう。

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